将棋マガジン1990年1月号、河口俊彦六段(当時)の「対局日誌」より。
アマチュアでは振飛車の愛好家が多い。それに対して、プロの振飛車党は年々すくなくなりつつある。勝つことばかり考えていいのだろうか。
そんななかで、羽生が時々ではあるが、振飛車を試みるのは頼もしい。青野を四間飛車で破った一戦など、一刀両断、それは見事なものだった。
この日も、加藤流振飛車破りに挑戦して、意欲あるところをしめしている。
4図は、加藤定跡で、△6四歩を△3一金に代え、▲3五歩△同歩▲同飛△3二飛の形は、数多く指されている。
加藤に対し、中飛車に振れば、4図になるのは判り切っているから、羽生は対策を考えて来たのに違いない。受験勉強でヤマをかけるのと同じである。
〔4図からの指し手〕
▲3五歩△同歩▲同飛△4五歩▲3八飛△8八角成▲同玉△5五歩▲同歩△4六歩▲4四歩△同銀▲4一角(5図)
仕掛ければ、5図までは一本道。▲4一角と両取りに打って、先手成功かに見えるがそうではない。大内なら、「問題にならない」と、喜んで中飛車側を持つだろう。
〔5図からの指し手〕
△6五角▲5二角成△3八角成▲6一馬△同銀▲4一飛△4三角▲5四金△5二角▲4四飛成△4七歩成▲3五竜(6図)
△6五角が用意の手。こんなに上下によく利いた角を打てれば、たいてい後手よしとしたものだ。
この後、△4三角と受けるまではノータイムの応酬。少考の▲5四金に、羽生は、はじめて考え込んだ。ここまで39分しか使っていなかったのである。
長考57分で、△5二角。最後まで見当をつけたのだろう。△4七歩成となっては、はっきり後手よしである。単純明解に、先手不利になる。加藤ほどの天才が、なぜこの指し方にこだわるのだろう。そこが判らない。
もうすこしだから、定跡講座をつづける。
6図が注意すべきところ。うっかり、△5八と▲3八竜△6九と▲3二竜。これは後手負ける。冷静に△3九飛がよく、▲5九金引と受ければ、△3四歩で後手がよい。
〔6図からの指し手〕
△3九飛▲3二竜△6九飛成▲6三金△7八金▲9七玉△5一歩▲6二銀△同銀▲5二竜△同歩▲6二金(7図)
こうして、6図から7図までも変化の余地のない手順。△7八金と打たれるのは辛いが、▲7九金と受けるのは、△5八竜でジリ貧負けになる。▲6二銀から食いつくしかないのである。そして、ともかく7図まで、一手すきがかかった。
午後5時
高橋に快勝した中原が控え室に来て、7図の局面を調べている。
「加藤さんも、ずい分あっさり指すね」。いい手がないだろう、と言うように首をかしげた。
〔7図からの指し手〕
△9二玉▲7二金△7一銀▲同金△5七と▲6三角(8図)まで、加藤九段の勝ち。
すっと寄った△9二玉が決め手。これではどうにもならない、はずだった。かりに▲8二銀(手筋)なら、△同玉▲7一角△9二玉▲7二金まで一見必至だが、△8八銀▲8六玉△8四飛▲7五玉△7四銀▲6四玉△6五銀▲6三玉△2七馬以下、7二の金が抜けて、羽生勝ちとなる。
で、▲7二金だが、そのとき△7一銀が、これまた手筋の見本。▲同金と取るしかなく、後手玉の一手すきがほどけた。
もう勝ったぞ、とばかり、羽生はノータイムで△5七と。
控え室で、危ない、と言っていた手を指してしまった。
▲6三角が「必至逃れの必至」という手。おかしいと調べたら、もう後手に勝ちがなくなっていた。
先手玉は角が受けに利いて詰まず、後手玉は▲8一角成以下の詰みを防げない。羽生は、盤に対して斜めにそっくり返っていた。立っていれば、棒立ちというところである。加藤は両手を腰に当てて、エヘン、とせきばらい。
ポカをやったのは明らかだが、しかし羽生である。なにかひねり出すだろうの期待があった。ところが、次の手を指さず、投げてしまったのにはびっくりした。みんな、こんなことってあるのか、という顔だった。
投げっぷりのよい人でも、8図で、△7四馬ぐらいは指すだろう。
それは、▲8一角成△9三玉▲8二銀△8四玉▲7三銀不成△同玉▲7二馬△8四玉▲7三銀△同馬▲7五金以下ピッタリ詰みで、後手負けなのだが、▲7三銀不成あたりが投げ場である。また、これ以外にも、命を長引かせる手がないわけではない。そういう類の手を指すところに、羽生の強さがある。
先走ったことを言うようだが、竜王戦の挑戦者になったことで、みっともない手は指せない、などと考えだしたのだろうか。だとすれば問題で、本局の投げっぷりのよさは見過ごせないのである。
整理すると、△5七と、が敗着。△8九竜と一手すきをかけ、▲6六角の攻防手には、△7五桂で後手勝ちだった。この捨て桂は、控え室で中村が発見していた。この日の中村は冴えていたのである。
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5図から6図に至るまで超派手な激戦。途中、どちらがどんな駒損をしていてどちらが駒得しているのか、感覚的に全くわからなくなるような手順だ。
6図となって、金銀と角の交換で後手の駒損ということことになるが、もう少し落ち着けば4七とが金か銀を取れるので、そうなれば後手のやや駒得といったところ。
このような定跡は初めて見た。
双方、とても生きた心地がしない。
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加藤一二三九段の対振り飛車棒銀は非常に有名だが、中飛車には自らが創案した▲3八飛戦法を用いている。
これはツノ銀中飛車に対して棒銀はあまり効果的ではないということらしい。
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大山康晴十五世名人、大内延介九段などは、中飛車から袖飛車に転じて、居飛車側の舟囲いを縦から攻める作戦をとることがあった。
そうなると居飛車側の棒銀は置いてきぼりを食って、戦場から遠く離れた僻地に取り残される形となる可能性が高くなる。
そういった意味で、中飛車に対して棒銀は指されなくなってきたようだ。
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棒銀と中飛車の戦いとして有名なのは1972年の名人戦第2局の中原-大山戦。
「大山の△8一玉」として知られる一局。
棒銀が捌けていい感じに見えるのだが、そういうことでもなかったのだろう。