将棋世界1993年3月号、鈴木輝彦七段(当時)の「対局室25時 東京」より。
特別対局室は先崎-加藤(一二三)戦で7図。こちらも棋聖戦の二次予選決勝で観戦記者がついていた。
7図から△7四同銀が普通だが加藤先生は長考していた。△同銀なら手が決まって判り易い。以下、▲8五桂△7五歩▲8六歩までは必然で△8七角(参考1図)とすれば後手が指せるのではないかと愚考した。
再開後、60分の長考で△6二銀右と自重された。局後、真っ先に参考1図を訊くと、図からの「▲6四歩を気にした」と言われた。△同歩や△同銀は▲8八飛(参考2図)で角が詰む(△6九角成は▲8九飛。△6五角成は▲6六歩)。とにかく、よく読んでいるものだと感心させられた場面である。
この組み合わせは以前にもあった気がしたが、何か今日は違っていた。この対局は、館内放映で見れるから記者室で指し手が判る。いつもならテレビの一手を見て部屋に戻る先崎だが、ほとんど盤の前を離れる事がなかった。前の結果は知らないが、取り組み方は変わっていた。これも新年の効果かもしれない。だとすれば新年も大切な気がしてくる。
(中略)
4時に5階から降りてくると、8図が映っているところだった。
本譜の△同飛よりも△同桂のほうが良かったようだが、△同桂を指さなかった理由がいかにも加藤先生らしいなと思った。△同桂以下は、▲7四歩△3五銀▲7三歩成△4六銀▲8三と(参考3図)と進むが、この変化は私でも読める。
違うのは参考3図から△8五桂の妙手を読んでいた事だ。△8五桂に▲9二とは△7八歩成でつぶれる。▲8五同歩に△9五飛と逃げて断然いいように見えるが「次の▲8四と(参考4図)が何とか流でイヤだった」と感想を言った。
「何とか流って誰ですか」としつこくよけいな事を訊くと「え、そう大山流でね」とニッコリ笑った。
この▲8四とのような大山流のじっと指す手にさんざん苦しめられてきたのだろう。
先崎の方は何の感傷もなく「▲8四とじゃ△7八歩成▲同飛△9九角成で悪いでしょう」と言ったが「▲7二飛成で」と加藤先生はこだわった。
この変化は確かに先崎の言う通り後手がいいように思う。が、心理的な抑圧を受ける一手というものもあるのだ。それ程怖くもない▲8四とであるが、加藤先生には恐怖だったのだろう。
こんな所にも大山将棋の強さを見るような気がする。二上先生の将棋にもこんな側面があったのかもしれない。
未だに「死せる大山、生ける加藤を走らす」」といった趣がある。ただし、8図からの△9三同飛も悪手ではなく形勢を損ねるという事はなかったようだ。
(以下略)
—–
徹底的に大山康晴十五世名人に苦しめられた加藤一二三九段。
加藤一二三九段との対局ではないが、大山十五世名人がいかに激辛ないたぶり方をしていたかの事例がある。
相手にとって早くとどめを刺してほしいような局面で、スパッと行かずに、じわじわと竹のノコギリで首を切るような仕打ちをする。
何度もこのようないたぶられ方をしたら、恐怖の刷り込みができてしまうことだろう。
—–
私には苦手な食べ物がいくつかある。
里芋、山芋、きゅうり、生のトマト、レバーなどの内蔵系、ホヤ、ナマコ、など。
この中で、トラウマ的に嫌いになったのが里芋。
小学校低学年の時、給食でけんちん汁が原因だった。
その頃は、ひじきなど給食で出てきて初めて知る食材がいくつかあったのだが、里芋もそのうちの一つ。
けんちん汁に入っている灰色っぽいものを口に含んだ時の衝撃は忘れられない。
あの独特なヌメヌメ感と歯ごたえと香り、全てが気持ち悪く感じ、泣きそうになったものだった。
後になってそれが里芋であることを知ったが、それ以降、給食でけんちん汁が出る日はとても憂鬱だった。けんちん汁にはほとんど手を付けず、パンと脱脂粉乳だけを飲食するのみ。
子供の頃は食べられなかったけれども大人になって好きになったじゃがいも、白菜などもあるが、里芋などは大人になってからも苦手なまま。
私が里芋が入ったメニューをいまだに敬遠するのと比べてはバチが当たるが、加藤一二三九段が▲8四とのような手を嫌ったのは、とても気持ちが理解できる。