羽生善治五段(当時)も佐藤康光四段(当時)もギブアップした次の一手

将棋世界1988年9月号、青島たつひこさん(鈴木宏彦さん)の「駒ゴマスクランブル」より。

 1図をご覧いただきたい。本誌3月号233ページに載った、読者投稿の「次の一手」なのだが(解答発表は5月号)、ご記憶の方はあまりいないんじゃなかと思う。どうもあのコーナーは目立たないし、この作品自体も難しくて簡単にはとっつけないからだ。

 だが実はこれ、「プロ泣かせの傑作」として、最近プロの間でかなり話題になった作品なのである。

難解次の一手

 6月の下旬だったか、桂の間にいると奨励会の斎田初段が富岡六段に対し「先生、この次の一手解いてみて下さい。30分で解いたら1000円」とか何とか話しているのが聞こえてきた。「へえ、プロが30分も考えて解けない次の一手があるのかね」と思いながら、斎田君が盤上に作った局面をのぞくと、1図である。

「そんなもん、一目で解いてやる」とかいって考え始めた富岡六段だが、10分たっても20分たっても一向に解けた気配がない。そうこうしているうちに、先崎四段が現れ「エッ、それを30分で解こうっていうんですか。ボクは5時間かかって、やっと解いたのに……」。

 先崎四段の話を聞くうちに、筆者にもこの次の一手のすごさが少しずつ分かってきた。あの羽生五段も佐藤康光四段も1時間以上考え、ギブアップ。佐藤四段に至っては、解答を聞いても何のことやら分からなかったというから驚きだ。

 1図の作意は「▲3五角行△8二玉▲8七竜△同金▲2八銀で先手の勝ち」というもの。これだけ聞いたのでは、ほとんどの方がちんぷんかぷんに違いない。簡単な変化だけ説明しておくと、

  1. 問題図で▲3五角行△8二玉▲7二銀成△同玉▲6三桂成と詰ましに行くのは△同玉▲6二角成△6四玉▲5三馬△5五玉となって打ち歩詰め。
  2. そこで▲2八銀が詰めろ逃れの詰めろだが、単に▲2八銀は△7六金と銀を取られ先手負け。
  3. したがって銀を取られぬよう、▲8七竜と竜を捨てておく。

と、こういうことになる。

 これだけ書いても、まだちんぷんかんぷんの方が多いに違いない。だが、詳しい解説をしだしたらきりがなくなってしまうのでお許し願いたい。この次の一手のすごいところは、これだけ複雑な作意を成立させながら、それ以上に複雑で際どい変化をそこらじゅうに散りばめている点にある。例えば▲3五角行△8二玉▲8八竜△同金▲2八銀△4八歩成▲4六角△7一飛に▲5四歩と、桂を取る順。以下△6一飛に▲8三歩△7二玉▲8四桂(変化図)と追って詰むかどうか。

難解次の一手変化

 羽生五段も富岡六段も、正解を教えられたあと、問題をつぶしてやろうとやっきになって変化を調べたのだが、ついにつぶすことはできなかったそうだ。

 それにしても大したもの、と思うのは、新鋭プロが4時間も5時間も考えるような次の一手を作る人の能力である。この次の一手の変化を検討する労力と必要棋力というのは、ちょっとやそっとのものではないはずだ。

 作者の遠藤修さんは、岩手県水沢市にお住まいの32歳の方。将棋を始めてまだ3年だが、アマ五段の棋力を持ち、この作品創作には約2ヵ月をかけたという。世の中にはすごい人がいる。

(以下略)

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1図の問題は将棋世界1988年3月号、森信雄五段(当時)が選題・解説の「創作次の一手」の上級の問題。

5手記入で、ヒントは「難問です。打ち歩解消の攻防手段」。

難解次の一手

5月号の森信雄五段の解説は次の通り。

正解:▲3五角行△8二玉▲8七竜△同金▲2八銀

 問題図で▲3五角行△8二玉▲7二銀成△同玉▲6三桂成と詰ましに行くと、△同玉▲6二角成△6四玉▲5三馬△5五玉で打ち歩詰め。そこで▲2八銀が打ち歩詰め逃れの詰めろですが、(上記の順で▲2二角成△同金▲5六歩△4六玉▲3五馬まで)その前に▲8七竜△同金が伏線で、単に▲2八銀は△7六金と銀を取られ先手負け。(飛車を渡しても先手玉は詰まない、銀は渡せない)

 詰ます順で▲6二角成に△7四玉は、▲8五銀△8三玉▲8四金△8二玉▲9三歩成△同歩▲8三歩以下難解ですが即詰みです。(研究してみてください)

 変化も精密で、傑作と思います。

 今だに何かつぶれそうな不安もあり、それだけ難解作ということです。

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森信雄五段の解説で、▲3五角行と▲2八銀の意味がようやく理解できた。

この「創作次の一手」、このような難解な問題が数多く寄せられるのだから、森信雄五段の苦労も並大抵ではなかったようだ。

2月号の森信雄五段

 投稿作に目を通し、まず面白い筋の作を20題くらいに絞り検討します。そこから不完全作を除いていくのですが、今回はなんと9割つぶれでした。作意にほれすぎて、簡単な見落としが圧倒的に多いようです。原則として修正はしないのですが、止むを得ずの場合もありますのでご諒承願いたいと思います。検討はひとりでなく、何人かに見てもらうことがコツです。もっとも、つぶすのも私の楽しみのひとつになりましたが…。

5月号の森信雄五段

 私ひとりの検討だと完全率は7割くらい(頼りないですが)、人に頼んで9割で、再検討して9割5分といったところでしょうか。後の5分はと言えば、実は目をつむってというのが正直なところです。創作は、自分の考えている数倍は辛く局面を見ることが大切のようです。それでも不安なのですから…。

9月号の森信雄五段

 私は週末になると、レンタルビデオで借りた映画をよく見ます。先日も村山君と一緒に、スティング、続黒砲事件(中国映画)ともう一本みたのですが、これが手違いからホラー映画だったのです。途中で、恐い恐いと言いながらも見終わると、村山君の表情が心無しか青ざめ、「夢を見そうで、眠れません」。今月、また不完全作を出してしまい、お詫びのしようがありません。先入観の慣れからくる怠慢と反省しています。

10月号の森信雄五段

 さすがに今月は気が重い。不完全作が続いて判決を待つ被告の心境です。形勢がハッキリして、プツンと糸が切れたみたいに、この将棋負けたかなと自分に言い聞かせるときの辛さに似ています。学校ならズル休みして、山の公園へ行ってふて寝したものですが……。私が1ヵ月中国へ行くと言ったら、北京で101ツアーかと疑われましたが、実際は語学研修です。いい面、悪い面を含めて中国に接して見たいのです。

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読者投稿型の「創作次の一手」という全く新しいことへの挑戦。このような苦労があったからこそ、当時の若手棋士がギブアップするような問題も世に出せたのだと思う。

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森信雄五段が村山聖五段(当時)と一緒にビデオを見た時のことが書かれている。

「創作次の一手」の検討に村山聖五段も加わることがあったのかもしれない。

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「聖の青春」が映画化されるという。

キャスティングはまだ発表されていないが、森信雄七段役は小日向文世さん、あるいは全く逆のイメージで遠藤憲一さん。大崎善生さん役は西島秀俊さん、谷川浩司九段役は東山紀之さん、羽生善治名人役は神木隆之介さん、更科食堂のおばちゃん役は宮川花子さん、王将戦の立会人に岸部一徳さん、滝誠一郎八段役は古田新太さん、など個人的希望全開のいろいろな妄想が浮かぶ。村山聖九段役は新人のほうが良いような感じもする。