屋敷伸之七段(当時)の奇想天外自戦記

屋敷伸之九段が公益社団法人日本モーターボート選手会の外部理事に就任することが、昨日発表された。

屋敷九段が競艇ファンであることは有名だが、将棋愛好家である日本モーターボート選手会の上瀧会長から谷川会長を通して外部理事就任の依頼があったという。

屋敷九段、日本モーターボート選手会の外部理事に(日本将棋連盟)

そこで今日は、屋敷九段がどれほど競艇が好きかという話。

NHK将棋講座1996年9月号、屋敷伸之七段(当時)のNHK杯将棋トーナメント1回戦〔屋敷伸之七段-泉正樹六段戦〕の自戦記「”魅せる”プロを目指す」より。

 勝負は水ものである。勝負の世界で生きている者としては、いやというほど身にしみている言葉ではあるが、最近、その言葉を思い出させるような出来事があった。

 競艇の大レースのうちの一つである「笹川賞」がつい最近、行われた。

(初手から1図までの指し手)

勝負の難しさ

 1号艇、地元の若手・川崎智幸。私はこの川崎選手がまちがいなく優勝するのではないかと思っていた。そして、2号艇が恐怖のおじさん・安岐真人。3号艇は、前日に意表の逃げを見せた倉谷和信。4号艇は、関東ただ1人の池上裕次。5号艇は若手強豪、上瀧和則。6号艇は大阪の松井繁。

 私は川崎-安岐の折り返しと、押さえに倉谷の頭から川崎、安岐に流して4点持って優勝戦を見ることにした。

 優勝戦が始まり、倉谷が前日同様、意表のイン取りへ行く。その瞬間、場内のみんながどよめいていた。私も読み筋が早くもはずれて驚いていた。そして、5号艇の上瀧も内寄りへ入ってくる。やっぱり勝負事を読むのは、難しいものだと、このあたりでは感じていた。

(1図)

(1図から2図までの指し手)

一瞬の逆転

 スタートはみんなさすがに速く、川崎がトップスタートだった。

 「川崎、やった!」かと思ったが、回った瞬間、トップに立ったのは倉谷だった。私は画面を見ていてこんなこともあるのだなあと、あ然としてしまった。SG初優出であっさりと、ひょうひょうとして優勝してしまう。驚きと痛快さが混じって、不思議な感じがしていた。そこで、さらに驚くべきことが起こってしまった。

(2図)

(2図から3図までの指し手)

 2マークで先頭を走っていた倉谷が、信じられないような転覆をしてしまった。再び、場内にどよめきが起こる。

 画面に6号艇の姿が映っていた。松井繁だった。どこにもいなかったはずの松井が、気がついてみればトップを走っている。不思議な気がした。そして、SG初優勝。

 私はこんなことがあるのかよと、勝負の怖さを改めて感じていた。

(3図)

(3図から4図までの指し手)

見せる世界

 競艇の話を長く書きすぎたが、最近、ちょっと忘れられないような出来事だったので、あえて書かせてもらった。

 競艇の若手はみんな一生懸命やっているし、レース自体も見せる要素がたくさんあるので、また見てみたいという気になってしまう。私もこういう域に少しでも近づきたいし、見られてさらに勝てるようになればよいのだが、実際にはまだまだ指しているだけで精一杯である。だから、競艇の、強くて見せる選手にはあこがれのようなものを感じている。

(4図)

(4図から5図までの指し手)

 私の好きな選手はたくさんいるが、やっぱり、一生懸命やって負けるような選手が好きである。一生懸命やったうえで、結果的に負ける選手により愛着を感じてしまう。勝ってはほしいけど、勝ち負けは時の運なので、負けているのもしかたのないことではないかと思い、冷静に見ることができるようになってきた。勝った、負けた、で判断するよりも、勝ち負けを超えて一生懸命やる選手、味のある走りをする選手は、とにかく好きだ。負けたからといって見放すようなファンには、自分自身、なりたくないと思っている。

 いろいろと思っていることを書きすぎて、将棋のほうの解説がすっかりお留守になってしまったが、このあたりの指し手が、本局の中でもいちばん印象に残っている場面である。5図に至る途中で、△6六歩に対しては▲6四歩△6七歩成▲同銀△同竜▲6三歩成(A図)と指すべきだった。

(中略)

 最後も、▲4二飛と、つくったような詰み筋があって、苦しみながらもなんとか勝つことができた。

 やっぱり、勝ってナンボの世界。勝ち星を積み重ねて、そして見せることを意識して、ゆくゆくはすべての面において”魅せる”プロになりたいものである。そういうふうになれるかどうか、自分でも楽しみである。

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この頃のNHK杯戦の観戦記・自戦記は5頁。

そのうち3頁目の3分の2あたりまで競艇の話が続く。(自戦記全体の半分ほどの量)

屋敷伸之七段(当時)は、よほどこのことを書きたかったのだろう。

まさに、日本モーターボート選手会の外部理事として、理想的な人選だったと言えよう。

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それにしても、”恐怖のおじさん”というのがとても気になったので調べてみた。

”恐怖のおじさん”こと安岐真人選手は1945年生まれで香川県出身。

2005年に引退しているが、生涯獲得賞金額が16億9千万円。

Wikipediaによると、パンチパーマのヘアスタイルに、人を射抜くような大きな瞳。そして口ひげの風貌から畏怖をこめて「瀬戸の大魔神」 と呼ばれていたとある。

写真(左上)

”恐怖のおじさん”は、屋敷七段が独自につけたニックネームである可能性が高い。

なかなか良いニックネームだと思う。