「羽生をこんなことに巻き込んでいいのだろうかという罪悪感を抱いていたのは最初だけ」

将棋世界2002年10月号、片山良三さんの第43期王位戦七番勝負第3局(羽生善治王位-谷川浩司九段)観戦記「これからの10年」より。

 そういえば中村修も「誘惑してはいけない男」の雰囲気を存分に漂わせたままで奨励会を猛スピードで駆け抜けていった一人だが、王将のタイトルを手にした頃、彼のほうから「競馬を教えてください」とやってきて、漂っていたオーラの色がガラッと変わった。あのまま「将棋サイボーグ」でいたら、彼の人生はどうなっていたかなんて、それは言っても仕方のないこと。もっとも、彼が俗世間に下りて来た理由というのも、将棋以外のものに手を染めることでツキを貯め(馬券を外すことがそれだと信じているようだった)、それによって本職の将棋で幸運が巡ってくると考える、文字通りの不思議流の思考なのだが。

 羽生には一度だけタブーを犯した気がする。中村修、神谷広志、先崎学、それになぜか筆者というメンバーで、当時新宿に構えていた中村の研究用マンションに集まり、「終電までね」という約束でチンチロリンをやってしまったのだ。羽生をこんなことに巻き込んでいいのだろうかという罪悪感を抱いていたのは最初だけ。序盤で圧倒的にリードしていた中村以外は全員が終電の時間を忘れるほど熱中し、結局お開きになったのは始発もとっくに動き出している午前6時過ぎだったと記憶している。勝負の結果はご想像の通り。早くやめたかった中村が徐々に崩れて全員が拮抗し、朝方にみんな集中力が切れかかったところで親の羽生がピンゾロを鮮やかに振り出して、まるで劇画のような終了図が作り出されたのだ。サイコロを振るだけの単純な遊び、と言うなかれ。これだけのメンバーで、念力の存在を検証できたのは実に貴重な経験だったと思っている。あの夜の出来事が羽生の人生にプラスだったかどうかは、まったく自信が持てないのだが。

(以下略)

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「誘惑してはいけない男」は「息抜きになるような面白いことを勧めてはいけないような雰囲気を持っている男」の意味。

5年ほど前の記事「息抜きをすすめるのが罪、と思わせるような存在」の続きの文章。

息抜きをすすめるのが罪、と思わせるような存在

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中村修九段の「将棋以外のものに手を染めることでツキを貯め(馬券を外すことが中心)、それによって本職の将棋で幸運が巡ってくると考える」は、気持ちはとてもよく理解できる。

気持ちはよく理解できる。

気持ちはよく理解できるのだが……

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チンチロリンは、サイコロ3個と丼(または茶碗)を用いて行うゲーム。というか賭け。

親がピンゾロ(⚀⚀⚀)の場合、総取りとなって、場に張られている子のチップの5倍が親の元へ入る。(子がチップを10枚賭けていたとしたら、子はチップを50枚支払わなくてはならない)

それを若い頃(10代か20代前半)の羽生善治三冠が最終盤の早朝に出したということ。

片山良三さんは、これを「念力の存在を検証できた」と書いている。

たしかに、このような絶妙なタイミングでピンゾロを出す運を呼び寄せるよりも、念力でピンゾロを出す方が現実的にあり得ることのような感じがする。