坊主頭の村山聖七段(当時)

将棋世界1994年2月号、鈴木輝彦七段(当時)の「対局室25時 in 東京将棋会館」より。

 特別対局室に入ると一瞬ドキリとしてしまった。村山君が一人考えているだけで何故だか判らなかったのだが、少しして村山君の頭のせいだと理解する事ができた。

 なんと、あのボサボサの長髪を切って7・3に(この方が驚くか)ではなく、丸坊主にしていたのだ。

 棋士の丸坊主にも色々あるけれど、これ程迫力のある坊主頭というのもないような気がした。櫛田君の時はその筋の人と間違われたと聞いたが、村山君のは「◯◯入道」といった感じに見える。

 打ち上げの席で村山君に理由を訊いてみたが、「単に切りたかっただけ」という事らしい。対局者の米長先生はもっと驚いた事だろう。リアクションを見れなかったのが残念である。

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将棋世界同じ号、神吉宏充五段(当時)の「対局室25時 in 関西将棋会館」より。

 11月28日は名古屋の親友・中山則男四段の結婚式。新婦の絹恵さんとは大恋愛の末結ばれた。

 このめでたい宴に、棋士も多数出席、同門、師弟筋は別としても、西から谷川王将、南九段、村山七段、井上六段、他多数。東から伊藤(能)四段、豊川四段らが二人の門出を祝った。

 その中山四段は関西奨励会に在籍していたが、関東では怖い兄ちゃんで通っていたらしい。

 出所は伊藤(能)四段。何でも、中山が土佐犬を飼っていて、ふざけて首を絞めていたのをマジで聞いて、知らぬ間に「土佐犬を絞め殺した男」と皆から畏れられていた。

 本当は気のいい兄ちゃんとわかると、慕われたようだが・・・噂はコワイノウ。

 ところでこの披露宴に、あの裸の大将こと山下清さんが顔を見せた。ん、でも本物ではないのであしからず。

 さて、最近髪を切ってベレー帽をかぶった姿がそっくりの棋士とは?

 1.わたし

 2.南九段

 3.村山七段

 さて誰でしょう。何、こんな簡単な問題すぐわかるってか。し、失礼しました。

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村山聖七段(当時)は、決まった理容店へ行っていたようだ。

森信雄七段の写真ブログに、当時の村山七段が通っていた理容店の方がコメントを寄せられている。(頁の下の方)

村山聖九段の命日(森信雄の写真あれこれ 2006年8月8日)

この理容店は、故・村山九段が通っていた大きな病院内にある。

来る時は、どんなに髪の毛が伸びていても、髭剃りとシャンプーだけということが多かったようで、たまに散髪する時の注文の仕方は、「は~適当に」。

坊主にする時は、初めて注文を付けた時かもしれない。

村山七段は、この後、東京に住まいを変えることになる。