昨日行われた電王戦第4局 塚田泰明九段 vs Puella α 戦は、塚田九段がほぼ絶望的な局面から盛り返し、持将棋引き分けとなった。
→将棋:電王戦第4局 決着最終局へ 塚田九段、粘って引き分け(毎日新聞)
私もずっとニコニコ生放送を見ていたが、中盤の入り口までは塚田九段有利か→Puella αの攻撃→塚田九段入玉を決断→駒数が足りず必敗形、大駒を4枚とも Puella αが持っている→コンピュータソフトの入玉への対応が完全ではないことを頼みに塚田九段は指し続ける→塚田九段、飛車を詰ます→それでも駒数は圧倒的に足りず、かなり絶望的→ Puella αが▲7七玉と上がり入玉する意向を見せる、もっと絶望的に→それでも指し続ける塚田九段→執念が実り敵の馬を詰ます→あと2枚駒を取れば引き分けに持ち込める状態に→Puella αはと金作りに邁進、その間に塚田九段は敵の駒を取るためにと金と製造→見事に引き分けに持ち込む、という感動的な展開となった。
絶望的な局面でも指し続ける塚田九段に対し、ネットでは批判的な雰囲気があったが、馬を詰めたあたりからオセロのように塚田九段を応援する声に変わり、最後は賞賛の嵐となった。
映画で言えば「ロッキー」のような流れに近いのかもしれない。
このようなテレビドラマや映画を超えるような出来事をリアルタイムで見れるというのは、そうそうあることではない。
思い出すのは小学生の頃にテレビで見た長嶋選手。
Wikipediaより。
1968年9月18日の阪神とのダブルヘッダーの第2試合。巨人が序盤からリードし、5対0となった4回表の場面、3番・王に対して、阪神投手・ジーン・バッキーが2球続けて死球寸前のボールを投げてきた。王はマウンドに詰め寄って抗議し、ベンチからも選手・コーチ陣が飛び出し乱闘となる。この乱闘でバッキーと荒川博コーチが退場となった。そしてバッキーに代わって権藤正利が登板したが、王の後頭部を直撃する死球をぶつけてしまう。王は担架で運ばれ、試合は20分中断された。乱闘に参加しなかった長嶋は、その直後、権藤の投じたカーブを打ち返し、35号の3ランを打った。さらに8回にも2ランを放ち決着をつけた。
大の巨人ファンだった私は、王選手へのビーンボールと乱闘を見て阪神に猛烈に腹を立てていた。そして、王選手の頭部死球・・・。巨人ファンの皆が怒りの絶頂に達していたタイミングで、長嶋は劇的なホームランを放った。
巨人ファンの全怒りを一気に解消してしまうような快挙と感動。
私は、(熱血根性スポーツ漫画だって、ここまでいかにも作ったようなストーリーはやらないよな)と思った。
それほど劇的だったということだ。
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今日は、塚田泰明九段の結婚前のエッセイを。
将棋マガジン1988年12月号、塚田泰明八段(当時)の「塚田泰明のティー・ブレイク」より。
1
対局が終わったあとは、妙に心が乾いている。真っ直ぐ家に帰る気にはなれない。
一緒に飲みに行くような相手も、ここには居ない。
「どうしようなか・・・」
「そうだ、彼女に電話してみよう」
テレホンカード、ダイヤルナンバーを押す。
「居るかな・・・」
3コール、彼女は出た。
「元気?・・・」
そしてありきたりの世間話。そのあと、
「今から出て来ない?」と訊いてみた。
一瞬の沈黙。
「いいわよ」
意外にも、彼女の返事は、あっさりOKだった。
2
彼女が指定したのは、六本木の、とあるカフェバー。
初めて行く店だった。
ドアを開ける。彼女はまだ来ていなかった。
ここは、外人客が多く、いかにも六本木らしい。
というよりも、自分が外国に居るのではないかと、錯覚を起こさせるような店だ。
右奥の、空いている席に腰を降ろす。
店の中は結構騒がしいが、会話は何を言ってるか分からないし、BGMは洋楽。あんな義気にならない。
「今日はこれだな」と、何となく閃いて、
「バーボンのロックをシングルで」
と、注文する。
そしてキャスターにライターで火をつけ、煙を吸い込む。
「うーん、最初の一本は美味しいんだがなあ、しかし、最近、本数も増えてきた事だし、できれば、何とかしてやめたいんだけどな」
そんな事を考えている内に、バーボンがやってきた。
一口飲む。
口の中にアルコールが拡がる。
そしていつの間にか、僕は二本目の煙草に、火をつけていた。
3
20分程経っただろうか、彼女が来た。
ペーズリー柄のワンピース。ドレスアップした、という感じではなく、化粧も、ほとんどしていないようだ。
「久し振りだね」
「1ヵ月振りぐらいかしらね」
そう、前に彼女に逢ったのは、1ヵ月ぐらい前の事。あの時は確か、4、5人で飲んだんだっけ。場所はやっぱり六本木だった。
「彼女」と云っても、彼女は、「僕の彼女」という訳ではない。
2、3年前からの知り合いなのだが、逢う時はいつも複数で、だった。
実は、こうやって2人きりで逢うのは、初めての事なのだ。
「何、頼む?」
「うーん、それじゃ、マルガリータ」
返事はすぐにあった。マルガリータは、彼女の好きなカクテルらしい。
そういえば、前に逢った時も、頼んでた気がする。
「この店はね、前に一度、連れてきてもらった所なの」
(誰と来たのかな・・・)
「外人客が多くて、日本ぽくないところが好きなの」
彼女は続けて話した。
そういえばこの店は、日本では珍しく、ワン・ショットごとに、お金を払うシステムになっている。
マルガリータがきた。やたらに大きなグラスだった。
2人、別に何を祝う事もなく、何となく、乾杯、グラスを合わせた。
4
「今日は仕事だったの?」
「うん、対局」
「対局?ああ、試合のことね。それで、勝った?」
「うん。まあ、一応ね」
「それじゃ、それに乾杯だね」
再び、グラスを合わせる。
彼女は、将棋、の事をよく知らない。
僕が棋士である事は知っているのだが、それ以外は、多分知らないだろう。
僕も、訊かれない限り、将棋の話はしない。
彼女はそれ以上、将棋の事を訊かなかった。
あまり、興味がないのか、それとも、僕に、少し、気を遣ってくれたのかな?
5
ようやく、少しだが、気持ちが落ち着いてきた。
2人きりで逢うのは、初めてなのに、無駄な緊張感もなく、会話は、案外はずんでいる。
複数の時と、2人きりの時とでは、会話の内容や、感じが、随分と違う。思い切って、
「彼氏は居るの」
と、訊いてみた。これも、2人きりだから、訊ける事だろうか。
「居ないわよ」
あっさりした返事だった。
「作らないの」
「そういう訳じゃないけど・・・」
そのあと彼女は、自分の恋愛経験を教えてくれた。
中学時代の片思いの話、18の時、彼氏の家に毎日のように電話をかけた話。
「私のは、一方通行が多いのよね」
気が付くと、2人のグラスが空になっていた。
「次、何にする?」
「うーん、同じのでいい」
バーボンを2つ、注文する。
6
そのあと2人は2、3杯ずつ、飲んだ。結構、酔いがまわってきた。
途中からは、彼女のほうが、ペースが上がってきたようだ。
そのせいか、彼女はよくしゃべった。
そして、きいてもいいのか、というような、哀しい話までしてくれた。
彼女にも、いつからか生まれた、心の悩みがあったのだ。
「こんな話、面白くないよね」
彼女が云って、2人はまた、普通の会話を始めた。
7
彼女が時計を気にしている。26時。
「そろそろ行こうか」
僕が云って、2人は店を出た。
この時間なら、もう車は拾える。2人は車に乗りこむ。
もう少し一緒に居たいなあ、などと考えつつ
「帰る、よね」
と訊く。
「うん」
それ以上、突っ込む事はできなかった。
車は彼女の家へ向かって、暗闇の中を走っている。
段々と、彼女と一緒に居る時間がなくなっていく。
車が止まる。
「それじゃ、ここで」
「うん、おやすみなさい」
再び車が走り出し、僕は、彼女の後ろ姿を、目で追っていた。
8
1人、きり。
車は、僕の家へと走る。
僕は、酔いのまわった頭の中で、
(どうすれば、彼女の心の悩みを、取り去る事ができるのだろう・・・)
と考えていた。