加藤一二三名人(当時)の餅つき

将棋世界1983年1月号、「東京 将棋の日 席上対局は1勝1敗」より。

 東京の「将棋の日」記念行事は、千駄ヶ谷の将棋会館で行われた。当日はあいにくの小雨がパラつく天気であったが、それでも午前10時の開場時間を待ちかねて、受付をすませる人が大勢いた。これから午後5時まで会館内の各会場でさまざまな催しが行われる。入場料は前売りで2,000円、当日は2,500円。

 玄関の右手に大盤二つが並べられ、加藤名人と米長棋王の懸賞詰将棋が出題されている。どちらか自分の好きな方を解答して、正解だとその場で、賞品の将棋の日記念のタバコがもらえる。加藤名人出題の方が7手詰めと手数が短くやさしいせいもあって、圧倒的にこちらを解答する人が多い。米長棋王出題のは11手詰め。詰め上がりがタテ一文字になる”あぶりだし”詰将棋。見た感じ、手が広く難しそうなのでみな敬遠している。

 しかし、迷わずこちらを選び、スラスラ解答を書いた人がいたのにはビックリ。この人には賞品のタバコが二つ進呈された。

(中略)

 今回の「将棋の日」のプログラムをざっと見てみると、加藤名人と米長棋王の講演、棋士のサイン会、席上対局、そして将棋を指したい人には記念将棋大会、免状獲得戦、若手棋士と女流棋士による指導対局という内容。

 11時より、2階の研修室で米長棋王の講演。150名は入る研修室に、始まる前から人がいっぱいでとても入り切らない状態。

 米長棋王はまず加藤名人対策を公開。「相手がいやになるほど鼻を鳴らして、中腰になってベルトをしめ直す。これが加藤さんが有利と見た時のクセだ。で、それを読み取って逆に利用して意表の勝負手を放って勝ったこともある」と米長棋王。

 しかし、「名人は一人、あとの110人の棋士は九段でも四段でも、名人でない棋士は十把ひとからげ」と加藤名人を上げたり、下げたりだった。

(中略)

 午後1時から加藤名人対森下卓奨励会三段の角落席上対局。4階の高雄、棋峰、雲鶴の間をぶち抜いた大広間が会場。ここも満員の盛況だ。この対局はチェスクロック使用で、持ち時間20分、使い切ると一手30秒の秒読みになる。

 解説するのが二上九段で、ゲストが落語の春風亭柳好師匠。対局者のすぐ横に大盤を置いて解説するので、いやでもその声が聞こえてしまう。だから手の解説は大盤上に動かして示す。

(中略)

 森下卓三段は花村九段門下で、まだ16歳、将来を嘱望されている少年だ。対局態度や表情を見ると、とても16歳とは思えない落ち着きがある。加藤名人の方は、本誌読者ならご存知のように、勝負どころになると全体重を指先に集中するような力強い駒さばきだ。

 下手のとった戦法は矢倉、ややおとなしい指し方で、紛れ形になった。素人目には下手危ないかと見えたが、さすがに中終盤がしっかりしていて、鮮やかに寄せ切った。

 局後、加藤名人は柳好師匠のインタビューに答えて、「途中私の方が面白いかに見える局面があったが、やはり最後まで私が勝ちという局面はありませんでしたね」

森下三段は勝利者賞として、ブラザーミシン提供のジューサーを獲得。短時間の将棋ながら、しっかりした指し回しで、大器の片鱗を見せた。加藤名人と平手で指す日も近いのではないだろうか。

(中略)

 2時半から、玄関正面で餅つきが始まった。すでにこのころには、午前中降っていた雨も上がっていた。棋士がかわるがわる餅をついて、お客さんに食べてもらうという趣向。まず最初に加藤名人の餅つき。いい音をさせてついている。つき終わった餅は、アンコ、大根おろし、きな粉、納豆などをつけて食べる。加藤名人がついた餅を食べると将棋が強くなりそうな気がしてくる。

 加藤名人は餅つきの後、先ほど席上対局をした大広間に戻り、今期名人戦の十番勝負を振り返って解説。話題になった第9局の千日手の話や最終局の詰みを発見するあたりの気持ちを語った。懇切ていねいがモットーの名人のこと、解説にも熱が入り、予定時間をオーバーするハプニングもあった。

 大広間で次に行われたのが、二上九段対林葉直子女流王将の飛車落ち席上対局。解説が直子ちゃんの師匠米長棋王、ゲストが谷川治恵女流二段。直子ちゃんは本誌9月号に載ったように、大山十五世名人との飛香落ちに勝っている。その実績が買われて、手合いも飛車落ちに。

 二上九段が和服姿、直子ちゃんは中学の制服で登場すると観客から盛大な拍手が起こった。この対局は加藤-森下戦と同じ方式。

 対局前、米長棋王は「二上さんは、下手を絶対に負かすと言っていたが、私も彼女にこれに負けるようなら破門と言い渡しました」と直子ちゃんにハッパをかける。

 とにかく米長棋王の話はユーモラスだ。次に何を言うかと、想像していた意表を突くことがしばしば。対局者の二上九段も笑いをこらえるのに一苦労といった感じだ。

(中略)

 44手目▲5六桂と打ったとき米長棋王は、「これは俗に桂馬のフンドシと言いますが、女性の間では何と言いますか」と谷川さんに尋ねるが、「両取りと言います」とあっさりかわされる。

(中略)

 最終手△8七金が指されると「この手を指されると困るんだ」と米長棋王。キレイな即詰みだ。この△8七金を見て、直子ちゃんは静かに投了した。局後、谷川さんのインタビューに、二上九段は「師匠が負けたら破門という言葉がプレッシャーになったのでしょう」と下手をかばう。直子ちゃんは「とても勉強になりました」と一言。いっぱいに詰めかけた観客から盛大な拍手を浴びた。

 勝利者賞のミシンは二上九段の手に。ジューサーは直子ちゃんに。その時「福岡行の飛行機のキップを渡さなければいけない」と米長棋王。しかしそれは当分の間、おあずけになるそうだ。師匠のきびしい愛情に答えて、直子ちゃんも強くなるに違いない。

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16歳の森下卓三段(当時)の落ち着きのある対局態度や表情。

この頃から、現在の森下卓九段らしさが十分に出ていたようだ。

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将棋世界のこの号の萩山徹さんの編集後記によると、二上達也九段と林葉直子女流王将(当時)はミシンとジューサーを後で交換したという。

林葉さんは学校で手芸部に入っていたそうで大喜びだったとのこと。

この頃のブラザーというとミシンのイメージが強いが、1962年には社名からミシンという言葉が消えており、1971年には高速ドットプリンターを開発・製造している。

現在のブラザー工業は、複合機やプリンターなどのプリンティング・アンド・ソリューションズ事業が売上の70%を占め、家庭用ミシンは7%となっている。

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加藤一二三名人(当時)の餅つき。

全体重を指先に集中して駒を盤に打ちつけるように、全体重を杵に集中して渾身の力で臼に打ち込んだのではないだろうか、などと想像してみるのも楽しい。

たしかに、加藤一二三名人がついた餅を食べれば、絶対に将棋が強くなれそうな感じがする。

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実は、私は餅が意外と苦手である。

食べようと思えば平気で食べることはできるのだが、一口か二口食べればもう十分で、それ以上食べようという気が起きない。

これは、私が子供の頃、「餅が喉に詰まって亡くなっているお年寄りが多いので、餅を食べる時は落ち着いて食べるように」と親から何度も言い聞かされ、「そんなに危ない食べ物なら、食べなければいいんだ」と子供時代の私が考えるに及んだことが、餅から心が離れた大きな理由となっている。

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ところが、最近、千駄ヶ谷で行われる対局の時の食事で、麺類に餅を追加する棋士が増えている。

将棋棋士の食事とおやつのデータによると、2013年に郷田真隆九段(当時)が天ぷらうどんに餅を追加したのが記録に残っている上では最初のケースのようだ。

力うどんそのものを食べたいとは思わないが、天ぷらうどんや鍋焼きうどんに餅を入れたものは、少し食べてみたいような感じもしてくる。

、、、と想像をめぐらしているうちに、餅よりも団子、いや、餅よりも団子よりも、すいとんを入れれば美味しいのではないか、これは結構いいアイデアなのではないか、と一瞬思ったりもしたのだが、よくよく考えてみれば、すいとんとうどんは原料が同じなので、全く意味がないことに気がついた…