名人戦第4局対局場「的山荘」

名人戦第4局は、大分県速見郡日出町の「的山荘」で行われる。→中継

的山荘」は、1915年(大正4年)に完成した成清博愛の別邸。日出町の有形文化財に指定されるとともに、おおいた遺産に選定されており、現在は日本料理店として営業している。

成清博愛(1864-1916)は、福岡県の資産家の家に生まれ、若い頃は大隈重信の立憲改進党を支援し、自らは小川村村長となる。

その後、小川村村長を辞めて、全資産を売却し石炭の炭鉱経営に乗り出すものの失敗。

再び小川村村長に戻るが、同じ山で苦労するなら石炭よりも金と考え、村長は2年で辞めて大分県入り。本格的に金鉱探しに本腰を入れ始める。

金鉱探しは何度も失敗し、財産差し押さえや借金取りに追われる生活が続いたが、明治の気骨精神を持つ成清博愛は、失敗の連続でも、初志貫徹の強い意志で屈することはなかった。

独自の調査により馬上金山(江戸末期に廃坑となった金山。その後、複数の事業家により何度か試掘されていたが、ことごとく失敗していた)を有望と見た成清博愛は、鉱区権の持主との買収交渉に成功する(自由民権運動で同志として活動していた富豪や政治家などが資金協力したのではないかと推察されている)。

しかし、綿密な調査と計画・各種設備の考案をしたにもかかわらず金鉱は見つからず、悪戦苦闘が続く。

馬上金山に着目して7年目の1911年、突風で陥没した坑道から金鉱脈が見つかり、ここからゴールドラッシュが始まる。成清博愛が47歳の時。

成清博愛の生涯については、「堀池園の金山王 成清博愛翁」に詳しい。上記の文もこのホームページの情報によるもの。

的山荘の「的山」は、鉱山を当てるという意味で、成清博愛の雅号に由来するという。

〔的山荘の料理〕

的山荘は1964年に、成清博愛の孫の成清信輔が料亭として開業。

日出城下の海岸近くで漁獲される城下かれいの名店として全国に知られたが、老朽化等によって個人での維持管理が困難となったことから、2010年に日出町が施設を購入。

現在は、日出町の指定管理施設として日本料理専門店に改装して営業されている。

的山荘の料理は、城下かれいをはじめ、関アジ、関サバ、臼杵ふぐ、豊後牛など地元の食材を活用した割烹料理。

別府湾、豊後水道の海の幸をメインとした季節の料理が楽しめる。

料理のメニューの一例としては、

・城下かれい会席 10.500円~

・すきやき会席 10,500円~

・おさかな会席 3,150円

・豚しゃぶ御膳 3,150円

・ステーキ会席 3,150円

・豊後しゃぶしゃぶ会席 5,250円

城下かれいは、日出町にあった日出城城下の海岸近くで漁獲されることから、城下かれいと呼ばれるようになった。

古くから高級魚として珍重され、江戸時代には武士しか食べることができず、将軍への献上品とされていた。

〔昼食予想〕

森内俊之名人

一日目 天ぷらうどん 

二日目 豊後牛ビーフカレー

羽生善治三冠

一日目 城下かれい丼(城下かれいの刺身が乗った丼)

二日目 豊後牛すきやき定食