窪田義行六段「待機中の角が講談の羽柴軍宜しく一気に天王山へ駆け上るに至っては胸のすく思いです」

窪田義行六段から、昨日の記事「妖刀・花村元司九段の花村流自戦記」についてコメントをいただいた。

故・花村元司九段は窪田義行六段の師匠。

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窪田義行
2015年5月25日 11:12 に投稿

 

おはよう御座います。
懇親会の折りは大したお役立ちもできず恐縮です。
生憎の早出になりましたが、皆さん共々存分にお楽しみになりましたか?

今回のご記事は常々共々興味深いのみならず、師匠の33回忌をさ来年に控えているので感慨深くもあります。
銀桂交換で4五の位も重視する感覚は、評価関数自動生成系ソフトも盗み取ったかも知れません。
46手目△4六歩では、△3一玉▲2四歩△同歩▲同角△同角▲同飛△3三銀から、△3七角や△4六桂を絡めて左翼から逆襲する筋もあります。
但し▲6四角の切り札も心配ですので、5七銀型を凝り型とみる意味も含めた軽手に至ったとも見做せます。
56手目△7四歩からの大攻勢は、肝心の角が自陣に控えている所で渡辺棋王もかくやの繋ぎの妙を発揮した感があります。

>ここは▲8五銀と引いておいたほうが、固かっただろう。
59手目▲8五銀は△9五歩▲同歩△5五歩(▲6六角への対応でこそないが、後に△5六歩▲同銀△5七歩▲同金に△5九銀が4八飛型を衝いた寄せ筋になる)▲同歩△7三桂に、先手が▲8四銀△同飛の食い千切りで手を稼ぐ筋を懸念した物でしょう。
以下▲1五歩△同歩▲1三歩△同香▲1四歩△同香▲2六桂に△1三銀と進んだ場合、陣形差で後手が指せる物の攻め足が止まる感じです。
本譜は88手目△6五歩から、待機中の角が講談の羽柴軍宜しく一気に天王山へ駆け上るに至っては胸のすく思いです。

私は『悪いことをした』弟子にはならずに済みましたが、これからもう少しよい弟子になりたい物です……

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昨日の記事の対局を、窪田六段の解説に沿って振り返ってみたい。

窪田六段「銀桂交換で4五の位も重視する感覚は、評価関数自動生成系ソフトも盗み取ったかも知れません」

窪田1

普通なら▲4五歩に△同歩と取らないところを、△同歩▲同桂△4四銀右▲3三桂不成△同角▲5八金△4五歩(2図)と、銀桂交換の駒損に甘んじる代償に4筋の位を取る感覚。

窪田2

窪田六段「56手目△7四歩からの大攻勢は、肝心の角が自陣に控えている所で渡辺棋王もかくやの繋ぎの妙を発揮した感があります」

窪田3

花村九段はここから細い攻めを繋げて手を作ってしまう。現代で言えば、渡辺明棋王のような指し回し。

3図以下、▲同銀△8四桂▲6五銀△9五歩(4図)

窪田4

▲同歩△5五歩▲同歩△7三桂▲6四銀△7六桂▲6六角△8五桂(5図)

窪田5

▲6五銀△9五香▲同香△8八歩(6図)

窪田6

ほとんど銀損(銀香と桂の交換)で角が攻撃に参加していないにもかかわらず、手になっている。

窪田六段「88手目△6五歩から、待機中の角が講談の羽柴軍宜しく一気に天王山へ駆け上るに至っては胸のすく思いです」

窪田7

ここからの花村九段の攻撃は目の覚めるような鮮やかさ。

7図からの△5五銀(8図)が物凄い迫力。

窪田8

▲同角なら△同角▲同銀から△8八角でも△7五歩(7六から銀が逃げれば△8七飛成▲6八玉△7八金▲5九玉△8九竜で詰み)でも後手勝勢。なので▲5五同銀。そして、88手目の△6五歩(9図)

窪田9

△同銀なら前述の△8七飛成▲6八玉△7八金▲5九玉△8九竜の詰みがあるので▲9三角成(10図)。

窪田91

ここに至って、後手陣の奥深く隠れていた角が直射してくる。

△5五角(11図)と銀を取りながらの王手。

窪田92

窪田六段が「待機中の角が講談の羽柴軍宜しく一気に天王山へ駆け上る」と表現する局面だ。

本能寺の変を受け、備中高松城の攻城戦から引き返してきて、突如天王山へ現れ明智光秀軍と戦う羽柴秀吉軍。

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以前も紹介したことがあるが、窪田義行六段が奨励会に入って半年の頃に書かれた記事。

中野隆義さんの「一代の勝負師」(近代将棋1985年8月号)より。

 ある奨励会員がいた。花村門の一人なのだが、序盤がからきし下手で、定跡に詳しい敵に当たっては常に大苦戦を強いられていた。

 見るに見かねた兄弟子の一人が進言に及ぶ。

「先生。やつの序盤はちょっとヒド過ぎるので、私が一つ教えてやろうと思うのですが」

 弟弟子を思う言に、師匠・花村はこう応えた。

「君の気持ちはありがたいが、あいつは中・終盤に見所がある。どんどん勝っていくのに越したことはないが、序盤を教えちゃあイカン。あいつは序盤が下手だから、苦しい将棋をなんとかしようとして頑張っている。中・終盤に強くなるためには絶好じゃあないか。序盤は何番か失敗すれば自然と覚えていくものだ」

 発想の転換の妙に、恐れ入ったという。

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ここに出てくる「ある奨励会員」とは窪田義行少年で兄弟子は武者野勝巳五段(当時)。

そういう意味では、花村九段門下の吉田利勝八段、故・池田修一七段、野本虎次八段、武者野勝巳七段、森下卓九段、深浦康市九段、窪田義行六段の中で最も花村九段の棋風を受け継いでいるのは窪田六段かもしれない。

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窪田六段の、「私は『悪いことをした』弟子にはならずに済みましたが、これからもう少しよい弟子になりたい物です……」の『悪いこと』は、花村九段が亡くなった時に師匠の木村義雄十四世名人が語った「とてもよい弟子だがたった一つ悪いことをした。師匠より早く死んだことだ」で述べられている悪いことと同義。

ところで、将棋ペンクラブ交流会の席上、窪田六段から太極拳の披露があった。この太極拳については深い意味が込められていたのだが、その模様については「 将棋ペンクラブ交流会の一日」の続編でお伝えしたい。

花村一門物語