羽生善治四段(当時)「まあまあ」

近代将棋2002年3月号、故・池崎和記さんの「私を変えたこの一手 小倉久史六段の巻」より。

 振り返ってみると小倉が修行時代に苦労したのは、この1級時代と、入会試験に落ちてからの1年間である。初段になってからは順調で、三段リーグは1期で抜けている。

 6年間の奨励会時代には、いろいろなことがあった。先崎学と旅行先でケンカをしたこともある。

 羽生、先崎、小倉の3人で長野県松本市に出掛けたときのことだ。デパートの将棋まつりの仕事で、羽生は四段、先崎は三段、小倉は二段だった。

 仕事が終わり、手当をもらって3人で温泉旅行にいった。山奥の、ひなびた温泉。行こうと言い出したのは小倉である。

 夜、3人でギャンブル(カードゲーム)をやった。先崎の一人負け(10万円くらい負けた)で、小倉と羽生が半分ずつ勝った。先崎はふてくされて一人で温泉につかり、その夜は何もなかった。

 トラブったのは翌日である。小倉は勝負ごとに関してはシビアで、勝った者がおごるという考え方を持ち合わせていない。だから旅館代を精算するとき、「割り勘だ」と言った。それを聞いて先崎が激怒した。

「何で一人負けした人間からカネ取るんですか!そんなの、帰りの電車の切符代も出して、お土産も持たせるもんだ!」

 それから先崎の説教が始まった。だが小倉も負けてはいない。「いや、勝負は勝負だ!」

 羽生が「まあまあ」と間に入り、最終的には羽生と小倉で半分ずつ負担することになった。一瞬、きまずい雰囲気にはなったけれど。ともかくこれで一件落着である。

 みんな若かった。いや、若すぎたと言うべきか。だって羽生が16歳で最年長の小倉が19歳だから。いまとなってはなつかしい思い出である。でも、もう、だれもあのころには戻れない。

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「いまとなってはなつかしい思い出である。でも、もう、だれもあのころには戻れない」

とても印象的で心を打つ言葉だ。

もしかしたら池崎さんは、いつかこの言葉を書きたくてうずうずしていたところ、ちょうど良いエピソードがあったのでこの回に書いたのではないか、とも思えてしまう。

この言葉ですぐに思い出したのは、昔のサントリーのCM。

「でも、もう、だれもあのころには戻れない」ではなく「違った形であのころに戻ることができる」という内容だが、そのようなことには関係なく、単に”遠い日”というイメージからこのCMが連想されたのだと思う。