甘竹潤二さんの第53期名人戦第4局〔森下卓八段-羽生善治名人〕観戦記より。
1996年将棋ペンクラブ大賞観戦記部門佳作(現在の優秀賞)作品。
昭和十年に開始、十二年に木村義雄名人の誕生で幕をあけた名人戦も六十周年を迎えた。歴史を刻んで今年で第53期。その間に名人の称号を与えられた棋士は九人しかいない。
九人目の名人・羽生善治というスーパースターの出現で、今や”追っかけ”まで現れるようになった将棋界。東京「赤坂プリンスホテル」で行われた第3局の大盤解説会では、とても将棋とは縁があるとは思えない女性をたくさん見かけた。六十年前にだれがこんな図を予想しただろう。時代は、将棋界は変わった。
羽生の2勝1敗で迎えた第4局は昨日十五日、愛知県蒲郡市の西浦温泉「銀波荘」で始まった。いろいろ紹介したいことはあるのだが、早速、盤上に注目いただこう。森下の▲7六歩に、羽生は少考5分でなんと△3二金と上がったのである。今シリーズの見どころのひとつに後手番での羽生の作戦があるが、まさに「やってくれました」。
「ここが作戦の岐路。森下さんはしばらく考えますよ」という解説の塚田泰明八段の予言通り、森下の手が止まり、やがて▲6八飛と指した時には24分が過ぎていた。解説早々の森下の振り飛車宣言。胸騒ぎのする立ち上がりである。
(中略)
前局で対羽生戦の連敗に終止符を打った森下にとっては、この将棋こそが勝負である。
盤上は開始早々、面白いことになってきた。羽生の第二手△3二金に、森下が▲6八飛と四間に飛車を振ったのである。
この手では妥協の▲2六歩、歩調を合わせる▲7八金なども考えられるが、森下は羽生の誘惑に乗って△3二金を咎める策に出た。以前、森下は「△3二金には▲6八飛がまさる」と言っていたそうだが、慣れない振り飛車を採用してまでも”正義”を貫くのがいかにも森下らしい。
今度は羽生が考える番である。「普通は△6二銀、△8四歩、△3四歩ですが、相振り飛車も考えられます」
とは、衛星放送解説の小林健二八段。羽生は何をしてくるかわからないという気持ちがだれにもあるのだ。
(中略)
午後三時過ぎ、森下の師匠である花村元司九段(故人)の京子夫人が対局を見にきた。愛弟子の檜舞台にさぞ師匠も喜んでいることだろう。
森下の▲1八香に「オーッ」と控え室。第2局の羽生についで、今度は森下が振り飛車穴熊を採用しようというのだ。居飛車党の二人なのに。
(中略)
二日目も小雨が降り続いていた。
朝、NHK衛星放送の解説の小林健二八段と聞き手の大庭美夏女流育成会員が「仕事がなくなっちゃった」とガッカリしている。「麻原代表逮捕か」の特別番組が急き組まれたため、九時から十時まで予定されていた番組が中止になってしまったのだ。
「じゃあ、僕の方を手伝ってもらおうかな」と解説の塚田八段が助け舟を出し、「銀波荘」で午前十一時、午後三時、五時と三回行われる大盤解説会への飛び入り出演が決まった。
そういえば昨年、ここで行われた名人戦第2局の同じ二日目には名古屋空港で中華航空機事故が起こった。銀波荘での名人戦は、不思議と何かが起きる。
(中略)
「それにしても△6四歩にはたまげました」
局後に森下得意のセリフが出た。この「たまげた」には「まいった」というニュアンスが込められているようだった。
森下が次の一手を長考中、ちょっと面白いことがあった。控え室では盤上とともに対局室の模様がモニターテレビで見えるようになっているのだが、羽生と森下が二人そろってしばらく窓の外を眺めている。いや、凝視している感じなのだ。
雷の音に驚いたぐらいならいいが、もしかして何かが壊れたのか、それとも窓から見物客が覗いているのかも。心配になって本紙山村記者が対局室に入ると、やがて笑って戻ってきた。
「森下さんは『雨で遠くの島が見えなくなったな』って。羽生さんは何かほかのことで外を見ていたようです」
(中略)
「銀波荘」では大盤解説会を午前十一時、午後三時、五時に行ったが、予定の塚田泰明八段のほかに小林健二八段、日浦市郎六段、勝又清和新四段、大庭美夏女流育成会員らが入れかわり立ちかわり登場してファンは大喜び。「去年よりはるかに入場者がふえたので、入り切れないんじゃないかと心配で」と、関係者もうれしい悲鳴をあげていた。
NHK名古屋放送センタービルでは佐藤康光前竜王と高橋和女流初段が終局まで解説会を開いたという。
羽生人気はもちろんだが、名人戦史上初の二十代対決が話題を呼んだこともあるだろう。
女性ファンが多いことも見逃せない。「会社をさぼってきました」という羽生ファンの女性OL二人は、休憩時に部屋を出てくるところを狙って写真を撮ろうとしていた。残念ながら作戦は失敗したが、二日目の午後、数十人のファンとともに対局室の見学が許され、”生ハブ”を見られたとニッコリ。将棋ファンも変わった。
「おいおい、角切っちゃったよ」
「まさか切るとは思わなかった。悪手でしょ」
控え室のすっとんきょうな声にびっくりしてモニターを見ると、森下がノータイムで▲4四角と切り、取った銀を6三に打った場面だった。
「△6四歩で一本取られた感じで、どう指しても苦しいかと思っていました」
”実利”を重視する森下が駒損を承知で▲4四角と切った。しかも大一番で。角切りは森下、渾身の勝負手だった。
図の▲5四銀成までは必然。問題は羽生の次の一手である。
(途中図以下の指し手 ▲6四同歩△6二飛▲4四角△同歩▲6三銀△6一飛▲5四銀成)
(つづく)
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「二手目△3二金は邪道」(→ 森下卓八段(当時)の情熱(前編))という強い思いを持っていた森下卓八段(当時)に対する羽生善治名人の二手目△3二金。
それに対して森下八段は、正義の四間飛車。
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現代ならば居飛車側の早めの△3二金は、銀冠へと進展していくのだろうが、この時の羽生名人の構想は、6一の金を5一、4一、3一と寄せていって、「ゆっくりとしていると、そちらよりも堅い穴熊にしてしまいますよ」というもの。
恐ろしい金の動きだ。
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ところで途中図の局面、羽生名人は窓の外の何を見ていたのだろう。とても気になる。