勝浦修九段と西部邁さんの対談

将棋世界1993年3月号、棋士交遊アルバム「我ら北国の同郷の志、共に酒を酌み語らん」より。勝浦修九段と評論家の西部邁さんの対談。

西部 将棋は妙に好きだね。テレビ将棋は、いつもじっと見ている。

勝浦 たまに指すことはありますか。

西部 学者という人間は単純でね、友達が意外と少ない。だから、将棋の相手もいないな。息子が小学3年生になった時、将棋を教えたことがある。しかし、負けてあげればいいのに勝っちゃった。それ以来、相手をしてくれないよ(笑)。

勝浦 NHKのテレビ将棋は、毎週欠かさず見るそうですね。

西部 そう、必ずね!どんなひどい二日酔いでも見る。仕事で地方に行っていれば、家族にビデオ録画をたのんでおく。とにかく、将棋に関してはミーハー。いや、のぞき魔かな(笑)。

勝浦 ありがたいことです。

西部 僕は酒を飲む以外に、趣味がなくてね。唯一の楽しみが将棋なんだ。せわしない男だけれど、将棋はじっと見ている。ある時、テレビの衛星放送で将棋の番組を無音で見ていたら、大学生の息子が”オヤジ音を出していいよ”だって。今や、将棋は家族公認の趣味です。

勝浦 テレビ将棋の魅力とは、いったい何ですか。

西部 そうだな・・・。将棋を通して、人間学を楽しむことかな。対局者や解説者の表情や仕種を見て、いろいろなことを考える。

勝浦 好きな棋士はいますか。

西部 テレビ将棋ではどちらを応援するか、瞬間的に決める。もっとも、形勢によって途中で変えることもあるけどもね(笑)。好きな棋士は、中原さんと加藤さん。二人とも、この人を好きにならないと、義にもとる。そんな感じだね。それから、あなた。勝浦さんの解説は好きだよ。寡黙でしゃべらないからね(笑)。

勝浦 意識しているわけじゃなくて、しゃべるのを忘れちゃうんです(笑)。

西部 勝浦さんと初めて会ったのは僕が東大をやめた頃だから、4年前かな。

勝浦 そうですね。新宿二丁目のPという酒場でしたね。ちょうどカウンターのとなり合わせになったんです。僕は討論番組の”朝まで生テレビ”をいつも見ていましたから、すぐに西部先生って、わかりました。しばらくして、サインをくださいとお願いしたら、先生の言葉には本当にびっくりしました。

西部 何をおっしゃる、私こそ。そう言ったのかな(笑)。なにしろ、僕の方だってテレビ将棋で勝浦さんのことを、よく知っていたからね。

勝浦 僕は北海道の紋別生まれなんですが、先生は札幌ですか。

西部 僕のジイさんは、富山の浄土真宗の坊主でね。父の代から北海道に住んだ。20年近く前かな。紋別には一度行ったことがあるんだ。友人があのあたりで漁師をしていてね。

勝浦 僕の実家は、駅前で旅館をやっています。

西部 そうだってね。じつは、その勝浦旅館の前を通ったら、友人が言うには、ここの旅館の息子は将棋指しとして有名なんだって。

勝浦 それは奇遇ですね(笑)。その友人の方は、どんな人ですか。

西部 唐牛健太郎。60年安保の時の、全学連の委員長だ。兄貴が北大時代に同級生だった。

勝浦 聞いたことがある名前ですね。たしか、先生の著書の”センチメンタルジャーニー”に、くわしく書いてありますよね。

西部 今は漁師だ。最近は魚がと獲りにくくなって、仕事がやりづらいらしい。

勝浦 オホーツク海に面する紋別は、接岸した流氷が離れていく季節が、一番きれいですね。

西部 それと、6月ごろの緑が淡くていいね。じつはね、東京暮らしがイヤになったことが一度あった。女房と相談して、網走に移住することを本気で考えた。ちょうどその時、網走で仕事があり、地元の人にそれを打ち明けたんだ。でも本気にしてくれなかった。あの時、間髪を入れずに返事があれば、言った手前、移らざるをえなかったかもしれないな(笑9.

勝浦 僕は中学は札幌で、師匠の内弟子をしていました。高校は東京でした。

西部 そうそう。あなたの高校時代の同級生で、渡辺っていう人がいるでしょ。

勝浦 そうです。一番仲がよかった友達ですね。

西部 その渡辺さんは、最近独立しましてね。編集プロダクションの会社をつくったんです。僕とは前からちょっとした縁があり、現在顧問になっています、昨夜も会って、2時まで飲んでいました。勝浦さんに明日会うと言ったら、ぜひ会いたいと言っていましたよ。

勝浦 なつかしいですね。彼とは一緒によく遊びましたよ。帽子を深く被って日活のロマンポルノを見たりして・・・(笑)。

西部 渡辺さんは律儀な人でね。僕がいらないと言っても、顧問料を毎月振り込んでくる。僕はそのお金を積み立てて、彼の会社のスタッフ全員との社内旅行に使おうと考えているんだけども、どう勝浦さん、一緒に行かない(笑)。東北あたりに。

勝浦 いい話ですね。僕もぜひ連れて行って下さい(笑)

西部 ナベちゃんから聞いたけど、あなたはすごい博打打ちなんだって・・・。

勝浦 ハハハ、そう言ってましたか。ほかにやることがないもんですから。

西部 僕もね、チンチロリンに夜な夜な明け暮れた時期があったの。貧乏人同士の金のむしり合いをね。60年安保の闘争が終わった頃かな。あの時は公判中で市民権もなく、茫然自失の感じだった。

勝浦 棋士の米長さんの三人のお兄さんはみんな東大で、そのうち一人は60年安保の時にデモで国会に突入したと聞きましたが、おぼえていますか。

西部 ウーン、その名前は聞かないな。接点はなかったようだね。東大には58年に入ったんだけど、授業はほとんど出なかった。もっぱら学生運動に専念していた。その当時は、反代々木系の走りの時で、民青とはしょっちゅうケンカをしていた。ある年、民主的なルールを破ってニセの選挙をやり、僕が自治会の委員長になった。代々木にはどうしても負けたくなかったんだ・・・。

勝浦 いろいろなことがあったんですねェ。僕は先生の本の中で”過去に学ぶ無形の形”という伝記が好きですね。

西部 でもね、勝浦さん。言葉の世界は多少デタラメでもいいんです。あとで言い逃れがきくからね。その点、将棋ははっきりしていていいね。それと、言葉はきついね。僕が酒場に行くと、必ず誰かがちょっかいを出して論争を挑んでくる。

勝浦 ”朝まで生テレビ”では、いつも大論陣を張りますね。

西部 あの番組に初めて出たのは、大学をやめた4年前。原発がテーマで、僕なりの意見を言ったら、担当プロデューサーと意気投合しちゃった。それから月1回だけ出ています。

勝浦 先生は人気があるから、ほかのテレビ番組からも、出演をたのまれませんか。

西部 クイズ番組なんかの誘いもある。でもね、人間、ケジメをつけないといけないと思う。タレントじゃないんだ、やってられるか、という感じだね。やっぱり、テレビは将棋だよ。

勝浦 最後はそこにたどりつきますか。

西部 僕にとっては、教育テレビの将棋がすべてだなあ。ちなみに、あの局には将棋じゃなくて、教育講座の講師で出たことはあるんだよ。

勝浦 僕は最近勝たないので、テレビ対局はあまり出ません。

西部 結果は気にしなくていいですよ。しょせん、将棋じゃないですか。そして、しょせん政治、学問です。僕のようなテレビ将棋を通して人間学を楽しむファンもいるんですから、勝浦さんは自分らしい将棋を指せばようのですよ。

勝浦 今日は、いろいろと貴重なお話をありがとうございました。

西部 どうです。二次会は、二丁目に繰り出しましょう・・・。

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西部邁さんは保守派の論客。

現在も著作やTOKYO MX『西部邁ゼミナール』などで活躍されているが、この頃は『朝まで生テレビ!』にも出演している。

西部邁さんは学生時代は共産主義者同盟に加盟、東京大学自治会委員長、全学連の中央執行委員も務め、1960年には安保闘争に参加している。

しかし翌年、左翼過激派とは決別し、その後は保守思想を基軸にした評論活動を活発に行うようになる。

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対談は、品の良さそうな割烹風居酒屋で行われている。

「新宿二丁目のPという酒場」と出てくるが、新宿二丁目にあった「あり」と思われる。

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10年ほど前、「あり」で西部邁さんとカウンターでとなり合わせになったことがある。

西部さんは非常に温厚で話も面白く、ずっと一緒に酒を飲んでいたくなるような雰囲気を持っていた。

その次に「あり」へ行った時、ママ(初代)は、「西部さんのお嬢さんがとても綺麗で優しい方なの。そうだ、◯◯さんとお見合いなんかしたらどうかしら」と言っていた。(◯◯さんは棋士)

その少し後、初代ママは引退してしまったので、お見合いはセッティングされなかったのかもしれない。