将棋世界1994年4月号、中田功五段(当時)のリレーエッセイ「待ったが許されるならば・・・」より。
待ったが、許されるならば・・・。
この題名を見れば過去の事を思い出すのが自然だが、私の場合、あまり印象に残る将棋がない。
大きな勝負を経験していないせいもあるけれど最近、負けた時の悔しさが薄れている様な気もする。
棋士になって8年、私生活も相変わらずだが、最近変わったのは、2年間一緒に住んでいた弟が、去年博多の実家に帰った事ぐらいだろう。
住み始めた頃は、弟とは上京して以来10年ぶりにまともに顔を合わすのでお互いに気を遣っていたと思う。
掃除と洗濯は弟がまとめてやってくれるし、対局の前の日はおとなしいので、部屋のせまさをのぞけば、私に不服はなかった。
しかし、会社員で毎日仕事に行ってる弟に対して、私の方は対局日以外は家で外で遊んでいるので、弟は不思議がった。
「お兄ちゃん、仕事は?」
「今日休み」
「じゃあ明日は?」
「明日も休み」
「いつも休みじゃん、掃除ぐらいしてよ」
たまに私が外出する時は、2日間帰らなかったり、夜中や朝、帰ったりで、弟は気の休まるひまがない。
弟「電話ぐらいしてよ。・・・オレも棋士になればよかった」
弟は一度だけ博多の将棋道場に行った事がある。年下の子供に負かされて一日中、悔しがっていた。
本人自体は将棋が好きみたいで、会社から帰ってきてこう言った事がある。
「お兄ちゃん、会社で昼間、オレの嫌いな上司が将棋指しよっちゃけど負かしてくれん。三段て言いようけどお兄ちゃん五段やろ」
私は、棋士が(兄が)どのくらいエライか教えようと日曜日にNHKを見せた。
弟は先崎君と名前(学)が同じで顔見知りでもある。
「あっ、先ちゃんだ」
「先崎優勝したんだぞ」
「ウソー、賞金いくらぐらい」
「えーと、このぐらいかなあ」
「へー、お兄ちゃんは出とらんの?」
「・・・(早指しなら出ていたのに)」
「お兄ちゃんガンバらなオレも苦しいよ」
この日が一日中、不愉快だったのは、今でも覚えている。
対局日を弟に教えると、終わって変えれば必ず結果を聞かれる。勝った時は当然の様に答えるが、負けた時は聞こえないふりをした。すると、テレビを見てタバコをふかしながら、
弟「オレも苦しいよ」
次男の弟に私の気持ちは解らないだろう。
12月のある日、弟が掃除している日があった。私が竜王戦の対局を前にひかえた日で、その掃除はいつもより丁寧で本を読んでいる私にはうるさすぎた。
「オイ、明日対局だぞ」
こう言えば、弟は私の支配下におさまるはずだった。しかし弟は手を休めずに、こう言った。
「オレは明日クリスマスや」
予期せぬ答えに意味を考えていると、
「お兄ちゃん明日何時に帰ってくると?」
「あん?・・・明日は一応5時間だけど夕方には終わるかもしれん」
「あんまり早いとオレ困るけん、明日帰ってこんでいいよ」
「・・・(なにい)」
そして竜王戦の対局。昼休前に両者居玉のまま飛角銀総交換という局面を作りあげ、北村先生に惨敗してしまった。
時計を見ればまだ3時前なのにはしびれた。仕方なく、夜中の12時に家に帰ってみるとすでに弟は、フトンをかぶって、寝ていた。なぜか頭にきた。
またある日、正月は弟だけ先に実家に帰るという日に、私な念のために言った。
「学、親には何も言うなよ」
別に何も私は悪い事をしていないが、親はいつも心配ばかりしているので気を遣えという意味だが、弟は正直者である。
「オレは本当の事しか言わん」
実にそれが一番困る。やっぱり親が一番コワイ。
「学、これ電車賃」
「解った。何も言わん」
やはり弟は正直者だった。
弟は東京の水が合わなかったのか会社をやめて今、実家で元気にやっているようだ。
私の方は、部屋が広くなった分、ゴミがふえた。洗濯と掃除の時だけ弟を思い出す。
またいつか一緒に競馬をやったりする日があるだろう(やってもしょうがないけど)。
それまでに弟や家族がテレビで見れるぐらいは将棋の方をがんばりたい。
自分らしく。
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中田功七段のエッセイは面白く、ペーソス漂う雰囲気も印象的だ。
8年後の将棋世界で書かれた自戦記「自分らしく」も、中田功七段らしい文章。
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口封じのために、弟さんに福岡までの交通費をプレゼントする中田功五段(当時)。
中田功五段は、1994年に大阪で行われたアマプロ早指しオープン戦(優勝賞金50万円。参加費5,000円を払って出場する方式)に自らも参加するとともに、出場すれば優勝候補と目される早指しが超得意な奨励会員に声をかけ、大阪までの交通費を負担している。
その奨励会員が優勝した時には、中田功五段が10万円もらえるという握り。(しかし、二人とも予選落ちで、賞金獲得の目論見は崩れる)
自分以外の人の交通費を負担するのが大好きだったのではないかと思えるほどの中田功五段。
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今日のNHK杯戦、田村康介七段-稲葉陽七段戦の解説は中田功七段。
1994年に中田功七段が東京-大阪間の往復運賃を負担した、早指しが超得意な奨励会員というのが田村康介三段(当時)。
昔から二人は、何度も一緒に遊びに行ったりしているのだろう。
今日の中田功七段の解説も楽しみだ。