近代将棋2004年10月号、鈴木環那女流1級(当時)の「師匠 原田泰夫九段を偲ぶ」より。
7月11日、間質性肺炎にて81歳でご逝去されました。
一年程前から体調を崩されたとのことでした。まだまだお元気でこれからもご活躍されるとばかり思っていましたので、その日の朝、桜井先生よりご連絡をいただいた時はただ泣き叫ぶことしかできませんでした。
原田先生との出会いは、とても運命的でした。小学4年生の12月、育成会の帰りに将棋会館の1階書籍コーナーのレジカウンターの横に原田先生はいらっしゃいました。
鈴木「こんにちは」
原田「なかなかしっかりしたお嬢さんだね。将棋を指すのかね?」
鈴木「はい!」
原田「これから困ったことや相談事があったら、連絡をしてきなさい」と名刺をいただいたのです。これが、私が原田門下になったきっかけです。
その後、手紙のやり取りをし、原田先生のご自宅に押しかけて弟子にしていただきました。初めて師匠のご自宅に伺った時に4局教えていただきました。
その日からプロになるまで5年間、毎月師匠のご自宅で平均6、7局、多い日は10局教えていただきました。指導対局を終えた後の師匠の昔のお話を聞くのもとても楽しみでした。
師匠の言葉で「同じ人とこんなに指したことはないんだよ」とおっしゃっていただきました。師匠原田九段の将棋人生の中で最多対局者が私ということが一番の自慢です。
師匠と過ごした全ての瞬間が珠玉の思い出ですが、小学5年生の時に師匠の山中湖にある別荘で4日間、朝から晩まで師匠と将棋の勉強をしたのが私の一生の思い出です。
正直なところ、師匠の死がいまだに受け入れられず、頭の中でいろいろな思いが交錯しています。追悼文を書くということはこれから先、師匠との思い出が作れないと同時に師匠が思い出の中にしかいないということを再確認させられているようで複雑な気持ちになります。人に伝えることができない師匠との思い出は、今はまだ心の中で大切にしまっておきたいのです。
師匠からいただいた言葉の「礼儀作法も実力のうち」を胸に秘め、堂々と勝ち・堂々と負け、師匠との約束であるタイトルを必ず獲ります。
原田先生、これからも天国から見守っていてください。そして今まで本当にありがとうございました。喪心より師匠原田九段のご冥福をお祈り致します。
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原田泰夫九段が亡くなられてから10年。
原田泰夫九段には将棋ペンクラブ名誉会長を10年以上務めていただいている。
将棋ペンクラブ大賞贈呈式や交流会での原田節、原田九段邸での新年会、将棋ペンクラブ大賞最終選考会など、懐かしく貴重な思い出ばかり。
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2003年10月、ホテルニューオータニで原田泰夫九段の盤寿の会が盛大に行われた。
15歳だった鈴木環那女流2級(当時)もこの時に壇上で紹介されている。
原田九段のお孫さんよりも年齢が少し下だった鈴木環那女流2級、原田九段ご夫妻にとっては、可愛くて将棋が強くて将棋が大好きな孫のような感じだったことだろう。