将棋世界2003年2月号、佐藤康光棋聖・王将の自戦記「堅さが生きる」より。
11月に対局が少なかったということもあるのだが、トルコとイタリアに行ってきました。
トルコには現地に駐在している同級生が居り、いる内に一度、ということで今回実現した。
ヨーロッパとアジアのかけ橋と言われる本国、顔を見ているとやっぱりアジア、という感じがするのだが、大多数のトルコ人はヨーロッパ人と思っているという。何となく突っ張った感じで面白い。
イスタンブールはさすがに歴史を感じさせる街で素晴らしい。
またカッパドキアの有名な奇岩。一体どうすればこういう形になるのか。自然の風化によるものだそうだが不思議だ。そういうもの程美しいはずなので、我々の目の方がおかしいのかもしれない。
(中略)
イタリアへは観光もあったのだが主な目的はW杯以降興味をもったサッカー観戦。どれにするか行く前に迷ったが中村俊輔選手を見に、南部のレッジョ・ディ・カラブリアへ。海もきれいで過ごしやすい街かと思っていたのだが最近火山が噴火したり、結構大変そうだ。
アタランタとの一戦だったがさすがにサポーターの熱気がすごい。活気があっていい空気を吸うことができた。ブーイングもすごいが隣の人に仲間と分かると抱きつかれ参った。結構怖い人が多いから気を付けて、と言われたのだが全然。親切な人ばかりであった(笑)。運がいいのか、はたまたナカムゥラー(こちら的に表現)の影響か。これは分からない。
しかし最近になって何でこれが見たかったのか理由が分かった。
中村選手と似てるんですよ、私が(顔じゃないですよ)。置かれている立場、環境、プレースタイル、とかね(どこが?と言われそう)。僕の方が年長だからいい手本にならないとね!(張り合ってどうする!)
ともあれ楽しい旅であった。
しかし10回も飛行機に乗ったのはやや度が過ぎた。あまり値段が変わらなかったのでついつい。さすがに疲れる。皆さんも気を付けましょう(誰もいないよ!)。
今月は南九段との朝日オープンの一戦を振り返ってみたい。
(以下略)
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あの佐藤康光九段が書いたとはすぐには信じられないような、はじけ飛んだ文章。
読んでいて嬉しくなってしまう。
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カッパドキアと聞いてとても懐かしい感じがした。きっと高校時代の世界史の授業で習って以来、何十年ぶりかに目にする地名なのだと思う。
世界史の授業で頭に残った言葉といえば、「アウストラロピテクス」「テニスコートの誓い」「カノッサの屈辱」「ヌルハチ」ぐらいという情けない状況。
「カッパドキア」は、その次にランクされる言葉になるので、頭には残っていなかったけれども聞けば思い出す、という位置付けだ。
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中村俊輔選手の2002年の頃について、Wikipediaには次のように書かれている。
2002年5月、2002 FIFAワールドカップ日本代表への招集が有力視されていたが、代表合宿で痛めていた足首のケガが長引いたことや、当時の日本代表監督であったトルシエの選考基準に合致しなかったことなどで落選した。ケガが癒えた直後の同年7月、イタリアのセリエAのレッジーナに移籍、レギュラーを確保しプレイスキックを任され、7得点をあげてセリエA残留に貢献した。
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私はサッカーについてあまり詳しくないので、佐藤康光二冠(当時)と中村俊輔選手の置かれていた立場、環境、プレースタイル面での共通点は説明ができない。
きっと奥深いものがあると思うのだが。