将棋世界1993年2月号、棋士交遊アルバム フレッシュ対談 西田ひかる&郷田真隆 「ひかるちゃんが将棋会館に来た!!」より。
(グラビア頁右側)
”星の王子様”こと郷田真隆王位は、かねてからアイドルタレントの西田ひかるのファンであった。その憧れの人との対談が、昨年の12月4日に将棋会館で実現した。
(グラビア頁左側)
西田ひかる来たるの報は事前に知らされていたようで、一目会いたい、サインをもらいたいと、この日は何人かの若手棋士や奨励会員が朝からソワソワしていた。午後3時、グリーンの帽子にミニスカートのファッションのひかるちゃんが、将棋会館を訪れた。郷田王位はまず4階の対局室にひかるちゃんを案内する。思わぬ珍客に、目がテンになった対局者や記録係もいた。しばらく観戦してから、特別対局室で盤をはさんでの対談が始まった。
―今日はようこそいらっしゃいました。ひかるさんが来るというので、みんな楽しみにしていました。
ひかる 事務所が千駄ヶ谷なので、このへんは車でよく通ります。将棋会館は初めて来ましたが、立派な建物ですね。それにこの部屋、素敵です。とても落ち着きます。
郷田 この日のために、他の対局をぶっとばしてあけたそうです。さっき、となりの部屋で対局をちょっと見てもらいましたが、いかがでした。
ひかる 私、将棋のことは何もわからないの。でも、真剣な雰囲気はいいですね。あの試合、いや対局というんですか。一回でどのくらい時間がかかるんですか。
郷田 朝10時に始まって、早く終わる対局で夕方、遅いのは夜中までです。
ひかる エーッ、そんなに長く・・・。すごいですね(笑)。私は生まれてからすぐに、家の事情でアメリカに行き、13歳までロサンゼルスにいました。もうちょっと日本にいれば、将棋が身近になったでしょうね。
郷田 ゲーム類はお好きですか。
ひかる はい、好きです。でも私って、とても早とちりなの。ゲームでも学校のテストでも、とりあえず早くやって、あとで後悔しちゃう。性格的に突っ走るんです。だから、将棋なんかやると、落ちつくようになって、いいかもしれませんね(笑)。
郷田 それじゃ、試しに将棋をやってみましょう。すぐにおぼえられます。
(郷田王位はひかるちゃんの脇に寄り、駒の並べ方、動かし方、手つきなどをかんたんに指導する)
ひかる プロの方の手つきって、さすがに決まっていますね。私もやってみようかしら。アッ、うまくいかない(笑)。
郷田 役者の方でも、将棋の手つきだけは、かんたんに演技できないんです。
ひかる この盤はずいぶん厚いけど、何の木ですか。
郷田 カヤの木です。一枚板なので、とても貴重で高価です。
―その盤は樹齢800年とも1000年ともいわれるカヤの木が材質で、1000万円の値打ちはありますね。ところで郷田王位、ひかるさんのファンになったきっかけは何ですか。
郷田 片岡鶴太郎が司会する”つるちゃんのぷっつんファイブ”という、バラエティ番組が前にありましたね。ひかるさんもそれに出ていて、テレビで見たのがきっかけです。
ひかる あの頃は、髪がまだ短かったでしょう。
郷田 そうでしたね。それから、NHKの”西田ひかるの痛快人間伝”もよく見ますよ。
ひかる あの番組は、私自身とても勉強になります。番組でも紹介しましたが、私は黒人解放に立ち上がったキング牧師を尊敬しています。
郷田 芸能界に入って、一番うれしかったことは何ですか。
ひかる デビューしたのは88年で、うれしかったことは今までいろいろありました。最近ではNHKの紅白に選ばれたことですね。それから一仕事終わって区切りがついた時が、ホッとした気分になっていいですね。郷田さんの場合はどうですか。
郷田 やっぱり、タイトルを初めて獲った時ですね。
―郷田さんは、今年の秋に王位を獲りました。四段でタイトル獲得は初めてです。
ひかる 郷田さんのことは、この対談のお話がある前から知っていました。新聞や雑誌によく記事になってましたものね。
(この時、中井広恵女流名人がちらっと顔を見せる)
郷田 あっ、そうだ。中井さんを紹介しましょう。中井さんは女流名人で、女流棋士で一番強い人です。
ひかる わあ・・・。そうなんですか。
中井 ひかるさんが来ているというので、部屋をちょっとのぞいたんです。お話しできて、とてもうれしいです。じつは、前に別のところでお見かけしたことがあります。
ひかる どこでですか。
中井 首相官邸の文化人パーティーに招待された時です。その時ひかるさんもいて、遠くから見ていました。
ひかる 女性の棋士の方は、どれぐらいいらっしゃるんですか。
中井 約30人います。
ひかる どうか、これからもがんばってください。郷田さんも、ご活躍を期待しています。
郷田 ありがとうございます。ひかるさんも、また機会があったら、将棋会館に遊びに来てください。
(頁下)
対談のあと、ひかるさんにサイン色紙を10枚ほど書いてもらう。その色紙は希望者に配られて、あっという間になくなったのは、いうまでもない。郷田王位と西田ひかるさんの対面は約1時間。わずかな時間であったが、21歳と20歳のヤング同士の対談は、とてもフレッシュですがすがしかった。
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なかなか快調な出だしから、西田ひかるさんの
「将棋なんかやると、落ちつくようになって、いいかもしれませんね」
という言葉に対し、即座に
「それじゃ、試しに将棋をやってみましょう。すぐにおぼえられます」
と将棋の手ほどきをするところが郷田真隆王位(当時)らしさ。
しかし、限られた時間なので、編集部担当者が盤の話題を引き取り、「ところで郷田王位、ひかるさんのファンになったきっかけは何ですか」と、核心に迫る。
『鶴ちゃんのプッツン5』は、日本テレビ系で1986年10月から1992年9月まで毎週土曜日の17:10から放送されていた生放送のバラエティ番組。
フレッシュ対談らしい話題が続き、とてもいい雰囲気で推移。
西田ひかるさんの
「郷田さんのことは、この対談のお話がある前から知っていました。新聞や雑誌によく記事になってましたものね」
などは、とても嬉しい言葉。
話がもっと発展しそうな流れだ。
郷田王位の次の言葉がどのようなものか、期待が高まる。
「光栄です」と高倉健風で行くのか、
「そうですか。光栄です。・・・ところで好みのタイプなんてお聞きしてよろしいですか」と、1990年の菊池桃子さんとの対談の時の羽生流で行くのか、
「ありがとうございます。ところで、西田さんの好きな俳優はロバート・デニーロとメル・ギブソンとお聞きしましたが、どのようなところが?」と、やや遠回しに行く方法もある。
ところが、このタイミングで中井広恵女流名人(当時)を見つけた郷田王位は、
「あっ、そうだ、中井さんを紹介しましょう」。
そして、時間の関係からか間もなく対談は終わってしまう。
7回裏、0対0、ノーアウト一塁三塁で放送時間が終了したような・・・
1990年の将棋世界の羽生竜王(当時)と菊池桃子さんの対談を読んだ時もそうだったが、またしても私は、お見合いに同席した郷田王位の叔父さんか従兄弟にでもなってしまったような気持ちになっている。
駒の並べ方、動かし方、手つきなど手ほどきの時間が思いのほか長かったのかもしれない。
グラビアには、郷田王位が西田ひかるさんに駒を持つ手つきを教えている様子が載っている。二人ともとてもいい笑顔で楽しそうだ。
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将棋世界同じ号の大崎善生編集長(当時)の編集後記より。
12月4日、西田ひかるさんが連盟に。朝から仕事が手につかないのは経理のN係長。熱烈なファンなのです。書いて頂いた色紙はあっという間に屋敷六段、中川五段らの手元に、将棋世界の原稿は絶対に引き受けるという堅い約束とともに消えていきました。N係長は、直筆色紙を一枚コピーしてそれを手に大喜び。それにしても、ファンは有難い!?
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