谷川浩司王将(当時)、高松の夜のUFO

将棋マガジン1995年7月号、鹿野圭生女流初段(当時)の「タマの目」より。

オムニバス形式で話が続く。

飛行機

 高松で仕事があり、棋士や関係者が10人位、飛行機で高松に向かったが天候不良で大阪からの便が引き返してしまった。

神崎六段「三年振り位で飛行機に乗ったら、一時間半もタダで乗せてもらって、その上、乗った事ないのぞみにまで乗せてもらってすっごいラッキー」

高橋和女流初段「東京便も、後10分で降りられなかったら、大阪に着くって言われたんで泣きそうでした」

タマ「で、降りたの?」

高橋「なんとか。でも2時間以上かかりましたよ」

谷川王将「飛行機は、落ちる事はなかったんですが、降りる事もなかったですね」

将棋ファン

浦野六段「在来線で岡山から乗ってたらな。知らんおっちゃんが”あの人将棋の桐山さんやろ”て、聞きはんねん。でも谷川先生は知らんらしいねん。そんで、そのおっちゃん降りる時に、人の肩、ポーンと叩いて”兄ちゃん、もっと太らなあかんで”って言うて降りて行きはったわ」(ちなみに浦野六段は体重42kg、ウエスト56cmである)

そっくりさん

 朝、高松のホテルで・・・。

浦野六段「さっき座ってた女の子清水さん(女流名人)にそっくりやったねェ」

高橋女流初段「私も、声をかけそうになったんですけどそんなわけないなあと思い直したんです」

(清水女流はその日の夕方高松に来る事になっていた)

小林八段・桐谷九段「いや、本当にそっくりだったねェ」

神崎六段「たぶん、あのホテルの結婚式で受付頼まれてた女の子ですよ」

―夕方、清水女流名人登場―

清水「こんにちは」

タマ「早くから来て、結婚式の受付やってたん?」

清水「皆に言われましたけど、そんなにその人似てました?」

神崎「いえ、皆が清水さんよりかわいかったって言う中で、僕だけが、清水さんの方がかわいいって主張してたんですよ」

タマ「神埼さん、うまいなあ~」

高松の世話役さん「夕食の後、カラオケにでも行かれますか?」

数名の棋士「行きましょう」

―長沢女流三段がプロ級の腕を披露する―

谷川王将「うまい人の後は歌いにくいですねェ」

高橋・タマ「谷川先生歌って~」

谷川「最近の歌、知らないんですよ」

タマ「じゃあ、いつ頃ならいい?」

谷川「十年位迄ならなんとか」

タマ「じゃあ、ピンクレディー!!」

谷川「はあ、知ってるけど・・・」

タマ「じゃあUFOね」

(さて、その後は、ナイショ)

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将棋マガジン1995年8月号、鹿野圭生女流初段(当時)の「タマの目」より。

お返事

 谷川王将がピンクレディーのUFOを歌ったかどうか、先月号で内緒にしておいたら、質問のお便りが来てしまった。

(中略)

 さて、UFOの歌詞って谷川先生にピッタリはまってましたよ。一度御再読あれ。あ、でも振り付けはありませんでした。それと、普段の谷川先生は関西弁かとの事。答えはイエス。そりゃあ、根っからの関西人ですからもうベタベタ(ウソ)本当はちょっとだけです。

(以下略)

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今回の話は、昨年の記事「谷川浩司九段の「UFO」の元となった出来事。

谷川浩司王将(当時)のレパートリーは1985年以前の曲だったということになる。

言われてみると、私も1985年以前の曲はよく知っているが、それ以降の音楽になると全く自信がなくなる。特に洋楽がそうだ。

好きだった最後の洋楽は、1984年に日本でも流行った、デュランデュランの”The Reflex”、ワム!の”ケアレス・ウィスパー”あたりまで。

渡辺明竜王が生まれた年の曲だ。

中学卒業以来将棋から遠ざかっていた私が、再び将棋に夢中になったのが1987年頃。

私にとっては、社会人になって以降、「将棋」と「リアルタイムで流行っている音楽」は両立しないものになっているのかもしれない。

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とはいえ、今になって聴くとリアルタイムで見逃していた曲が多かったことも事実だ。

「タマの目」が書かれた1995年の曲でいえば、ZARDの「愛が見えない」は坂井泉水さんが亡くなった2007年に知った私にとっての超名曲だ。


YouTube: ZARD – Ai Ga Mienai