将棋世界1983年1月号、大山康晴十五世名人の自戦記〔第9期名将戦本戦トーナメント 対石田和雄八段戦〕「必敗形から大逆転」より。
指し初めのころは、多少意地もてつだって振り飛車戦法を指しつづけたが、ちかごろでは、すっかり好きになってしまった。
心からよい戦法のように思っている。振り飛車の中でも、四間飛車が一番、と考えていたが、いまではいろいろな形を用いる。
中飛車、向かい飛車なども捨てがたいよいアジを持っているし、三間飛車は動きが早いから、うまくサバけたときは、おもしろいほどコマがスムーズに動く。
今回も、そのおもしろさを思い浮かべ、三間飛車でいくことにした。ただし後手番の場合注意しなければならないのは、一手立ち遅れているので、早仕掛けに弱い面がある、ということだ。
(中略)
1図からの指し手
△4五歩▲5五銀△4四銀▲同銀△同金▲2三歩(2図)うまい守りがなければ、決戦に活路を求めるしかない。くるなら、こっちもいくぞ、と居直って、△4五歩と決戦を誘ったが、▲5五銀のうまい手で封じられたのにはまいった。次に▲4四歩で私の負け。
△4四銀はぜひなきむかえうちだが、△4四同金は重い形で(△4四同角は▲5五銀)”あかん”と首を振りたい気持ちだった。
石田さんの▲2三歩は待望の一手で、ユビ先がしなっていた。
しかし、振り飛車で多少のいたでを受けるのはふつう。私はまだまだと闘志を湧かせた。
2図からの指し手
△2三同飛▲3二銀△2二飛▲2一銀成△同飛▲4五桂(3図)なにお、と元気はだしてみたものの、▲2三歩にはかなり困った。△5二飛の逃げは▲2二銀で、△4四金がわるい形だから、防戦困難になる。
とにかく、▲2二銀とされてはいけないので、△2三同飛ととったが、▲3二銀。▲2一銀成。▲4五桂と、矢継ぎ早やの核弾頭を浴びせられて閉口した。
3図からの指し手
△5一角▲4四角△4一飛▲4二歩△同飛▲1一角成△4五飛▲5四桂△5三銀(4図)石田さんて、こわい人だ、と声をかけたい気持ちでヒョイと見たら、石田さんは緊張そのものの顔つきをしている。あんまりいいので堅くなっているのかな、と感じたので、もうひとがんばりすればなんとか、の希望を持ち、△5一角から△4一飛と、反攻のかまえにでた。
いまはまるまるの桂損だが、浮きゴマの▲4五桂がとれれば五分になる。考えていたほど、わるくないんじゃないか、と気分をあかるくしたが、軽妙な▲4二歩の打ち捨てで△1一香をとられ、馬をつくられては見通しはあかるくない。
将棋はおもしろいゲームで、交互に一手指すたびに場面の様相がすぐ変わり、いま泣いたカラスが、なんとやらになる。
思いどおり△4五桂はとり上げたが、やはり香損で、コマ損は抜け切れない。もっともうけてやれ、と石田さんは▲5四桂の追いうち。次に▲5二金で決めてやる、の意気ごみさえ伝わってくる。
こうなれば開きなおるしかない。△5三銀は、どうでも攻めてくれ、の気持ちであった。
4図からの指し手
▲5二香△4一飛▲2二馬△5四銀▲5一香成△同飛▲3三馬△5三飛▲4四馬△5一香▲2四飛△4三銀▲5三馬△同香▲5七歩(5図)石田さんは、そっとおくように▲5二香と打つ。角の息の音がとまった。静かな指し手に”これが決め手”の自信がうかがえた。
しかし、私はホーッとする気持ちだった。
▲5二香では、▲5二金とガッチリ角とりに打たれる方がつらかったからである。△4一飛とひいて、私の陣容にも薄日がもれてきた。
石田さんはなおも自信たっぷりに▲2二馬とひく。▲2二馬では、▲5一香成△1一飛▲5二成香でもわるくはなさそうだが、△5一角と▲1一馬を交換するのでは、ソロバンが合わないと見たらしい。
△5四銀から△5三飛までは、一本道の進行。▲4四馬は気持ちのよい攻め手。石田さんは、もう逃がさんの自信を持ったことだろう。比べて私は自信がなかった。
でも、フシギなことに、苦しくなると、天からさずかるように、よい手が見つかる。昔からそんなときが多い。
△5一香が、さずかった手である。石田さんも、うっかりしていたらしい。
私に角を渡すと△5五角。△4四角。△3三角などの角打ちができて、玉頭のうすい石田さんの玉には危険がつきまとう。
石田さんは飛角交換をやめ、▲2四飛の進出で早い寄せをねらったが、△4三銀とひかれてあわて気味になる。
持ち時間2時間の短い勝負(チェスクロック使用)なので、▲5七歩では▲2一飛成、あるいは▲2二飛成のきわどい寄せ合いも掘り下げたかったらしいが、その余裕がなく、とにかく▲5八金をとらせてはいかん、の判断から▲5七歩と守ったのだろう。時間に追われる苦しい立場は、私も数多く経験しているが、天命を待つ、の覚悟を持つほかはないようだ。
5図からの指し手
△3二銀打▲2二飛成△4四角▲3一竜△4一歩▲7七角△同角成▲同桂△5五角▲6六角△同角▲同歩△4五角▲8八玉△8四桂(6図)△3二銀打の守りができて、勝ちムードを感じとった。石田さんが歩切れだからである。
▲2二飛成は、捨て身の勝負手。▲5一飛と打ちこみたいが、△4二角があってできない。▲6一飛も、△5二銀打とガッチリ守られて、△3三角がのこるから感心しない。
△4四角と打たせ、▲3一竜の突っこみにのぞみをかけたのは凄味がある。
次に▲6一飛から、▲6二金とされては、私もかなわない。△4一歩の守りは、△3二銀を生かして当然と考えた。
▲7七角では▲6一飛と寄せ合いたいが、△7一金で飛車を渡せない形だから先手苦しい。とにかく、石田さんにとっては△4四角の効きを封じるのが先決問題だ。私はしつこく、△5五角と石田さんの玉頭攻めにいくより勝ち味はない。
▲6六角でも、石田さんは攻め合いをめざしたいが、私の△6五桂、あるいは△8五桂が早い寄せ手で、手が足りなくなる。
しかし、△4五角から△8四桂となって、私はハッキリ勝勢を感じとった。▲8八玉で▲6七角は、△同角成▲同金△5五桂で、私の方がよい。
▲8八玉のところで、石田さんの残り時間は1分。終わってから、このへんの指し手のよしあしをとやかく言うのは酷である。
(中略)
短時間の勝負は時間の使い方に左右されやすい。石田さんがうまい仕掛けで絶対有利に立ちながら逆転されたのも、時間のためといえなくもない。
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大山康晴十五世名人は、5図の局面からの△3二銀打で勝ちムードを感じとったというのだから、本当に驚いてしまう。
5図では飛車と桂の交換の駒損で敵陣に対する手がかりもなし。
△3三角と打ちたくなるが、▲2一飛成△9九角成▲3一飛△7一香▲6二金で負け。
守る一方の△3二銀打は、精神的にとても打ちづらい一手だ。
しかし、ここから大山十五世名人がどんどん盛り返す。
5図を見て、後手を持ちたいという人はほとんどいないだろう。
石田和雄八段(当時)が悪手を指したとも思えない。
大山ワールドの恐ろしさの真骨頂だ。
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対局中に、大山十五世名人から突然「石田さんて、こわい人だ」と言われたら、石田八段は死ぬほどビックリしたか、あるいは嬉しくなって手が緩んでいたかもしれない。
もし石田八段が、緊張そのものの顔つきをしていなかったなら、「石田さんて、こわい人だ」が発せられていたわけで、これも無意識な中での大山流の破壊力満点の盤外戦術の一つと言えるのだろう。
大山ワールドの恐ろしさの真骨頂だ。