将棋世界1994年5月号、河口俊彦六段(当時)の第52期A級順位戦プレーオフ〔谷川浩司王将-羽生善治棋聖〕観戦記「牙をむいた天才」より。
楽しみは尽きない、と書いて、『将棋マガジン』誌、A級順位戦最終戦の観戦記の結びとした。
考えてみると私はおっちょこちょいな男で、書いているとき、米長対羽生の名人戦になると思い込み、プレーオフがあるのを忘れていた。
もし谷川が挑戦者になれば、あれはおかしな文章で大恥をかくところ。軽率だったと反省します。
しかし、言い訳をさせてもらえば、将棋界の流れが羽生名人誕生へと動いていたこともたしかである。昨年の夏、羽生がすごい勢いで勝ちまくっていた頃の、どうしようもなく強い、人間も完璧だ、名人は確実、の雰囲気はまだ残っている。秋になって竜王位を失い、棋聖戦、順位戦で調子を乱す場面もあったが、そこをしのぎ終わってみれば筋書き通りに進んだことになる。
そもそも、名人位をめぐる争いは、筋書き通りのドラマなのである。あるときから私にはそう思えるようになった。
戦後の名人戦の歴史をざっと見れば、大山、升田が名人になってから、1972年に中原が大山を倒し、1982年に加藤が中原を破った。奇跡の名人は1年しか名人位を維持できず、翌年には史上最年少の谷川名人が誕生する。そして1993年に50歳の米長が名人になった。ほぼ10年ごとに新名人が誕生している。
これに歩調を合わせて、1954年に加藤一二三が四段になり、1963年米長・1965年中原・1976年谷川・1985年羽生とそれぞれ四段でデビューしている。名人になるべき天才は、10年に一度現れるのだ。
今期は、加藤と谷川が対戦したときと状態が似ているではないか。
ま、筋書きといっても、他に根拠があるわけでもなく、地震周期説ほどの信憑性もないが、とにかくそういうことになっている。
ところが、ひょんなことから、今度の名人戦は、筋書きのないドラマになってしまった。
その発端は、A級順位戦の8回戦、羽生棋聖対中原前名人戦であった。
朝、先に対局室に入った羽生が床の間を背に坐った。遅れて入った中原は、それを見て瞬間ムッとしただろう。もし、中原の方が先に来たなら、上座に坐っただろうから。しかし、その場はニヤリとして済まし、対局が始まった。
棋士達や、関係者がすぐに気がつき首を傾げたのはいうまでもない。羽生がタイトルを持っている棋戦は、羽生上座が当たり前だが、順位戦なら、中原の上座が自然というものだ。
いろいろ議論が出てにぎわったが、羽生はうっかり坐ったんだよ、で、この日は終わった。
そして最終戦。注目されているのを知ってか知らずか、羽生は谷川に対し、またも上座をしめた。規定は、順位優先で谷川が上座ということになっている。
今度は傍の議論がすこし変わった。羽生がちょっとおかしい、と言うのである。
将棋村という所は、なにかと気を遣わないと住みにくくなる。異端めいたことを言ったり、やったりすると、いい目で見られないのだ。過去にもパッシングがあったことは、事情通の読者なら、とっくにご存知だろう。だから、師や先輩は「嫌われたら損する」と教え、若手棋士はみんな優等生なのである。将棋も強いが人柄もよい、と言われなければならなかった。
羽生もそうした優等生の一人であった。上座か下座かで、角を立てるなど、考えられない。下座に坐るなど、若者にとってプライドを傷つけられることではない。中原のときに気がつき、次の谷川戦で下座に坐れば、何事もなかった。
何故、また上座に着いたのだろう。なにも気がつかなかったのだろうか。それとも、自分は四冠王、のプライドがそうさせたのか。
感じから言うと、何にも知らなかった、とは思えない。対局室に入れば、どんな棋士でも、周りの気配に敏感になる。中原や谷川の気持をすぐ読み取ったはずである。それで、なお上座を譲らなかったのなら、その気持が判らない。
また、知らないでいたのなら、その図太さは大したものである。加藤一二三・大山康晴とは違うタイプの超大物と言わねばならない。
米長名人も、『週刊文春』のコラムにこの出来事を書いた。批判的というわけではないが、こういった類のことを書くのが、将棋界では珍しい。
ともあれ、周囲の羽生を見る目がちょっと変わったのである。羽生は単なる優等生じゃない、怪物が正体を現しつつあるのではないか、と感じはじめた。
と、ここまでが前書き。千駄ヶ谷村ではこのようにかんぐり、憶測で物を言ってはいけない、ということになっている。名人位と対局者の品位を落とす、の非難もあろう。それを承知で、プレーオフを野次馬観戦記として書く。百倍はともかく、十倍はおもしろく見れると思うからだ。
予想していた場所
はたせるかな、羽生は上座に坐っていた。
「谷川より先に着いたね、和服で、さっそうとしていた。カメラを構えて横位置から見ると、ちゃんと様になっている。たいしたものだ。谷川さんの方は、おもしろくなさそうな顔をしている。そのとき思ったね。なぜ「そこはオレの席だ」と言わないんだと。まったく歯がゆい。もし谷川さんが負ければ、朝、勝負がついていたんだよ」
弦巻カメラマンが興奮して、有様を語ってくれた。
私もまったく同感。升田、大山はもちろん、若い頃の中原だって、大山と対したとき、強烈に自己を主張した場面があった。そういう話はくわしく伝えられていないだけだ。
1図は、羽生が△3五歩と仕掛けた局面。
▲3五同歩なら、△7六歩▲同銀△3六歩▲同銀△5四角の両取り。で、手順中、▲7六同銀のところ▲6八銀と引き、△7五銀と出る展開になった。
後手は棒銀を好所にさばいたが、先手も▲3四歩△2二銀とへこませたから、いい勝負なのだろう。
谷川はうつむきがちに静まりかえり、羽生の顔は青白く、乾いていた。
谷川の乱れ
関西将棋会館も東京と同じだ。6時すぎからファンが集まり出し、2階の速報会場は、満員確実である。様子を見に行ったら、受付で「今日は特別の日なので入場料をいただきます」と奨励会員に言われ、あわてて退散。
控え室では、ボチボチ研究が始まっていた。ここでの大将は、阿部六段。彼もそういう格になったのだ。大盤解説役の村山七段は黙々と下調べをしている。2図が夕食休みの局面だが、▲8八角は決め手にはならぬらしい。
村山の相棒役は伊藤博文五段で、職員に、記事には出ないようなウラ話をサービスして下さい、なんて言われて弱っている。やりとりが延々とつづいているのを聞いているうち、つい「じゃあ僕がしゃべってやる」と言ってしまった。
そして、8時ごろから約30分、前に書いたような話をした。それはいいとして、うかつだったのは、関西将棋会館なのに、谷川について語るのを忘れてしまったこと。また同じ言い訳をするが、大方のファンが、谷川に声援、という雰囲気でなかったこともある。
(中略)
羽生対谷川戦が3図まで進んだのは午後9時から10時ごろの間だったと思う。この局面が、二人の運命を決めた。
△2六角がやや意外だったが、これに対し、▲3六銀打と上に銀を打って受けるもの、として以後が研究されていた。
対局を終えた井上六段に、淡路八段、神崎五段、平藤四段、まだまだたくさん居たような気がするが、誰一人、▲3八銀打と下から受ける手がいいと言った棋士はいなかった。考えて見るが、すぐ捨てる筋である。
それを谷川はやった。日頃の格調の高い谷川将棋では考えられぬ手を指したところに、運命を感じる。
もし、朝、口で言うのが嫌なら、30分も前に来て上座に坐る、という気構えがあったなら、▲3八銀打という手ははなっから浮かばなかったろう。
△3六歩と打ってからは、獲物に飛びかかる豹を思わせる殺到ぶりである。
4図、2枚の桂が見事にさばけ、これでは中原でなくとも得意になる。
どうでもいいことだが、変化を書いておく。3図で、▲3六銀打と受ければ、△2四桂▲2七歩△1五角▲1六歩△3六桂▲同銀△2四角で、まだ大変だった。
(中略)
変貌する瞬間
谷川対羽生戦は収束の段階に入っている。それをちょっと見て控え室に戻った。
さすがに谷川を応援する棋士が多く、静かになっている。
(中略)
そんなところに淡路が「引っくり返ったのと違う?」と駆けこんで来た。
7図、▲7一銀とかけ、一見して勝負の形になっている。しかし、それもつかの間だった。やはり羽生が勝ちなのはすぐ確認された。7図で、いったん△7二金と受けるのが冷静。その次△4六角が攻防となっている。
終わりが近いと見て対局室に入った。
羽生は別人のごとく明るくなっている。△5八銀(8図)からは詰めの手順だが、この手を指したときは、モーションをつけ、どんなもんだいと手が踊っていた。真偽は判らぬが、前から谷川は、羽生の感想戦のときの駒を動かす手つきが雑だと気にしていたそうだ。それで、目の前で手を舞わされては・・・。
△7九桂成が指された所で、谷川は手を止めた。視線は膝の上に落ちている。一分、二分、三分。まだ投げない。谷川の残り時間がすくなくなり、記録係が、残り時間の表に、一分ごとに棒を引いて行く。羽生はそれを見つめている。そして一本引かれるごとにちいさくうなずいた。
私は長い棋士生活で、はじめて棋士が変貌した瞬間を見たと思った。
午後11時42分、谷川が投げた。しばし沈黙の時間があり、勝利の第一声は「銀を上に受けられたら(▲3六銀打)難しいと思いました」であった。当たり前の感想だが、このときは、勝負はあそこで終わり、以下は私の勝ち、と言っているように聞こえた。
見るべきものは見た、そう思い、報道陣と入れ違いに対局室を出た。
がらんとした控え室に腰をおろし、ぼんやり5年先の将棋界を想像した。そのとき、谷川が今のような有様では困ったことになる。どうしたって、羽生と拮抗する棋士であってもらわなければならない。ところが、この1年、ことごとく羽生に叩かれた有様を見ていると、5年後が明るいとは思えない。
羽生が勝ちまくっている有様を
「たとえて言えば、バレエのプリマドンナが四肢をいっぱいに伸ばした姿を思わせる。繊細完璧なバランスに感嘆させられるが、それゆえの不安を感じさせる。そのポーズを長く保つことはできない」と書いた。(将棋マガジン5月号)
対して谷川は、かかとを地につけ、正しい姿勢で立っている。それだけで美しく様になっているのは、天性の資質である。
ただ見ている側には、もう一つつま先立ちしてもらいたい、の物足りなさがある。バランスを崩すかも知れぬのを、恐れないでもらいたい。今や、羽生の不安さはなくなっている。名人挑戦者になった瞬間、変わったのだ。
もう、優等生がよい、それが賢い生き方、という時代ではなくなったのではないか。いや、変わったわけではない。昔から升田にせよ大山にせよ、第一人者たらんとする者は強烈に自己主張したのである。
私もそうだが、負けて谷川ファンは急増した。変身のよいきっかけと思うのだが。
(以下略)
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将棋世界同じ号の、大崎善生編集長(当時)の「編集部日記」より。
3月18日(金)
プレーオフ。本誌は河口六段を派遣した。羽生棋聖はまたも上座。棋士道に反するという棋士、もっと謙虚になるべきという声、生意気だという将棋ファン。本当にカンカンガクガクの三連続上座だ。しかし、羽生は勝った。私はとにかく勝ち抜いていくその力と意志の強さに驚くばかりである。当日の写真を見ると、谷川王将は明らかに怒っている。その前で羽生がリップクリームを塗っている写真。どうだ、とばかりにふん反り返っている写真。どれもこれもに激しい戦いのドラマを感じる。迎え撃つ米長名人ももちろん、一世一代の勝負をかけてくるだろう。なり振り構わずに火のように名人を奪いにいく羽生に、どのような戦いを見せてくれるのだろうか。
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羽生善治四冠(当時)が完全にヒールとして見られている。
現在の棋士の序列は、この頃と違って、
- 竜王、名人(名人、竜王のタイトル保持者が異なる場合は、タイトル保持数が多い棋士が上位。同じ保持数の場合は棋士番号が小さい棋士が上位)
- その他のタイトル保持者(タイトル保持数が多い棋士が上位)
- 現役襲位の永世名人
- 現役襲位のその他の永世称号襲位者
- 前名人、前竜王(名人、竜王を失ってから1年間だけ名乗れる)
- 永世称号の有資格者
- 段位(同じ段位の場合、先にその段位になった棋士が上位)
となっているので、現在であれば、羽生四冠の座る場所に全く問題はない。
そういう意味では、羽生四冠の座り方は時代を先取りしていたとも言えるのだが、この時代の空気はそうではなかった。
羽生四冠がなぜ上座に座ったのか、その理由は明日の記事で。
(つづく)