将棋世界1990年8月号、武者野勝巳五段(当時)の「プロ棋界最前線」より。
あるスナックのママに聞いた話―米長と連れ立ってやってきた中原「米長さんこの詰将棋解けますか?」昼間苦戦させられた詰将棋を出題する。「なるほど、この手が盲点なんだな」と、うならせられた米長、「ママ、将棋盤出してよ」 そうして「中原さん、ここでどう指しますか?」と研究した自慢の手を披露したそう。「じゃあ、私だって」と中原…こうして時が過ぎ、二人は水割りに口もつけずに帰っていったとか。奨励会の少年のみに聞けるようなほほえましいエピソード。
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近代将棋1990年9月号、故・池崎和記さんの「福島村日記」より。
某月某日
棋聖戦第4局(中原誠棋聖-屋敷伸之五段)を見に有馬温泉「陵楓閣」へ。午後10時30分に有馬に到着。
控え室に行くと、米長王将が副立会の淡路八段と将棋を指していた。聞くと2人は前夜も宴会のあと3番指したそうだ。昼前、森安九段が来て今度は米長・森安戦が始まった。
午後、谷川王位と井上五段が控え室に。井上さんが継ぎ番の前に座ると、王将はさっそく「よし、ここから勝負しよう。井上先生は好きなほうを持っていいよ」。広辞苑によると「棋士」は「碁または将棋を職業とする人」。しかしこれでは説明不足だ。せめて「将棋を指すのが何よりも好きな人」という一項を加えるべきではないか。さて、王将の申し込みを受けた井上さんは、しばし思案して守りの堅い中原陣をもったが、あっさり攻めつぶされてしまった。米長王将ごきげん。
しかし練習将棋はこれだけではすまなかった。深夜の打ち上げの最中、王将は何と中原棋聖にも対局を申し入れたのである。「久しぶりに将棋を指そうよ」。棋聖は大きく手を振り、呆れたという顔で「プロが、酒飲んでから将棋を指すかねェ」。淡路八段がニヤニヤ笑っている。期待した米中戦は残念ながら実現しなかったけれど、結果的にはそのほうがよかった。両巨頭を中心に、にぎやかな宴が延々と続き、私の知らない昔話をいっぱい聞くことができたからだ。屋敷五段の笑顔も、とてもよかった。
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この二つのエピソードから、中原誠十六世名人は、酒を飲んだら将棋を指さないと決めていたのだと推察される。
これは、プロであるから、酒を飲んだ将棋的にはベストではない状態で将棋を指すようなことはしない、ということなのだと思う。
あるいは、酒を飲む時は将棋のことは忘れて純粋に楽しみたい、という思いもあったのかもしれない。
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あるスナックとは、新宿にあった「あり」と思われる。
中原誠名人と米長邦雄王将(当時)の二人だけの研究会のようなものだから、ものすごい迫力だ。
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以前にも書いたことだが、私は「あり」に何度目かに行った時に、中原十六世名人のボトルを発見し、中原十六世名人と同じ銘柄のボトルを入れて、ママに「私のボトル、中原誠永世十段のボトルの隣に置いていただけないでしょうか」とお願いしたことがある。
それ以来、店に行くたびに私のボトルが中原十六世名人のボトルの隣から出てくるようになり、一人でニヤニヤしていたものだった。