近代将棋1991年1月号、「新春特集 羊年集合!」より、米長邦雄王将(当時)の「若い人の血を」。
羊年生まれの者は気がやさしく善良とのことですが、確かに私以外の人は皆思いあたるフシがあります。昨年は若い人達に将棋を教わって少し強くなったような錯覚をしているところですが、本年も同様でありたいと願っています。
私が若い先生方と一緒のときは、
○威張らない
○お説教はしない
○勘定は必ず払う
この三原則は守り通しております。プロ棋士のみの道場は、1月7日をもって満一年、当初の役割を果たしましたので発展的解消となりました。今後は個別の研究会で各自研鑽を積むということです。
若手の先生方の中でも、森下卓、羽生善治の両氏には特別に焼肉をたらふくご馳走したいと考えています。私に万一のことがあったときには、同じAB型の血を輸血してもらうためです。
私思うに、研究よりも病気になる方が将棋が強くなるのではないかという気がしてなりません。有森君も体を鍛えておいてくれ給え。(編集部注:有森五段AB型)
今年は将棋以外に少し遊んでみたいですね。
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この頃、米長邦雄王将(当時)は、自宅に若手棋士を集めて研究会「米長道場」を開いていた。
師範代格は森下卓六段(当時)。
「米長道場」は”若手に教えを請う”という姿勢で運営されていた。
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故・米長邦雄永世棋聖は当初はA型と公式発表されていたのだが、健康診断の結果からか、ある時期からAB型に改められた。
AB型棋士といえば、芹沢博文九段が昭和時代の代表格であったが、この文章を書く3年前に亡くなっている。
この当時のバリバリの現役では勝浦修九段がAB型。
若手では村山聖五段(当時)もAB型だが、村山五段の体調のこともあったので、ジョークとはいえ、このような話題で名前を出すわけにはいかないという配慮があったのだろう。
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現代を見てみると、AB型棋士には木村一基八段が加わる。
古今のAB型棋士は、
羽生善治三冠、勝浦修九段、森下卓九段、木村一基八段、有森浩三七段、
米長邦雄永世棋聖、芹沢博文九段、村山聖九段、など。
血液型によって性格が分類されるかどうかは別として、AB型棋士に何か共通点はあるだろうか。
これは非常に難しい問題であり、アカシヤ書店の星野さんと中野隆義さんと私(全員AB型)の性格的な共通点を探すことよりもはるかに困難そうだ。
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私が自分の血液型がAB型と知ったのは小学2年の時。学校で血液検査が行われたのがきっかけだった。名刺大のカードにスタンプで”AB”と押されていた。
周りの席の同級生と見せ合いをすると、ABは私だけだった。
先生に聞いてみると、AB型は日本では10人に1人の一番少ない血液型という。
それを聞いて、私は嬉しくなった。
一番少ない血液型と言われて、感情を表に出すことなく喜んでしまうのがAB型のAB型たる所以なのかもしれない。
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ここ数年、将棋ファン・プロ棋士ファンの女性が増えてきており、将棋界にとっては非常に好ましい流れとなっている。
ふと思い出してみると、今年になってから一緒に飲ませていただく機会のあった将棋ペンクラブ会員の将棋女子、北海道のHさん、関東のOさん、名古屋のHさん、皆さんがAB型だ。
もっと昔を思い出すと、1990年代後半から新宿の「あり」の常連だった、広告デザイナーのCさん、テレビ番組制作ディレクターのOさんもAB型。
CさんとOさんは、今世紀に入ってからの近代将棋の泉正樹七段の駒落ち指導対局講座に出演している。
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電王戦で5局ともコンピュータソフトの代指しを務めた三浦孝介初段を小学生時代から育て上げた杜の都加部道場の加部康晴さんもAB型だ。
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ますますAB型の共通点が見当たらなくなってきた。