千日手規約を変えるきっかけとなった一局

将棋世界1983年5月号、米長邦雄棋王・王将(当時)の第41期名人戦・挑戦者決定リーグ戦〔対谷川浩司八段〕自戦記「さわやか流返上の一局」より。

 A級1年生の谷川君は、名人リーグ6勝1敗と好調で、挑戦者レースを独走の感があり、テレビや週刊誌も彼を追っていて、この対局当日もTBSが朝から終局まで詰めっきりで対局風景などを撮っていた。

 こちらは3勝4敗で、降級の可能性が無いわけではなく、まさかという状態を憂慮しながら対局に臨むことになった。

 早朝将棋会館へ着くと、1階でバッタリ谷川君と顔を合わせたので、「ガンバレヨ」と一言声をかけておいた。

(中略)

千日手1

8図からの指し手
▲7八銀△同金▲同銀△同銀不成▲8八金△6七銀打▲8七銀△7九金(9図・8図と同一局面)  

 8図で▲7四馬がダメなので、①2八飛と浮く手を考えた。

 しかしそれも△8六角▲同銀△8七歩で、▲7八金△同銀不成▲同飛△同金▲8七玉△8八飛▲9六玉△9五金▲同銀△同歩で詰まされて負け。

 次に②▲2七飛を読んだが、やはり△8六角▲同銀△8七歩で寄せられる。△8六角の時に▲6七飛とするのも△8九銀不成▲同金△9七角成で負け。

 ③▲2八飛打や④▲2七飛打を読んでみたがどれも面白くない。

 それで8図で▲7八銀と取り、8手後に8図と同一局面に戻った。

 この間に12分を使い私の残り時間は8分となった。(谷川君の方は残り17分)

9図からの指し手
▲7八金△同金▲同銀△同銀不成▲8八金△6七銀打▲8七銀△7九金▲7八銀△同金▲同金△同銀不成▲8七銀△6七銀打▲8八金△7九金▲7八銀△同金▲同金△同銀不成▲8八金△6七銀打▲8七銀△7九金▲7八金△同金▲同銀△同銀不成▲8七銀△6七銀打▲7八銀△同銀不成▲8七銀△6七銀打▲8八金△7九金▲7八銀△同金▲同金△同銀不成▲8八金△6七銀打▲8七銀△7九金▲7八銀△同金▲同金△同銀不成▲8七銀(10図)  

 9図からの手順は千日手模様だが、現行ルールの『同一手順3回』という規定からすると千日手にはならない。

 同一局面は現れても、途中の手順を少しずつ変えてあるので、千日手にはならないのだ。とすると似たような手順の繰り返しで、いくらでも考えることができる。

 この一局はどうしても勝たねばならない将棋なので、記録係に「50秒」だけ読んでもらって、50秒までは千日手を解消する諸々の手順を読み、50秒と言われると千日手模様の手を指すことにした。

 そうして10図まで1時間近く同一局面を繰り返して時間を稼ぎ、いろんな筋を読んだ。

 9図から5手目の▲8八金の1分は記録が「50秒」を読み忘れたために消費したものだ。

 私は③▲2八飛打か④▲2七飛打に打開の順があるのではないかと読み直してみたが、③▲2八飛打は△8六角▲7九飛△同銀不成▲8六銀△8八銀成▲同飛△7六銀成で負け筋だ。

 ④▲2七飛打も似たりよったりで、飛車を手放すと負けらしいのが分かった。

 普通に読むのと違って、「50秒」と秒を読まれながら手を読むのは物凄く疲れる。

 うっかりすると同一手順3回で千日手になりそうなところで、あるいはうっかり同一手順を3回繰り返して千日手になった方がいいのかもと思ったりした。

 9図から31手目に”▲8八金△7九金”の手を交換しないで▲7八銀と取ったので、いままでの千日手模様の手順が総て精算され、これでしばらくは”同一手順3回”を気にしなくて読めるようになった。

 この千日手模様は、現行ルールでは対局者に千日手にする気がない限り、死ぬまでやってもどうどう巡りとなる。必死に読んでようやく結論らしきものが出かかってきた。

 打開の手順で一番有望なのは、9図の局面から▲7八銀△同金となった時に、単に▲8七銀(参考E図)とする手で、これに対し△6九銀は▲同飛と切って△同金がソッポなので勝てる。

千日手4

 参考E図では△8八金と取り▲同玉となるが、そこで△8六角は▲同銀△7八銀打の時▲8七金(▲8七歩は△8九銀成▲同玉△7七歩で負け)と打って残せる。

 谷川君の指し手の勢いからしてこうきそうな気がして、これは勝ちだと思ったが、△8六角でなくじっと△5六銀成とする手が好手で、容易でないのに気付いた。

  △5六銀成には▲7四馬△6六成銀▲8五馬(参考F図)となるが、ここで①7七歩②6八銀③6七金などがある。

千日手5 

 △7七歩と来そうだと思い、そこで①▲1四桂△同歩▲同歩としてトン死筋をねらう手と、②▲7九桂③▲7九金④▲6九金⑤▲6八金など受けに回る手がある。

 それを整理して、参考F図から△7七歩▲7九桂△6八銀▲5八金と読んだが、どちらが勝ちなのか全然分からない。

 ようやく勝ちになったのなかと思った矢先の千日手模様だし、年も違うし(向こうが若くて体力がある)、千日手指し直しとなれば勝てないのではないかと思ったので、とにかくこの順で打開するよりないと思っていたところ……

千日手2

10図からの指し手
△8九銀不成▲同飛△7七銀▲7四馬△7八金▲8五馬△8九金▲7七銀△6九飛▲7八銀打(投了図)まで181手にて先手勝ち

 あまりにさわやかではない私の指し手にイヤ気がさしたか、10図で谷川君が突如手を変えてきた。

 しかし△8九銀不成▲同飛△7七銀に▲7四馬が絶妙の一着。これに対し△6六銀成ときても▲8五馬で受かる。本譜の△7八金に対しても▲8五馬が決め手となった。

 谷川君の方から手を変えたのは、同一手順が続いてイヤ気がさしたのか、あるいは千日手模様は私に打開されて負かされるとみたのか、それとも勝ちと思って打開してきたのか、その3つのいずれかだろうが、局後そのことについては触れずじまいで、とても聞けなかった。終局は午前1時16分で、局後の検討には仲間やテレビ局の人が多勢集まり、千日手模様を続けた私は、被告席に立たされた感じがした。

 『将棋マガジン』の『対局日誌』の取材で川口篤氏が来ていたので、「さわやか流は返上でしょうか」と聞いたところ、観戦者全員から「当然本日にて返上です」という返事が返ってきた。現行規定をフルに利用して時間を稼いで、打開の道をみつけようとしたものだが、今になってみると、なるほどさわやかな感じはしない。

 この将棋は、現行のルールに対して、問題を提起した一局といえるだろう。

千日手3

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谷川浩司八段(当時)が手を変えたのは、これで指せると思ったからだそうで、▲7四馬を見落としていたという。

谷川八段はこの対局(順位戦ラス前)で敗れたものの、最終戦および中原誠十段とのプレーオフに勝って加藤一二三名人(当時)への挑戦を決め、更には名人位を奪取する。

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将棋世界1983年7月号、「千日手規約改正」より。

 これまでの千日手規約は『同じ手順を互いに3回くりかえすと”千日手”で無勝負となる。ただし連続王手である場合は攻めている方が手を変えなければならない』となっていました。

千日手6

 だがA図において▲6三銀△7一銀▲7二銀成☆△同銀▲6一銀△7一銀▲7二銀成☆△同銀▲6三銀△7一銀▲7二銀不成★△同銀▲6一銀… 

と進んだ場合、同じ手順とはならず意とするところは千日手であるのに千日手不成立でした。これでは不備であるということで、武者野四段らの提案により棋士総会で以下のように改正することに満場一致で決まりました。

 同一の局面を4回繰り返すと「千日手」で無勝負となる。ただし連続王手である場合は攻めている方が手を変えなければならない。附則 同一局面とは、盤面上の駒の配置、持ち駒、及び手番のすべてが同一のものをいう。

 この改正案ですとA図からの手順において☆印のところで同一局面が出現しますので、★印の時点で同一局面4回となり、本来の精神どおり千日手が成立します。

 次にB図から▲8一飛△6一飛▲同飛成△同玉▲3一飛△5一飛▲同飛成☆△同玉▲9一飛△6一飛▲同飛成△同玉▲4一飛△5一飛▲同飛成☆△同玉▲7一飛…

千日手7

という進行ですが、今までの規約ですと飛車を打つ場所を巧みに変えれば千日手にならない無限手順ですが、改正案の局面でサイクルをとらえる考え方ですと、これも同様☆印で同一局面が出現しますので連続王手の千日手。つまり攻めている方が手を変えなければなりません。

 この局面でサイクルをとらえる考え方はチェスの規定を遵守したものですが、将棋にはチェスと違って持ち駒制度があります。万一、持ち駒制度による盲点で改正案に不備が発生した場合を考えて、日本将棋連盟では暫定措置としてプロの公式戦に1年間新規約を採用し、その後の棋士総会で正式採用をするつもりでおります。

 ファンの皆さんもこの規約を遵用して頂き、新規約の不備発見、もしくは疑問発生の場合は御一報願えれば幸いです。

日本将棋連盟

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当時の若手棋士であり理事でもあった武者野勝巳四段(当時)などの提案により、千日手規約が改正されている。

武者野四段は理事時代に、千日手規約の改正、研修会の設立という非常に大きな仕事を成し遂げたことになる。

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将棋ウォーズをやっていてビックリしたのは、千日手自動判定機能がついていたこと。

相当難しいロジックなのかもしれないが、有無も言わさずに引き分けにするところに非常に好感が持てた。