将棋世界1986年2月号、「天才羽生、四段に上がる」より。
関東奨励会きっての逸材、と入会時から評判の高かった羽生善治(はぶ・ぜんじ)少年が、12月18日の例会で連勝、通算で13勝4敗の昇段点をあげて四段昇段を果たした。昭和45年9月27日東京生まれの15歳、谷川浩司前名人以来の久々の中学生棋士の誕生である。57年12月に6級でスタートして、わずか丸3年で卒業というのも近来のスピード記録。掛け値なしの超大物の出現といってよいだろう。
将棋は、見ている者さえ元気が出てくるほどの気持ちのよい攻めが身上。見たところ序盤があまりうまくないので中盤ではたいてい苦境に立っているようだが、そこからでも決して受け身になることなく積極的に主導権を奪いに行く姿勢が”大器”を感じさせる。ズバリ、「中原型」の大棋士になれる人、と記者は見た。小三で初めて道場へ行った時が15級、1年余りで四段の力をつけ、小学生名人をかちとり、そしてたった3年でブ厚いはずの奨励会の壁をも破ってのけたこの新星は、いったいどこまで強くなってみせるのか、その可能性は計り知れない。
羽生四段の師匠二上九段の話
60年内に四段になれぬようなら加藤一二三さんや谷川さんのような昇段は無理かとも思っていたがここで上がったということで将来は大いに有望だろう。ただそれも本人の努力しだい。それと人間的充実も期待したい。
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羽生善治四冠が四段になった時の将棋世界の記事。
なんと、羽生新四段(当時)の名前の読みが「はぶ ぜんじ」となっている。
先崎学五段(当時)は将棋世界1991年4月号の「公式棋戦の動き」で次のように書いている。
羽生善治前竜王の名前の読み方だが、ずいぶん最近までヨシハルと読むことは案外知られていなかった。むしろ奨励会員のころは、親しい仲間でもゼンジと読むのが正しいと思っていた者が多かったのである。そこでついたアダ名が「ハブゼン」結構ゴロがいいんです、これが。今では誰も呼びませんけどね。
1991年の時点で「ずいぶん最近までヨシハルと読むことは案外知られていなかった」と書かれているので、1985年の頃はまさに「ハブゼン」のイメージが非常に強かったのだろう。
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この頃は三段リーグのなかった時代。
羽生新四段誕生の瞬間、羽生世代の棋士は、郷田真隆二段、佐藤康光初段、村山聖初段、先崎学初段、森内俊之初段の時だった。
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将棋世界1995年4月号のバトルロイヤル風間さんの4コマ漫画「女流棋士列伝 鹿野圭生」が大傑作だ。
1コマ目
鹿野圭生 略してカノタマ
(くわえタバコの鹿野圭生女流初段・当時)
2コマ目
小林健二八段(当時)が「1字しか略してないやんけ!」と言いながら鹿野女流初段をハリセンで叩く。叩いた時にコバ☆ケンという音がしている。
3コマ目
小林八段「なあタコ」
谷川王将「え?」
鹿野女流初段「谷川浩司略してタコ」
4コマ目
(バトルロイヤル風間さんが向こうから歩いてくる)
鹿野女流初段「あ バカがきた」
笑顔のバトルさん「バトルロイヤルかざま略してバカですか」
鹿野女流初段「略してないよ」
この流れでいくと、”ハブゼン”も「1字しか略してないやんけ!」と言われてしまう対象だ。
現在ならば、森信雄七段がモリノブ先生と呼ばれることが多いので、やはり「1字しか略してないやんけ!」ということになる。