1994年、羽生善治名人誕生ロングインタビュー(前編)

昨日は将棋マガジンでの羽生善治新名人へのインタビューで、今日は将棋世界での羽生善治新名人へのロングインタビュー(前編)。

将棋世界1994年8月号、羽生善治名人誕生!!ロングインタビュー「升田先生と指してみたいですね」より。インタビューは名人戦から5日後、羽生名人の八王子の実家で行われている。

子供時代によく遊んだという八王子市の実家の近くの公園で。将棋世界同じ号より、撮影は弦巻勝さん。

―名人戦が終わって5日経ちました。『名人』という新しい衣は馴染んできましたか。

羽生「馴染んできたとは、感じませんが、周囲の反応が全然違うので、それで名人になったという気がしています」

―名人戦を振り返っていただきたいのですが、1年前にA級に昇級して、それまでとは『名人』への感じ方が違ってきたと思うのですが。

羽生「自分の現実問題として考えるようにはなりましたよね。それまでは、一つでも上のクラスに上がろうというそれだけでしたから。A級に入ろうとか、名人になろうとかは考えてないですから。これは上がったことのある人なら誰でもそうだと思うんですが、何となくだんだん身近に感じられてくるんですよね」

―最終戦で谷川さんに敗れてプレーオフになった辺りの気持ちを聞かせていただきたいのですが。

羽生「後半に二つ負けたんで、流れは悪いかなと。まあ、でもそんなことも言ってられない状況ですから。それに中原先生にしろ、谷川さんにしろ、勝たないことには挑戦者になれないのはA級が始まる前から分かっていたことですから」

―そのころ、上座、下座のことがずいぶん話題になったわけですが、騒がれようには驚いたのではないですか。

羽生「反応の大きさは正直言ってこんなに大きいとは思いませんでしたね。自分にとってはそれほどでもなかったんですが、周りの人はそうじゃなかったんだなと。別のところで書きましたけど、うっかりしていたのは、順位戦だから特別というのと、永世資格保持者ということだったんですよね」

―プレーオフになったこともあり、改めて米長将棋を研究するという時間はあまりなかったと思うのですが。

羽生「棋譜は普段から見てますから。米長先生のだったら自然に目に入りますし、挑戦者になって改めて調べなおしたということはなかったです。最近はまず王様を囲って歩で攻めてくるんですよ、一歩ずつ。以前とはだいぶ印象が変わってきましたね。以前は、王様を囲わずにばんばん攻めてきたと思うんですが。今は理想形ができる前に攻めてくると切らしてしまうような。そんな印象を持っていました」

―さて名人戦ですが、ふたを開けての中飛車には、みんながびっくりしました。

羽生「そうですか?どこでやるかは別にして1回ぐらいはやろうと思っていました。5筋位取り中飛車は。1局目にやろうと決めたのは振り駒の後ですが、あの形は以前、割とやっていたんです。公式戦で3~4局やっていて自分なりにも経験はありましたから。好きなんですよね。振り飛車で守っているだけでなく自分から動けるのは、あの戦法だけなんで。振り飛車も悪い戦法ではないと思っているんですが、待っていなくてはいけないのが辛いんです」

―3連勝した後の連敗ですが、やはりプレッシャーみたいなものはあったのですか。

羽生「最初は、スコア的にも余裕がありましたが、そうも言ってられなくなりましたから。6局目は最終局のつもりでした」

―プレッシャーを感じるのは、自分がその器にないからだと話していたことがありましたが、その言葉を思い出していたりしたのでしょうか。

羽生「そうですね。というか、名人戦は、いろいろ催し物があって、騒然としている面があるじゃないですか。だから、静かな所に行っていました」

―羽生さんの将棋は、悪い手を指した後の立ち直りが早いと言われていますが、なにかイメージトレーニングのようなことはしているのですか。

羽生「いえ、していません。ただ、なんて言うんですか、前の手の意志をつなげて自滅するということはしません。不利になったらその場面での最善を考えるということですね」

―6局目は後手番だったわけですが、戦型の予想はつきましたか。

羽生「矢倉か角換わりか、半々ぐらいと思ってました。ただ、米長先生は、直前に王座戦で角換わりの将棋をやっていましたが、それが予行演習なのかどうか、ちょっと分かりませんでした。角換わりだと棒銀と決めていました。同形をやっても良いのですが、研究で負かされるかと思うと気分が良くありませんから。それに腰掛け銀の同形は、9時間の将棋よりもっと短い将棋でやった方がよいと思っているので。中盤の終わりまで形が決まっていますから」

―6局目の夕食休憩では、優勢を意識していたとのことですが、局面以外のことも頭に浮かびましたか。

羽生「普通に進めていけば勝ちにあると思っていました。局面以外のことが頭に浮かぶということはなかったのですが、ただ食事は進みませんでした。ご飯を少し食べて、おつゆを少し飲んでそれだけでした。再開後は15分ぐらいで差が縮まったので青ざめましたね」

―対局中の棋士の胸の内は、喜怒哀楽の連続であると言ってましたが、あの将棋にもそんなところがあったのでしょうか。

羽生「そうですね。さすがにこの将棋負けたら勝つ将棋がないな、とは思いました。今度の名人戦を象徴しているような将棋でしたね。最初にかなり良くなってから縮まって最後で踏みとどまったという、凝縮されているような感じでした」

―終わった直後のことは覚えていますか。

羽生「米長先生が、なんて言って投了したかも覚えてないんですよね。序盤の構想を30秒か1分ぐらい話したところへいっぺんに報道陣の皆さんが入ってきて」

―あの日は一睡もされなかったようですが。

羽生「ええ、寝ると起きられなくなるような気がして。別に目がさえていたわけではないんですが、相当寝ぼけてましたよ。翌朝テレビの生放送の後部屋に戻って1時間半ほど寝て、かなり元気になりましたけど」

―最近の羽生将棋についてお聞きしたいんですけど、ここ1年ぐらいは、わりと変わった戦型の将棋を指しているような、それまでの羽生将棋とは違う方向へ動いているように見えるのですが。

羽生「以前というか、2~3年前からは、もう徹底的にデータを研究してやってきたんですよ。矢倉にしろ、角換わりにしろ、相掛かりにしろ。それだと序盤であまり考えなくてよいので、勝負の面で言うと楽ですよね。ただ、そういうのに飽きてきたところがあるんで、自分なりに工夫しているんです。後、最近序盤の20~30手を考えるのが、面白くなってきたのでそこに時間を費やしていくということです。前はそれこそ、王様を囲ってから考えるという感じがあったんですけど」

―それは最近研究会をやってないことと関係ありますか。

羽生「そうですね。多少関係しているかもしれませんね。なんて言うんですか、流行の最先端型だとちょっと自信ないところがありますよね。むしろ乱戦の方がいいかなという。今は。それに棋譜を覚えて、自分なりに研究してというのは、それこそまた始めようと思えばいつでも始められるんで、もっと創造的なことは若いときでないとできないと思っているので。ですから、また普通に矢倉ばかり指すようになるかもしれませんけど」

―中盤での凄い手、たとえば、去年の竜王戦の1局目の香損した後に▲8七歩と打ってから▲8六歩~▲8五歩と突いていく手のような凄みのある手も増えていると思うのですが。

羽生「まあ、苦しいときは苦し紛れにいろいろやるということですね。世間では『羽生マジック』などと言われていますが、自分では普通にやっているつもりなんですが」

―ところでタイトル戦のない1週間はどんな感じで過ごされていますか。

羽生「タイトル戦がなくても、公式戦が1局はつきますから。その前後の日はほとんど動きません。残りの日は特に決まっていません。本を読んだり、囲碁の勉強をしたり、もちろん将棋の勉強もしています」

―ところで英会話は自称5級だそうですが、その後の上達ぶりはいかがですか。

羽生「間隔を置かないで行くようにしないといけないんですが、しばらく行けそうにないですから。これまでは忙しくても行っていたんですが。今月(6月)は取材攻勢にあっていますので。7月に入ったらまた行きます」

―英会話をしたり、普段の対局ですと連盟まで自分で車を運転してきたりしますが、将棋に対して損だとかは考えませんか。

羽生「それは考えたことないですね。通勤に車を使う人は山ほどいますから。いい気分転換にもなりますし。英会話は、やり始めると結構面白いですし。後は何もなければ、週に1、2度スポーツクラブに行って泳いでいます」

―今、1ヵ月自由な時間があれば何をしてみたいですか。

羽生「う~ん、どこでもいいんですが、どこかに行ってのんびりとした、怠惰な生活を送りたいですね」

―最近読まれた本や、見た映画で印象に残っているものはありますか。

羽生「そうですね。三浦綾子の『氷点』が面白かったですね。『氷点』『続氷点』と続くんですが、なかなか感動的でしたよ。ジャンルは問わないんですが。次から次へ読もうと思って10冊ぐらい積んであるんですが、なかなか読む時間がなくて。今度の名人戦でも移動の電車の中で読んでいた時もありますよ。気に入った本ならリラックスできますし。映画は『覇王別姫』という中国の京劇の映画なんですが、面白かったですね。伝統芸能の子供時代から死ぬまでを描いているんですが。ジャンルはまじめなものか、アクション物がいいですね」

―F1なども好きですよね。

羽生「スポーツはなんでも見ますね。野球は見ませんが、サッカー、テニス、ラグビーとかはよく見ますね。これからワールドカップも始まるし、ウインブルドンも始まるし大変なんですよね。合間を縫って見るつもりですが。ワールドカップの優勝国ですか。あれはちょっと分からないですね。独特の雰囲気がありますよね。スタジアム全体で、わーっ、となるような。クラブ選手権とは全然違いますよね。F1だと好きなレーサーは、そうですね、マンセルなんか好きですね。インディに行っちゃいましたけど、また戻ってくるという話もありますし、ぶちっと切れるじゃないですか。切れると普通ダメになるけど、そこからまた力を出してくるという、そういうところがいいですね」

(つづく)

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「馴染んできたとは、感じませんが、周囲の反応が全然違うので、それで名人になったという気がしています」

渡辺明名人の名人位獲得一夜明けてのインタビューでは、メールやLineが多く届いて、名人位の反響の大きさを感じたと語っている。

1994年のこの頃は、携帯電話は出始めてはいたけれどもメールの機能など無く、そもそも携帯電話や自宅パソコンの普及率自体が非常に低かった。

そういうわけなので、羽生善治名人(当時)が感じた周囲の反応というのは、取材が殺到したことや直接会った人からの言葉などによるものだったと考えられる。

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「そのころ、上座、下座のことがずいぶん話題になったわけですが」

これは、羽生四冠(当時)が「持っているタイトル数は多くても、順位戦は特別で順位戦上位者が上座」というしきたり(明文化はされていなかった)を知らなかったことから起きたこと。

現在の序列の考え方から見ると、羽生四冠は間違っていなかった。

ヒールになってしまった羽生善治四冠(当時)…前編

ヒールになってしまった羽生善治四冠(当時)…後編

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「振り飛車も悪い戦法ではないと思っているんですが、待っていなくてはいけないのが辛いんです」

5筋位取り中飛車以外の振り飛車について。

やはりオーソドックスな振り飛車は、待つのを耐える演歌の世界なのか。

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「前の手の意志をつなげて自滅するということはしません。不利になったらその場面での最善を考えるということですね」

これは、人生にも企業経営にも生きてくる考え方だと思う。

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「世間では『羽生マジック』などと言われていますが、自分では普通にやっているつもりなんですが」

普通にやっている手が見ている人を驚かせるのだから、やはり素晴らしいことだ。

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覇王別姫』は、1993年に公開された香港・中国合作映画。

娼婦の私生児で捨てられるように京劇俳優養成所に入れられた小豆子と、娼婦の子といじめられる小豆子をことあるごとに助けた先輩の石頭。

やがて小豆子は女形として、石頭はそのまま男役として京劇のトップスターとなるが、日中戦争や文化大革命が彼らの運命を変えてしまう。

時代に翻弄される二人の目を通して近代中国の50年を描く大河映画。

とても美しく、悲しい映画だと言われている。

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「F1だと好きなレーサーは、そうですね、マンセルなんか好きですね」

屋敷伸之六段(当時)もナイジェル・マンセルの大ファンだった。

マンセルは棋士好みのレーサーだったと考えられる。

屋敷伸之六段(当時)「マンセルを好きなわけは、なんといっても危ない魅力にあります」

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「6局目の夕食休憩では、優勢を意識していたとのことですが、局面以外のことも頭に浮かびましたか」

「局面以外のことが頭に浮かぶということはなかったのですが、ただ食事は進みませんでした」

このような場面で、「名人になれるかもしれない」「インタビューにはどのように答えよう」など、盤外のことが頭に浮かんできた途端に、形勢が急激に悪化するケースが多い。

普通ならついつい「名人になったら…」と考えてしまいがちになるものだが、このような時にも盤上に集中できるということが、名人になるための条件なのだと思う。

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「どこかに行ってのんびりとした、怠惰な生活を送りたいですね」

怠惰な生活だけなら自宅でも簡単にできるわけだが、やはり例えばカリブ海の小さな島へ行って一日中ボケっとしているのは、とても良いことのように思えてくる。