将棋世界1994年1月号、佐藤康光七段(当時)の第6期竜王戦〔羽生善治竜王-佐藤康光七段〕第4局自戦記「激闘を制す」より。
正念場だが・・・
私の1勝2敗で迎えた第4局。私にとっては落とせない、正念場の一局なのだが、羽田空港への足取りは重かった。
今期はここまで自分でも信じられないぐらい絶好調。棋士になって7年目を迎えるが恐らく最高の出来と思う。
しかし、11月に入ってから4連敗。いつか勝ち過ぎた反動がくるとは思っていたが、たて続けに大きい将棋だっただけに参った。特に順位戦の対中村八段戦は1敗同士の決戦で、順位戦の昇級は今年の目標の一つだっただけに遠のき、かなりぐったりときた。
7月から週に2局ペースで対局がついている。対局過多で疲れがあるのではと言われたりもしたが、私の場合はこれだけ対局があるのは棋士としては最も名誉でとてもありがたい事であると思うのでそういう事は全く心配ない。
ただ、負けがこむと疲れる様だ(これは他の棋士も同じと思うが・・・)。
順位戦の終わった翌日、いきなり自戦記を依頼されかなり迷ったが、良いプレッシャーになればと思い、引き受ける事にした。
機中、スチュワーデスさんにコーヒーを浴びてしまうハプニングがあったが、これで厄払いも済んだかなと思っている内に三沢空港に到着した。
羽生竜王のこと
今回の対局場は青森県三沢市の「古牧第三グランドホテル」。何でも古牧温泉は温泉百選の第一位なのだそうで日本一広いといわれる岩風呂には驚いた。
いつもながら歓迎の前夜祭の盛大なのには感心させられる。全く対局者冥利に尽き、ありがたい事である。
今回のタイトル戦、羽生竜王と顔を合わせるのは公式戦では昨年の竜王戦の挑戦者決定戦以来であるから約1年ぶりの対戦という事になる。
羽生竜王とはよく「島研」の事を言われ、ファンの方などから一緒の研究仲間で手の内が分かり過ぎていてやりにくい事はないかと聞かれるが、私は全くそういう事は感じない。
最近は皆忙しいせいか研究会は全く開かれていないし、1年前の羽生竜王とは実績、周囲の目等を考えても全く変わったと言ってよいと思う。
もっとも私も少しは変わっていると思う。よって本当に1年振りの対戦で新鮮な気持ちで戦えると思っていた。
(以下略)
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機中でコーヒーを浴びてしまうということも、なかなかあることではない。
確率的にはどれくらいなのだろう。
東京-三沢便が1日往復6便、1便あたり150席として、1日延べ900人。
1日に1人、コーヒーを浴びていたとして900分の1の確率。
1日に1人、コーヒーを浴びるとはとても思えないので、気流の急激な変化などで半月に1人(これでも多いかもしれないが)として、13,500分の1の確率。
これは年末ジャンボ宝くじで大晦日特別賞(5万円)が当たる確率の更に4分の1の確率だ。
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両対局者、正副立会人、記録係、読売新聞関係者など10数名はいた中で、よりによって佐藤康光七段(当時)だけがコーヒーを浴びてしまうという不運。
佐藤康光七段が、厄落としと前向きにとらえたのが良かったのか、この第4局から3連勝して、佐藤康光竜王の誕生となる。
羽生善治五冠(当時)はここまで、一冠→二冠→三冠→四冠→五冠と歩んできたが、四冠に後退。
五冠への復帰は、この竜王戦の翌年(1994年)の名人戦で、六冠は同じ年の竜王戦奪還、七冠達成はさらに翌々年の1996年の王将戦でのこととなる。
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佐藤康光九段が20~30代の頃は、メガネが壊れたり、メガネが波にさらわれたり、ゲームで大敗したり、運転免許が減点されたり、小さな災難が続いていた印象があるが、
- メガネのレンズが落ちた後、早指し新鋭戦優勝(1991年)
- コーヒーを浴びた後、竜王位奪取(1993年)
- オーストラリアの海の波にメガネをさらわれた1年後、名人位を奪取(1998年)
- オーストラリアで買ったメガネが棋聖戦第1局の最中に突然壊れてしまうが、この五番勝負で棋聖位を奪取(2002年)
と、歴史的には、小さな災難の後にはタイトル奪取・優勝が続いていたことがわかる。