近代将棋2001年10月号、神吉宏充六段(当時)の「関西マル秘情報」より。
皆さん、7月1日に行われた関西将棋会館20周年イベントのことは、知ってはりますか?これまでタブーだったことを大胆にもやってしもたんですけど……そうなんです。
関西のタブーと言えば、永遠のライバル・内藤國雄九段と有吉道夫九段なんですな。その二人を1000勝を達成した記念に合わせてしまおうという、なんとも恐ろしい、いや素晴らしい企画が将棋連盟の職員から提案されまして……と言っても、二人は道ですれ違っても目線をあわせず、どちらかが他の道にルートを代えるほどの関係。だから「出演棋士は二人だけで」と言うことは話さずに職員が提案を持っていったらしいんですわ。
引き受けてから事実を知って驚いた内藤先生「そんなん、二人だけなんて知らんかった。20周年イベントやて聞いたから、他にも仰山棋士が来ると思うやろ?……どないしたろかな、当日腹痛でも起こして淡路九段にでも替わってもらおかな」なんて冗談とも本気とも取れる発言。
私が聞いた雰囲気では100%本気みたいな気もしたんですけど……。しかし、流石は師匠ですなあ。なんやかんやと言いながらもキッチリイベントには出席しましてん。これには関係者はホッと胸をなで下ろしたんですなあ。
ところがですわ。講演が終わって席上対局、有吉道夫九段対ファン代表の将棋を解説・内藤九段でやりましたんですけど、終わって感想、普通なら対局者の有吉道夫九段が出てきて「ここはどうですか内藤さん?」とか「いやいや、有吉さんのこの手は……」なんて互いにマイクを持って話すところやのに、終局後サッと潮が引くように感想戦もなく舞台は終了や。そらもう関係者や聞き手だった橋本真希(普及指導員)さんはビビッたみたいですがな。ピリピリした雰囲気を余韻に残したまま、ご苦労様と打ち上げに。場所は関西将棋会館1階のレストランで行われましてん。
関係者数人を挟んで両端に座った内藤九段と有吉九段、さっきの続きやから、やっぱりお互い顔も合わせない位置に座って話もしませんがな。
ところがここから事態は急変、いや好転しましてん。酒が入ったからか皆和気あいあいとしたムードになって、とうとう「有吉さんの1000勝は素晴らしい」と内藤先生が持ち上げたんですな。
それを聞いた有吉先生も笑顔で、「内藤さんがいたからこそできた」とエールを送る。
「いやいや有吉さんが」「いや、内藤さんこそ」と持ち上げ合いで、いままでの意識をかき消すような雪解けムードですわ。これはやっぱり互いの実力を意識しながら認めていた証でしょうねえ。最後は仲の良い友達のように楽しく飲んでお開きになったんですけど、内藤先生は親しい人に「60を過ぎて初めて友情が芽生えた」と言ってまして……互いに競い合って目標を達成してきたから、良い関係を築き上げれたと思うんですけど、こうやってチャンスがなかったら一生打ち解けることもなかったんでしょうねえ。将棋連盟職員の斉藤さん、あんたはエライ!
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世の中に「打ち上げの飲み会」が必要であることを示してくれる素晴らしいエピソードだ。
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有吉道夫九段は、1993年の近代将棋でのインタビューで次のように話している。
ところで有吉さんのライバルというと内藤九段を思い浮かべるんですが、奨励会時代はどうだったんですか?
「内藤さんは私より大分下で奨励会では対戦していません。ライバルと言われたのは彼が八段になってから。関西では八段が二人しかいなかったですから決勝とかで必ず当たるんです。それで記者の方が面白可笑しく書かれたんじゃないですか」
なるほど・・・。
「そうそう。ライバルといえば山田道美さん。彼とはよくやった。同じ六段で、徹夜で感想戦やった。負けず嫌いでね。どっちも譲らない。こっちの変化はどうだ、いやこれなら負けないとか」
内藤九段のことを語る時の素っ気なさと、「そうそう」と言う絶妙のタイミングが、内藤九段との当時の微妙な関係をうかがわせる。
内藤國雄九段は、2006年のNHK将棋講座での観戦記で次のように書いている。
”火の玉流”の有吉道夫さん(九段)とのA級順位戦では、私が2、3分遅刻して入室すると、驚いたことに有吉さんは自分の駒だけ20枚並べて顔を真っ赤にして盤の一点をニラミつけていた。わき上がる闘志を抑え切れないといった感じで、それを見た私も負けずに燃え上がったものだった。「あいさつもへちまも関係あるかい」と互いに闘志を燃やして戦った若いころが、今はなつかしい。
有吉九段との雪解け後だからこそ書ける、雪解け前の恐ろしいけれども貴重な光景。
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神吉宏充六段(当時)が書いてくれなかったならば、二人の雪解けのことはどこにも発表されることがなかったかもしれないわけで、なかなか貴重な文章だと言えるだろう。