森雞二八段(当時)「おいしそうだな、2個は食べられないでしょう」、中原誠棋聖「いや、食べる、食べる」

将棋世界1983年2月号、福本和生さんの第41期棋聖戦〔中原誠前名人-森雞二棋聖〕第1局観戦記「中原自然流の復活」より。

 83年の将棋界で、ファンの注目の一つに中原の復調がある。無冠となった中原が、タイトル戦線でどんな活躍ぶりをみせるかが関心を呼んでいる。

 五冠王から無冠へと、どん底にまで沈んだ中原であるが、そこは大器である。十段戦に続いて棋聖戦の挑戦者と、みごとな浮上ぶりをみせた。

 第41期・棋聖戦五番勝負は、森雞二棋聖に中原誠前名人の挑戦となった。棋聖戦では初対決である。

(中略)

中原森1

 中原が73手目に▲5二歩(1図)と打ったとき、森は「迷うなあ、迷う手をやってくるよ」と言い、中原は「なんだか縁台将棋みたいになった」と苦笑していた。

 森は対局開始となると、目薬を注文していた。中原が91手目に▲5二角(2図)と強手を放ったとき、目薬をとってパッパッと両目にたらした。そして「さあ、これでさっぱりした。うん、冴えてきたぞ」。中原は、あきれたような顔から、ぐっと笑いをかみ殺していた。

中原森2

(中略)

 局面に目を移そう。中原の▲5二角から△同金▲同成銀△3一飛▲5五歩△6一歩▲5四歩△4二金と進む。そして中原の109手目、▲5八飛に森が舞うような手つきで△3五角と出た局面。(3図)

中原森23

 両者が攻防の秘術をつくしている。期待どおりの大熱戦である。

森「3五角出のまえに、△5七歩を一発きかせておくべきだった」

 中原の急迫、また急迫で森陣は風前の灯である。

 森は念力をかけるように「切れてくれ」と叫んだ。中原はびっくりした表情で「そんな無茶な…」と言って、森の顔をまじまじと見つめていた。森は何かに憑かれたようになっていた。非勢の局面である。なんとかこの急場をしのいで、相手に反撃のパンチをあびせたい。中原の攻めが切れてくれれば、そのチャンスがある。「切れてくれ」と内心で念じていても、口にだすということは考えられないことである。それは苦戦を相手に告白するようなものだ。

 が、森の「切れてくれ」の叫びは、いかにも森らしくして好感がもてる。そして、中原が「無茶な…」と真顔で受けたのもいい。私は感動させられた。

 中原は111手目に▲9三銀と打って、あとは一気に寄せ切った。あざやかであった。中原の充実した気力をみるおもいであった。

(以下略)

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将棋世界1983年3月号、福本和生さんの「中原、棋聖位に返り咲く」より。

(中原誠十段が棋聖を奪還した第4局の打ち上げ)

 打ち上げの宴となった。森の隣に私、その横に中原という席順であった。夕食前に将棋が終わっているので、注文しておいた食事がテーブルに運ばれた。全員がうな重で、中原だけが洋食であった。中原の前に置かれたコロッケを見て森が「おいしそうだな」といった。そして「2個は食べられないでしょう」というと、中原はあわてぎみに「いや、食べる、食べる」とあわててフォークを手にした。いろんなことが想像できて、ちょっと面白い寸景ではありませんか―。

(以下略)

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1983年2月号の第1局観戦記「中原自然流の復活」の冒頭には、

「切れますように…」と森棋聖。「そんな無茶な…」と中原前名人。ふたりは顔を見合わせて、ハハハ、フフフと笑い出す。こんな笑顔とはうらはらに、局面はぎりぎりの攻防が続いていた。

と書かれている。

森雞二棋聖(当時)らしさ全開の「切れてくれ」の叫び。普通なら、多少ビックリしてもスルーするところ、「そんな無茶な…」ときちんと反応するのも中原誠名人らしい。

剃髪の名人戦と呼ばれた1978年の名人戦〔中原名人-森八段戦〕から4年しか経っていない頃のことだ。

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第4局の対局場は箱根のホテル花月園だった。

コロッケといっても、ジャガイモコロッケではなくカニクリームコロッケなのではないかと思う。

しかし、うな重にカニクリームコロッケは、食べ合わせとしては、どう考えても合わない。(もちろん、ジャガイモコロッケも合わない)

中原十六世名人は、この時、無冠から一気に十段・棋聖の二冠に復活している。

森八段の「2個は食べられないでしょう」は、「短期間に十段も棋聖も奪還してお腹がいっぱいでしょう。今からでもいいから棋聖だけでも戻してくださいよ」という気持ちが込められていたのかもしれない。

「お金はいらないからタイトルを取らないでくれ」