最強にして最大の関西弁ギャグの使い手

将棋世界1992年9月号、神吉宏充五段(当時)の「対局室25時 大阪」より。

 NHK将棋テキストで先ちゃんと「言いたい放題」なる対談をしているが、先日の題材は関東と関西の違い。それを先崎が面白い比喩で表現していた。

 「関東と関西の違いは、そばとお好み焼きの違いだよ。ツルッとした喉ごしを大事にするのと、こってりしたソースの違い。わかるかな」なんて言っていたが、確かに関西人のギャグなんかは東京から見れば、歯に衣着せぬ言い回しがキツイかもしれない。でも、その文化に慣れてしまうと、遠回しな表現はピンとこないし受けない。

 最近は東京でも関西ブームだと聞く。吉本のお笑い芸人がどんどん進出もしているし、吉本ギャグ百連発なるビデオも売れているらしい。このビデオの中に収録されているギャグは、関西ではうだんチャンネルを回せば必ずどこかから飛び込んでくる、シンプルなギャグなので何も思わないが、東京では新鮮に映るのかもしれない。それでは、関西将棋会館の日常のシンプルな会話をご覧頂こう。

 田中魁秀九段。私の知るところ、最強にして最大の関西弁ギャグの使い手である。では2、3例。浦野六段との対局で、マッチが序盤、矢倉で▲6九玉と寄るところで1時間ぐらい考えた。指した瞬間田中先生「何や、そんな手で長考しとったんかいな。私やったらノータイムや」とやった。しかしこれは本人もキツイと思ったのか、すぐに「まあ浦野先生のこっちゃから、何か深い読みがあってのことやろなあ」。よけいキツイ・・・。

 本間四段との一戦で、勝った田中先生「体調が悪かったのに、こんな私に負けるなんてあかんな本間さん」と、ガックリきている本間四段に追い打ち。

 7月22日の私との対局では、顔を見るなり「まだ将棋指してはったんかいな。てっきり吉本か何かにいったと思てたのに」と笑顔で言って下さる。そして対局開始の時に記録係が脇息を出し忘れたのを見て「ヘボ同士の対局やから、必要ないと思てるんちゃうやろか」。

 そしてすぐ「あ、神吉君はヘボと違うと思うけど」と言い直すあたりが、いかにも田中先生らしいところ。とにかく思った事を素直に口にするのが田中流。もちろん悪気なんてこれっぽっちもないので、いつも田中先生のギャグが出るとみんな笑っている。一度「田中語録」特集でもやってみようなかあ・・・。

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昨日のC級2組順位戦、5勝1敗と好成績の高見泰地四段を破り、若手キラーぶりを見せてくれた田中魁秀九段。

過去のブログ記事で取り上げたもの含まれるが、田中魁秀九段語録を探ってみよう。

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将棋世界1992年7月号、神吉宏充五段(当時)の「対局室25時 大阪」より。

 実に神崎らしいイケイケ将棋で、攻めてるうちは我が方は詰まぬとばかりにどつきまくる。さすがに魅せてくれるが、大熱戦の行方は結局阿部に軍配が上がった。その阿部、ちょっと足をかばっているようだ。彼の師匠の田中(魁)も十分わかっているらしく「阿部君どないや、足の具合は」と尋ねる。何でも野球の試合でケガをしたらしい。

 「外野を守ってまして、ボールに飛びついたら足を挫いてました」と阿部。

 「で、そのボールは取ったんかいな」

 「落としました」

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将棋マガジン1992年9月号、東和男六段(当時)の第60期棋聖戦(谷川浩司棋聖-郷田真隆四段)第3局観戦記「驚愕の対策」より。

 第三局の対局場は棋聖戦では恒例となった有馬温泉「ねぎや陵楓閣」。

 有馬は大阪から車で約1時間と意外に近い。正立会人の田中魁秀八段ら関係者が現地入りすると、10分違わずして郷田四段と共に東京組が到着した。

「うちの佐藤がお世話になりましてぇ」。早速、魁秀先生は郷田四段へ挨拶代わりの一言。もちろん、三日前の王位挑決のことを言われている。佐藤康光六段は、今は東京在住とはいえ歴とした田中魁秀八段門下だ。

 さらに、この棋聖戦でも挑戦者決定戦は郷田~阿部(田中魁秀門下)戦だった。「ひとつくらい(弟子に挑戦権を分けてくれても)ええんちゃうかと思うて」、と本人を相手に魁秀先生の会話にはまったく屈託がない。郷田四段はただ苦笑いするばかり。

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将棋世界2003年2月号、鹿野圭生女流初段(当時)の「タマの目・2」より。

 今月は「たとえ」をテーマに書いてみたいと思います。

 先日、とっても久し振りに田中魁秀九段と仕事で、御一緒させて頂いた。相変わらず軽い口調でポンポンとおもしろい話が飛び出してくる。

田中九段「私も50(歳)過ぎて肝臓をやられてな。いや、ウィルスとちゃうねんで、自己免疫が悪さしよんねん。王さん守ってる駒が攻めてくるわけや」。

タマ「クスクス」

某若手棋士「ハアーッ」

 タマにとっては病気のたとえを将棋でする所がおかしかったのに、某若手棋士にとっては、その方が解りやすかったのだろう。妙に納得していた。

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近代将棋2006年8月号、故・池崎和記さんの「関西つれづれ日記」より。

5月某日

 大阪駅前のホテルグランヴィア大阪で、阿部隆八段のA級昇級と畠山鎮七段のB級1組昇級を祝う会。

 200人を超す参加者があり、大盛況だった。うち棋士は田中魁秀八段(阿部さんの師匠)、森安正幸六段(畠山さんの師匠)、谷川浩司九段ら25人。

 田中先生の祝辞が面白かった。二人の昇級について「畠山君は実力で勝ちとった。阿部君は棚からボタモチ」と笑わせ、「運も実力のうち。今後も頑張って佐藤康光君(阿部さんの弟弟子)とタイトルを争ってくれたらいい」と続けたのだ。

 前期B1最終局。阿部さんは抜け番で、いわゆるキャンセル待ちの状態だったが、競争相手の中川七段が深浦八段に敗れたため、阿部さんに昇級が転がり込んできた。田中先生はそれを「棚からボタモチ」と表現したのだ。率直というか、遠慮がないというか、さすがは師匠である。

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あの神吉宏充五段(当時)が”最強にして最大”と評する関西弁ギャグの使い手。

気さくで温厚で腰が低くいつも笑顔の田中魁秀九段だからこそ、そのギャグに深みが増すのだろう。

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小学生時代の佐藤康光九段は、師匠の田中魁秀八段(当時)の自宅教室に通って強くなった。

佐藤康光九段の入門時代

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「棚からボタモチ」という言葉。

棚から落ちてきたボタモチが、ちょうど開いていた口に落ちておさまること(=思いがけない幸運が舞い込むことのたとえ)を言っているのだという。

ボタモチは、おはぎとの区別が難しい食べ物だ。

基本的には、餅とご飯の中間のようなものにアンコがまぶされていると思えばいい。

私は子供の頃、おはぎが嫌いだった。(今も嫌いだと思う。ずっと食べていないので)

ご飯ならご飯、餅なら餅の道を進むべきなのに、おはぎはどっちつかずだ。

アンコのおはぎを食べると、美味しくないおにぎりをアンコで包んで食べているようで気持ちが良くなかった。

そういうわけなので私は、棚からボタモチが落ちてきても個人的には嬉しくないだろうな、といつも思っている。