微妙に可笑しい棋譜解説

将棋世界1983年9月号、「激論 米長邦雄王将VS青野照市八段 タイトル戦を斬る!」より。

 中原誠棋聖が立ち上がり2連勝を飾って挑戦者を一気に土俵際に追い詰めた第42期棋聖戦五番勝負だが、第3局は森安秀光八段がしぶとい指し口を見せてまず1回目のカド番をしのいだ。中原の棒銀速攻に森安の粘力四間飛車。注目の決戦を米長、青野の両雄が辛辣かつ明快に解剖する。

 本誌 21歳の谷川名人が誕生したり、23歳の高橋道雄五段が王位戦の挑戦者になったりと、このところヤングパワーの嵐が吹き抜ける将棋界ですが、棋聖戦では森安秀光八段がやはり初タイトルをねらって中原棋聖に挑戦中です。本日は7月5日に新潟県岩室温泉で行われたその棋聖戦第3局にスポットを当ててみたいと思います。両先生よろしくお願いします。

米長 ここまで森安君の2連敗か。彼は指をちょっと痛めていて駒を持つのに苦労してたけど温泉に入ってよくなったのかな(笑)。これまでの2局とは別人のように力を出しているからね。

青野 全部四間飛車ですね。スラスラっと1図まで進んで△7三銀の棒銀、最近ではちょっと珍しいですね。以前はかなりやってましたけど。

米長 珍しいというより、温故知新というわけじゃないかな。ただ、1図の△7三銀では先に△5三銀左と上がってから棒銀に行く方がプロの実戦には多いということはいえるね。そこが後でちょっとポイントになる。

中原森安1

1図からの指し手
▲6七銀△8四銀▲7八飛△7二飛▲9八香△6四歩▲5六歩△7五歩▲6五歩△7七角成▲同飛△6五歩▲7五歩△6二飛▲7六飛(2図)

青野 中原さんは△8四銀のあと△7二飛と回っていますけど、これだと本譜のように▲9八香から▲6五歩とボンと来られるのがイヤな感じがするんですよ。だから△7二飛では先に△7五歩と突く方が多いですよね。

米長 なるほどね。ボクは悲しいことにそういったことがまるっきり分からないんだけど、先に突くとどうなるのかな。

青野 △7五歩▲5六歩△7六歩▲同銀△7二飛といった変化が考えられますよね。この方が普通と思いますね。

米長 △7五歩でも△5三銀と上がっている方が普通という気もするけど、善悪の問題じゃないけどね。

青野 それとボクはこの形で△7五歩▲6五歩となった将棋は居飛車側が勝ったのはほとんど見たことがないですね。大山-山田戦とかいろんな実戦譜がありますけどね。

米長 △7五歩▲6五歩に対して角交換するのはこの一手だ。そこで本譜はじっと△6五歩と取ったけど、ここで△7六歩はちょっと損かな。

青野 ▲7六同飛△7五銀▲7八飛となって居飛車側からこのあとの手が難しいですね。△7六歩なら▲6四歩。本譜の△6五歩と歩を取った手で△3三角と角を打った人はたくさんいますけどね。

米長 その手はあるね。それも一局というとこだろうけど、結果的にはその角の方がよかったかもしれない。ただこの△6五歩から△6二飛というのは、時間の使い方を見れば分かるように中原先生の作戦だったわけですよ。中原先生だってこの辺りの変化は百も承知で指しているわけでね、なぜなら中原先生はこれまでに指した将棋をみんなが研究してまた指してるんだからね。御本尊が指してるわけだから。(笑)それで時間の使い方を見ても△6二飛までは51分しか使わずに飛ばしてきてますよね。これは予定だからでしょう。それが▲7六飛と浮かれた2図になってみて、意外にうまくいかないんで驚いたんじゃないかな。

青野 ▲7六飛がちょっと珍しい手ですね。ここは▲7六銀とかわしている人の方が多いですね。

米長 ああそうなの。そういうことは全然分からんね。そういうこといってまたオレをバカにしようっていうんだな。(笑)しかし後手が5三銀型なら▲7六飛にはすぐ△6四銀と出られて困るけど、この場合の▲7六飛はいい手なんじゃないかな。中原先生がここで昼食休憩をはさんで25分考えたというのは困ったんだと思うよ。四間飛車の神様といわれた森安君の手だからね。この▲7六飛をほめるべきなんだ。

中原森安2

2図からの指し手
△9九角▲7七角△同角成▲同桂△8九角▲5五歩△同歩▲7四角(途中図)

米長 ここで△5三銀と上がっているわけにはいかないからな。△9九角は仕方のないところだろう。

(中略)

青野 ただ△9九角は▲7七角と合わされて手順に桂をはねさせますからね。それがちょっとしゃくな気がするんですよ。

米長 △8九角に▲5五歩△同歩▲7四角。

青野 この角がいい手だったですね。

米長 この将棋は森安先生がこの1年に指した中では一番いい将棋じゃないかな。この▲7四角で普通は▲8三角だけど、それは▲7四角成の時に△7三銀と引かれるから甘いんだな。

中原森安3

途中図からの指し手
△7三銀▲8三角成△6四銀▲7四歩△7五歩▲9六飛△9八角成▲8五桂(3図)

青野 ▲7四角に△8二飛で受かりそうだけど、それは▲6四歩がありますね。

米長 そう。▲6四歩に△7三歩なら▲5二角成△同金▲6五桂としておいてこりゃやっぱり振り飛車のペースだろ。

青野 ▲5三歩や▲5四歩がきびしい。

米長 だからこの将棋はね、中原先生の指し手をうんぬんしてはいけないんであってね、▲7六飛に続く▲5五歩から▲7四角という森安先生の妙技をほめるべきなんだ。

青野 今考えたんですけど、▲7四角に△6三金(変化D図)とする手はありませんか。

中原森安4

米長 ▲6三同角成△同飛▲7四金と打つのは重いから▲8三角成と成りますね。

青野 そこで△7三金▲6五馬△6四金(変化E図)と行く。

中原森安5

米長 ホ、ホ、ホー。おたく強いね。これで▲8三馬なら△7五銀だし、▲6六馬なら△6五歩▲4八馬△9八角成でこれも後手必勝。勝負と▲6六飛と回っても△6五金▲同飛△6四歩でまずい。強いよおたく。

 とすると、△6三金には気は進まないけど▲同角成△同飛▲7四金で二枚換えに行くことになるのかな。▲7四金に△6一飛なら▲8四金。遊び駒の銀を取って金がそっぽに行くのはいやだけど、二枚換えなら歩ともせよだからな。

青野 でもそこで△9八角成(変化F図)と後手も駒を取っといてどうですかこれは。ぬるいですか。

中原森安6

米長 いや、そんなことはないですよ。変化F図で▲7四歩と突き出せば△9七馬と引いて△7五歩をねらうか。これは先手も大変そうだよ。

―両者が検討中、偶然、中原棋聖が顔を見せた。

中原 やってますね。ほめといて下さいよ。

米長 オ、オ、オ。ちょうどよかった。ちょうどよかった。ちょっと分からないんだ。教えてくれよ。

中原 いやいや、対局者の感想はなし。(笑)どうもまずい将棋でしたからね。

米長 いや、そんなことはないです。森安先生の▲5五歩から▲7四角がいい手だったんでしょ。そこで△6三金と上がる手はなかったかね。

中原 へーっ。そんな手があった。▲8三角成ると。

青野 △7三金▲6五馬△6四金。

中原 あっそうか。困るね、これは。

米長 こういうのは青野先生みたいな人が気がつく手なんだ。(一同爆笑)

青野 どういう意味ですか。(笑)桐谷先生ならもっと早く見つけるかもしれませんよ。とにかく駒を取りに行く手だから。(笑)

米長 とにかく困るよ。この手は。

中原 ちょっとうっかりするね。平凡な手だけに。

米長 若い人はこういう手をすぐ見つけるから恐いね。(笑)

中原 ただね。本譜で▲5五歩突かれた時に取らないで△9八角成と香を取っておくべきだったんですよ。そして▲5四歩に△8七馬(変化G図)と引く。こう指すべきでした。

中原森安7

米長 なるほどね。

中原 それじゃ、あとはほめといて下さい。

米長 おっ、行っちゃうのか。(笑)バイバイ。さて、本人の感想は別にして△6三金はいい手だね。やっぱり▲6三角成から二枚換えするしかないかもしれんが、それじゃ流れがおかしくなるという気はするね。まあこの辺の数手、やや疑問ということはいえそうだね。つまり中原先生が仕掛けの時に描いていた流れと、流れが違ってきちゃったわけです。歯車が今一つかみ合っていないわけだ。思っていたような展開じゃない。よくありますよね、彼女とデートしてても、思ったような展開どおりにどうも事が進まない。いつも作戦がちぐはぐということが。(笑)それはここ数手の中原先生の指し手になっているということだね。青野君の日常生活みたいなもんだ。(一同爆笑)これだけはちゃんと書いておいて下さいよ。

(以下略)

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突然顔を出した中原誠十六世名人の二度にわたる「ほめといて下さいよ」が非常に良い味を出している。

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「彼女とデートしてても、思ったような展開どおりにどうも事が進まない」

Charの超名曲『気絶するほど悩ましい』のサビの部分で「うまく行く恋なんて恋じゃない」という歌詞が出てくる。

思ったような展開にならないうちが恋。以心伝心、今日は思ったような展開になったとかならないとかを意識しないようになったなら、恋から一歩進んだ段階ということになるのだと思う。