神戸組百花繚乱

将棋世界1983年8月号、中平邦彦さんの「神戸だより」より。

 この原稿、箱根のホテル「花月園」で書いている。

 締切日を過ぎているが、なにしろ名人戦が決まらないことには何も書けない。箱根はその6局目。二転、三転、そして四転してついに谷川新名人の誕生となった。

 50人を超える報道陣が夢中になって取材し、やっと一段落して酒になった。疲れがどっと出てきたが、頭の方は劇的な名人位交代で興奮してしまって治まらない。酒を飲んでも酔わず、眠ろうにも眠れない。

 そんな訳で、朝まだき、蕭々と降る雨を見ながらこれを書いた。箱根からの第1回”神戸だより”である。

 神戸だよりは、内藤国雄王位を総帥とする”神戸組”がA級に4人も頑張る大勢力になったのを見て、編集部が彼らとその一統の動向を報告せよ、というものだ。その第1回が谷川名人誕生だからすごい。

 神戸はこの春から「将棋」の話題でもち切りだった。

 まず3月に”不倒流”の淡路仁茂が八段になった。神戸からA級4人というのは無論初めてだし、他に類を見ない。この時点で地元のNHK神戸放送局が「神戸将棋フェスティバル」を開きたいと相談に来たほどだ。この詳細は次号に書こう。

 次が谷川浩司の名人挑戦。神戸新聞は一面と社会面で大報道をした。よその社の棋戦なのに、主催の王位戦のときより扱いが派手だった。王位のタイトル保持者内藤が、

「王位戦に冷たいやないか」と皮肉を言ったものだ。

 名人戦第1局。まさかと思ったが、谷川があっさり勝ってしまった。そして、あれよ、あれよという間に3連勝してしまったではないか。

 神戸は騒然となった。このまま名人を取ってしまうのではないか。神戸新聞や在阪のスポーツ紙は谷川の生い立ちの連載企画をあわてて始めた。

 第4局の寸前の5月15日。

 神戸オリエンタルホテルで淡路八段昇段祝賀会が盛大に開かれた。森安秀光八段と兄の正幸五段、谷川に師匠の若松政和五段、小阪昇五段、井上慶太四段(谷川の弟弟子)ら神戸組のほか、東京から青野照市八段らも来た。

 森安が「歩」、谷川が「哀愁のカサブランカ」を歌った。青野の歌も渋かった。あいさつに立った淡路は「目標の八段になれたのは皆さんのお蔭です」と言った。ここまでは良かったが「これからは普及に全力を尽くします」で締めくくったのには驚いた。A級新八段は商品たるいい将棋をファンに見せるのが最大の仕事だ。まあ、淡路流の謙遜だったのだろうがユニークな新八段だ。

 19、20日の第4局は加藤の勝ち。

 24日。森安、棋聖戦決勝で桐山を破って挑戦者に。準決勝で兄弟子の内藤に勝ったのが大きかった。

「もし、谷川が名人、森安が棋聖になったら七大タイトルの4つを神戸が持つ。えらいこっちゃ」と内藤王位・王座がいう。

 6月1日、2日。第5局も加藤勝ち。流れは谷川から加藤に移ったかに見えた。

 8日。棋聖戦第1局は中原勝ち。

 12日。日曜の夜。内藤、森安、神吉三段(内藤の弟子)が筆者の家を来襲。

 テレビのホロビッツ演奏を見た内藤、

「お、5万円やな。ホルスタインが弾いとる」と奇怪な命名をする。大ファンのアントニオ猪木がホーガンに倒されたのを心配して「あのアックスボンバーはきついからなあ」という。巨匠を乳牛呼ばわりしながら、プロレスの技は実に正確でよく知っている。

 そして「谷川は次に勝つよ。4-2で取ると予想したのが当たるよ。去年も加藤が4-3で取ると当てたのはワシやからな」という。

 森安泥酔で先に帰る(筆者宅から5分だ)。

 夜12時だ。「うむ、これから森安の家へ行ったろうか」と内藤。すると弟子の体重105キロの神吉が

「ま、ま、烈堂様、ここは抑えて。柳生一門のために」なぞとふざけて止める。烈堂とは「子連れ狼」の敵役、柳生の総帥で、内藤は拝一刀より烈堂のファンだ。

「ではカワズ落としで帰るとするか」と内藤、またもプロレス用語で立ち上がるが、近くにタクシーもなく、筆者の愚妻が車を運転して国道まで送る。すると国道脇に焼き肉の看板があり、無理やり誘われる。筆者はパジャマ姿だ。パジャマで店に入ったのは生まれて初めてだ。隅っこにこそこそ隠れる。

 焼き肉8人前のうち、神吉は1人で6人前と丼飯、ビール、ワカメスープを平らげた。外へ出て「お休み」と言ってると、突如、鶏がコケーコッコッコと鳴くではないか。朝と間違えたらしい。将棋指しがいると奇怪なことがよく起きる。

 そして15日。21歳の新名人誕生す。心配で駆けつけた師匠の若松のふくよかな顔が、安心と疲労でげっそりしていた。神戸はますます忙しくなる。

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谷川浩司八段(当時)が加藤一二三名人(当時)に勝って新名人になった時。

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1983年のこの頃、ウクライナ生まれのアメリカのピアニスト、ウラディミール・ホロヴィッツ(1903年-1989年)の初めての来日公演があり、S席が50,000円だった。

また、1983年6月2日には、アントニオ猪木がハルク・ホーガンの必殺技・アックスボンバーにより、試合中に失神をしている。

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柳生烈堂のファンの人というのは日本中にどれくらいいるのだろう。

なかなかいないような気がする。

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Yahoo!知恵袋などによると、焼肉店での焼肉1人前は平均して100gであるらしい。

焼肉6人前が600gとすると、ややボリュームのあるステーキ3枚分。

深夜としては、というか昼間でもすごい量だ。

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内藤国雄王位・王座、谷川浩司名人、そしてこの後、森安秀光八段が棋聖位を獲得し、神戸組が七冠中四冠を保持することになる。