将棋世界1984年12月号、銀遊子さん(片山良三さん)の「関東奨励会だより」より。
スポーツの秋だ。先日行われた、関東奨励会キングスジュニア対関西奨励会シルバーズの野球の初対決は、7イニングをにぎやかに戦い、なんと17対16という猛スコアでキングスジュニアが逆転サヨナラ勝ちを果たした。見ている者を笑わさずにおかない好ゲームであったが、詳しいことは言わぬが花というものだろう。
さて今度は、将棋連盟恒例、過去10回の歴史を持つ、マラソン大会である。
スタートは11月9日午前11時、国立競技場のまわりを4周する、5300メートルの距離で行われる。運動部より出走表が発表されたので紹介しておく。棋士、将棋記者も参加する多彩なメンバーだ。
- 塚田 泰明 五段 体力もある
- 堀川 修 野球部代表 ▲
- 愛 達治 完走が目標
- 田中 寅彦 八段 元健脚だが
- 笹尾 幸治 黙々頑張る
- 泉 正樹 四段 やる気十分
- 豊川 孝弘 賞金かせぎ △
- 佐藤 義則 七段 脚力衰えて
- 松下 正造 将世 沼と連係で
- 小池 裕樹 中団が一杯
- 鈴木桂一郎 暑くなれば
- 松本まぐろ フリー 一周やっと
- 長嶋 誠 現役陸上部 ◎
- 小野 修一 五段 前第一人者 △
- 山田 久美 女流 大会の花だ
- 塚田 貢司 酒飲み過ぎ
- 先崎 学 ビリ候補だ
- 沼 春雄 五段 先崎マーク
- 永作 芳也 四段 気合は十分
- 中井 広恵 女流 若さは魅力
- 勝浦 修 八段 大穴はここ △
- 柳沼 正秀 週将 朝練実るか
- 中野 隆義 近将 カメラ持ち
- 小林 広明 野生児一発
- 尾中 一喜 完走は確実
- 潮 隆次 週将 まだ動ける
- 山田 史生 読売 参加に意義
- 石川 陽生 減量成れば
- 桐谷 広人 五段 優勝五回有 注
- 岩月 順二 健闘も入着
- 中田 宏樹 賞金狙うぞ △
- 小田切秀人 男子最軽量
- 小林 宏 四段 本人超本気 △
- 大崎 悦子 週将 一部で評判
- 高井 慶三 共同 記者最有力
- 高田 尚平 毎朝練習中
- 小池 英司 距離もてば
- 山下 文彦 少林寺初段
- 伊藤 直寛 完走きつい
- 武者野勝巳 五段 オナカ出て
- 中野 正 共同 大会最年長
- 高徳 昌毅 長距離苦手
- 小倉 久史 上位台頭も
- 金子 武 根性あるが
- 竹中 健一 地元で有利
- 飯田 弘之 四段 運動万能だ ◯
下馬評では、現役の高校生で陸上の全国大会に出場したこともある長嶋が断然で、その2着争いといわれているが、桐谷、小野、田中ら往年の実力者や、飯田、小林宏などのスポーツマンも揃って出場してくるので、白熱した好レースになるはずだ。
次号でその模様をレポートしてお伝えする。
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将棋世界1985年1月号、銀遊子さん(片山良三さん)の「関東奨励会だより」より。
☆マラソン大会復活
毎年秋の恒例となっていたマラソン大会だが、ここ数年は”マラソンマン”こと対馬聡(退会)があまりに強過ぎて、結果が見えている勝負はつまらないというわけで、しばらく開催されていないかった。(このあたりがいかにもレンメイらしいところ)
20年ほど前は高田丈資六段が断然強く、その後桐谷広人五段の時代がしばらく続き、小野修一五段が新チャンピオンになったかと思ったところへ前述の怪物対馬が現れ他をまったく問題にしなかったという、実に壮大な(?)歴史を持つ将棋連盟マラソン。そろそろ新チャンピオンを決めてもいいんじゃない、との声が出始め、とんとん拍子に話が進んで、11月9日の11時、第11回大会のスタートが切られることとなった。
快晴微風、適度に温かい絶好のマラソン日和の下、勝浦、佐藤義、沼、桐谷、塚田、武者野、小野修、泉、飯田といった棋士の面々、週刊将棋、共同通信、本誌記者それに麻雀プロの井出洋介、高見沢治幸氏らの参加も集め、総勢40名の大人数が一着賞金15,000円と第11代チャンピオンの栄誉をかけて、神宮絵画館周回コースのスタート地点に集合した。スポニチ、近代将棋等々の取材陣も多勢いて、雰囲気はまるで国際マラソン並み(そうでもないか)。通りがかりの人々は、なにが始まるんだろうとケゲンそうな顔だ。
☆ベストドレッサー
毎回、その衣装で目を楽しませてくれる桐谷五段は、白ずくめのランニングスタイルで今回は平凡。ただ頭には「根性」と墨で太く書かれたハチマキがきりりとしめられており、このセンスは別格。
もう一人目立っていたのは荒井二段。胸に大きく「一番」と刷ってあるTシャツを着て、マッチの「一番野郎」を歌って踊っていたから、彼のまわりには誰も近寄らなかった。
勝浦八段のジーンズのスーツは、走りやすそうとは思えないけどカッコ良かったという評判。武者野五段の真っ赤なジャージーは、「すっげー」と言ったきり絶句するものが多かった。
☆レースはハンデ戦
レースを面白くしようというので、各人には実力に応じてハンデがつけられている。奨励会員はハンデなしが原則だが、現役の高校陸上部で断然の本命と目されている長嶋3級にだけはプラス2分の極量を背負わせている。
最も軽いのは中井8級。11時ちょうどにみんなの拍手とともにたった一人でスタートをきった。続いて勝浦八段、佐藤七段らの軽ハンデ組が続々と出発し、奨励会員が一斉にドドドッと出たのが中井8級の出た5分後のこと。長嶋はその中井が1周して10秒後にようやくスタートを許された。こんな形のマラソン大会も、将棋連盟ならではのものであろう。
☆2周してほめられた男
1周1.3キロのコースを4周し、最後の直線を100メートル駆け抜けるという5,300メートルの長丁場。普段ほとんど運動していない棋界人にはかなりきつい。
勝浦八段が1周を7分47秒で帰ってきて「これでおしまい」と宣言して競走中止。佐藤七段もほどなくやってきて「もうダメ」。無理をなさらなかったのは賢明であったろう。しかし、若い高徳二段、伊藤直5級が1周を8分44秒もかけてやってきて「死にました」では情けない。堀川二段も2周でダウンとは野球部随一の俊足が意外だった。肉体年齢はすでに40代後半といわれる先崎1級も2周でダウンしたが、こちらは「よくぞ2周も走ったねえ」と賞賛されていた。困ったものである。
☆疲労目立つ3周目
3周目ともなると、各人疲労が目に見えて明らかになってくる。
中井8級は横腹が痛そうで顔がゆがんでいるし、小野五段は昔の健脚の面影もない天女の舞いのようなおかしなフォームになってしまっている。塚田五段などは走っているんだか、よく見なければわからない。彼はまだ十代のはずなのに。
武者野五段はまるで散歩でもするようなマイペース。前大会でこの武者野とブービーを争った沼五段はなんと17位で3周目を通過。思わぬ健脚ぶりに拍手がわき上がった。
☆結果は大穴?
本命長嶋が力強いストライドでぐんぐん追い上げているが、やはり2分のハンデは大きい。結局、先頭でゴールインしたのは、まるっきりノーマークだった大崎悦子さん(週刊将棋大崎記者の奥様)で、3分のハンデをフルに生かして、あれよあれよという間に逃げ切ってしまったのだった。あとで聞けば、毎朝皇居前をジョギングしているスジガネ入りのランナーだそうで、それならもっとハンデを重くしておくんだったと悔やんでも後の祭りというものである。
2着には長岡1級が1分13秒差で入線。3着高田二段、4着に長嶋3級、5着笹尾1級。以下、桐谷五段、鈴木桂1級、豊川1級、小野修五段、安西三段がベスト10で、結局40名中33名が完走とは連盟マラソン始まって以来の高い完走率だったらしい。拍手拍手。
この1着大崎2着長岡という結果は、もし連勝複式人券が売られていたとすると、86倍ぐらいはつく大穴であろうと言われている。
なおブービーは2回連続で武者野五段。その前が塚田泰五段で、ブービーメーカーは高見沢雀プロだった。皆さん本当にご苦労様でした。
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一着賞金が15,000円と中途半端なところに味がある。
5.3kmというと、東京駅から六本木の東京ミッドタウンまで走るような距離。千駄ヶ谷駅から外苑西通りを走って行くとすると広尾駅のあたりが5.3km。大阪の福島駅からだと心斎橋駅が5.3km。
歩くなら平気な距離だが、走るとなると大変そうだ。
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羽生世代からは先崎学1級(当時)のみの出場。
5年後のマラソン大会で優勝する森内俊之1級(当時)はこの時は参加していない。
1984年11月9日は金曜日だったので、よくよく考えてみれば、森内1級は中学校で授業を受けていた日になる。
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胸に大きく「一番」と刷ってあるTシャツは、時代的にプロレスラーのハルク・ホーガンの「一番Tシャツ」と思われる。近藤真彦さんの「一番野郎」を歌って踊る荒井辰仁二段(当時)は、感動的としか言いようがない。
ジーンズのスーツを着て走る勝浦修八段(当時)もすごい。
桐谷広人五段(当時)の根性ハチマキ、武者野勝巳五段(当時)の真っ赤なジャージも、いかにもマラソン大会っぽくて嬉しい。
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マラソン大会が終わった後は、飲みながらの昼食組、麻雀組など、さまざまな形で千駄ヶ谷・新宿方面の店が賑わったことだろう。
走って疲れた人達を獲物にしようと、雀荘で待ち受けている棋士もいたかもしれない。
楽しそうな金曜日の午後の風景だ。
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〔その後のマラソン大会〕
→森内俊之六段(当時)「すまんすまん」(1993年)