研究会十色

将棋世界1992年3月号、奥山紅樹さんの「棋士に関する12章 『研究』」より。

 所司和晴(五段、30歳)はここ数年定跡の最新研究を公開し続けている。

 居飛車穴熊の講座を将棋連盟支部機関誌「将棋」に2年半にわたって連載。一方、「週刊将棋」紙上発表ものを中心に「振り飛車破り」「横歩取りガイド」など、立て続けに新刊を出版し、研究成果を公表した。

 対振り飛車▲4六銀左、▲同右、右四間飛車戦法など、最新の攻略データがぎっしり詰め込まれ、同僚棋士から「企業秘密をこんなに公開しちゃっていいの?」の声も上がるほど。

 「1年を通して500局ほどのプロ実戦譜を並べます、ええ」

 しかし、殆どは棋書執筆のための研究なので「自分の公式対局には、あまり役に立っていませんねえ。棋士としてのボクの生きがいはアマチュアの方に、新定跡を伝え、普及することです」。

 千葉県船橋市に住み「首都圏の地方棋士」を自認しながらのんびりしている、とくったくなく笑う。

 その所司の目から見て、最近の定跡進歩は文字通り「三日見ぬ間のサクラ」。矢倉や角換わりの将棋は「三日変わりで最新の結論が出ています・・・プロ棋界はじまって以来の『研究の時代』が来ていますね」。

 今期竜王戦で、A級順位戦米長-高橋戦の最新定跡が、直ちに谷川-森下の両者によって採用されたのはその典型。

 「あの定跡は・・・谷川竜王も研究していましたし、森下挑戦者も米長九段と共同研究のものでしょう、たしか」

 「1ヵ月前の角換わりしか知らない棋士は、対局前からすでに苦しい。そう断言してよいでしょうね。むろん、未知の局面でも、強い人は最善手を指せますが・・・研究していると序・中盤にヨミのエネルギーを省略し、終盤にスタミナを温存しておくことが出来ます。これが大きい・・・集団研究にぐんぐんと加速度がついていますよ。『ひそかに研究していた手順』の寿命は、以前は何年かあった・・・しかしいまはわずか1週間で終わる。それぐらい研究スピードが早い」。

 佐藤康光(五段、22歳)、中川大輔(五段、23歳)、羽生善治(棋王、21歳)、森下卓(六段、25歳)、小林健二(八段、34歳)、阿部隆(五段、24歳)、杉本昌隆(四段、23歳)―年間500局を並べながら、「この人はよく研究しているな」と所司が直観した棋士群である。

(中略)

 指していて同一局面になる。このような現象が増えるのは、将棋の進歩か?

 小林宏(五段、29歳)も、ちらりとそう思うことがある。

 「相矢倉戦で、一昔前ならば序盤の24手から28手ぐらいが同一手順。あるいは同一局面。それはありましたが・・・いまは中盤の小競り合い、50手ぐらいまで同一局面という将棋がめずらしくない・・・指しながら『どこかで見た形なだあ、個性のない将棋だなあ』と感じている」。

 「しかし、ムリにあっちこっちの共同研究の結果と違う手を指すと、ひどい目に遭う・・・いまは研究情報がそれぐらい早く、正確です。武市三郎(五段、37歳)さんの力戦型、児玉孝一(六段、40歳)さんのカニカニ銀・・・独自の道を行く棋士が少なくなった」

 小林プロが参加する研究会は3つ。

 中村研(中村修、神谷広志、大野八一雄、小林宏)と四人研(中田宏樹、石川陽生、小野敦生、小林宏)、それに真部研(真部一男、大野八一雄、小林宏)。

 午前10時から夕刻まで。実戦でぶつかり、敗者は一局2000円~3000円を支払い、勝者は1000円~3000円を取る。チェスクロックを使い、1日2局から1局・・・が、この種の研究会の形式である。

 が、真部研だけは違う。月に1回。午後2時から6時まで。しかし実戦は指さない。最近自分が指した将棋を並べ、疑問に思っていることを吐き出す。それを元に三人の棋士が議論する。将棋の本質は何か、局面の急所をどこに求めるか?

 「◯◯五段と☓☓七段の一局では」と小林が報告。「誰と誰が戦ったかは問題ではない。ここでどう指すのかが、問題だよ・・・」と、真部師匠が言う。将棋に対する姿勢、その原点をたがいに確認する。一冊の本になるようなユニークな研究会。

 これにくらべて中村研、四人研の方は、あっと言うような実験の手がとび出す。大胆な問題提起の変化が追求される。

 「ぼくらの研究会だけではなく・・・他の研究会でもそうだと思う。踏み込んだ指し方は研究将棋で・・・言い方を変えれば、毎月100局から200局ほど戦われている研究将棋の方が面白く、華々しい・・・公式戦で指されるのは、研究会の結論手順だから、結局は渋い手順、『悪くしない手順』の連続、それが公式戦の棋譜だとも言えます・・・」

 小林には1歳と4歳の子どもがいる。家で盤・駒を持ち出すと1歳の子が寄ってくる。ひざに乗る。落ち着いて盤に向かうことが出来ない。

 「結婚すると後では、将棋研究の量は半分になりました。しかし反面で、自分の健康管理とか、精神的なくつろぎ、気分転換などの面で、結婚は大きなプラス・・・いま20代前半の若手もやがては結婚します。条件は向こうもこっちも同じです」

 世帯持ちの棋士であなたの見るところ、研究家は誰?

 「米長邦雄(九段、48歳)研究会の存在は大きい・・・それと田中寅彦八段(八段、34歳)、青野照市(八段、39歳)両棋士は相当の研究を積んでいますねえ・・・棋譜を並べていて、そう直観します」。

 数ある研究会の中で、もっとも先進を切っているのは「島研」である。

 島朗(七段、28歳)を中心に、羽生・佐藤(康)・森内と棋界のサラブレッドを集め、これ以外のメンバーを入れず加えずの研究活動は、厳重な㊙に包まれている。

―将棋の終盤はつまるところ28通りのパターン(図式)に分類される、との羽生研究を軸とした徹底分析が、コンピュータを使っておこなわれているらしい・・・。

―相矢倉の序盤で先手が▲2六歩のまま▲2五歩を保留すれば、後手は何通りの序盤変化を考慮しなければならないか?また▲2五歩と伸ばした場合はどうか?をコンピュータを駆使してデータ研究しているようだ・・・。

―いや、最近は「合駒と逆転の関係」を、過去の棋譜データを総索引して徹底分析しているらしい・・・。

―なに、多忙な人気棋士ばかりだから、月に一度の研究もままならないのが本当のところだろう。なんら恐るるに足らないよ・・・。

 うわさがうわさを呼び、いっそう謎めく「島研」で、ただ一つはっきりしているのは、「研究終了後の会食、飲酒はなし」の大原則だけ。研究が終われば「じゃあ、またね」と、さばさば分かれる。

 こうした研究会のありようを、所司和晴は

 「多くのメンバーを研究会に入れると研究情報が広がるので損。優秀な人ばかりを集めると、研究レベルが高くなり、最新の研究成果が他にもれず、トク。人間どうしの飲酒交流はムダ、と割り切る合理性はいいですねえ」

 と評価する。

 一方、小林宏は

 「研究会が終わったのち、会食ナシ、飲酒ナシ、雑談ナシというのは、研究会の中身が真面目で真剣なムードであることの証明」

 と評価はするが、「じゃあ、またね」は淋しすぎる。「研究が終わったのちの雑談は、棋士人生にとって、プラス・アルファがある」と見る。

—–

この当時の島研は、かなり神秘的な雰囲気で捉えられていたようだ。

噂が噂を呼び、もっと謎めくというのは大いにあることだ。

—–

真部研もかなり神秘的に見える。

—–

プロ棋界の研究会の始まりは、1963年の頃、山田道美七段、富沢幹雄七段、宮坂幸雄五段、関根茂六段によるもの。(段位は当時) 

その当時は「グループで研究などしても実にならない」など批判的な意見も多かったという。

—–

玲瓏:羽生善治 (棋士)データベースには、羽生善治三冠が所属した過去から現在に至るまでの研究会およびそのメンバーが一覧となっている。

このような、全棋士の研究会・メンバー一覧というようなものがあれば、本当に面白いと思う。