谷川浩司名人(当時)「どうします?」

昨日の記事から1ヵ月後くらいのこと。

近代将棋1989年12月号、池崎和記さんの「福島村日記」より。

某月某日

 谷川王位の就位式に出席するため上京。宿泊場所の将棋会館に着いたときは夜9時を回っていた。対局室をのぞくと谷川・島戦(王将リーグ)が終わり感想戦が始まっていた。疲れていたので途中まで見て自分の部屋に戻る。眠っていると竜王と名人に起こされた。深夜である。先崎四段もいる。これから中村邸へ行きましょうという。モノポリーでもやるのかなと思っていたら、島さんは「モノポリーはもうやめました。もうすぐ竜王戦も始まりますし」と言う。中村邸に着くと大野五段と小倉四段もいて「わざわざ大阪から出てきたんだから、まあマージャンでも」ということになった。メンバーが多すぎるので名人と竜王は近くの塚田邸へ。「竜王はモノポリーはやめたんですね」と私が言うと「そんな話を信用してはいけませんよ」と大野さん。「島君は1日で気が変わるんだから」。(後日、衛星放送で竜王戦第1局を見ていたら、前夜祭で竜王は羽生六段と一緒にモノポリーを楽しんだ、という話をアナウンサーがしていた。呆れたね) ところでマージャンだが、私の座った場所が悪かった。真正面のテレビが面白ビデオをやっていたため、ついついそちらに目が行って放銃の連続。アホらしくなって半チャン1回で切り上げ、塚田邸へ行く。バーボンを飲みながらバカ話。将棋会館に戻ったときは午前3時を回っていた。守衛さんには叱られなかった。

某月某日

 日比谷の松本楼で王位就位式。和服の谷川王位は「王将戦で前期棋王戦の借りを返したい」とあいさつ。パーティーのあと小倉さんのBMWで鈴木宏彦さんらと一緒に将棋会館へ。控え室で時間をつぶしていると王位がやってきて「どうします?」と聞く。用事がなければ大阪へ一緒に帰りましょうという誘いだが、「まあまあ、そう言わずに」と小倉さんが帰してくれない。結局、またマージャンになった(いったいオレは何しに東京へ来たんだろう)。王位と私はそれでも新幹線の最終便で帰るつもりでいたが、だれかが連チャンして長引いたため、それもパーに。仕方なく王位は定宿の赤プリへ。私は鈴木さんと新宿のリスボンへ行き、ビールを飲みながら朝まで将棋を指した。そして始発の新幹線で大阪へ。疲れた。

(以下略)

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池崎さん以外は、登場する棋士が昨日の記事とほとんど同じなのが可笑しい。

「千駄ヶ谷→塚田泰明八段(当時)と中村修七段(当時)の部屋があるマンション」というコースが定跡化されていたということだ。

中村修七段の部屋はゲーム場、塚田泰明八段の部屋は酒場として位置付けられている。

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「リスボン」は新宿・歌舞伎町にあった伝説の将棋酒場。

私が将棋に関わりを持ち始めるようになる直前に閉店しているので、一度も行ったことがない。

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「どうします?」。

午後6時の「どうします?」は「飲みに行きましょう」

午後9時の「どうします?」は「もう一軒行きましょう」

午前0時の「どうします?」は「電車があるうちに帰りますか、それとも朝まで飲みましょうか」

午前3時の「どうします?」は「もう一軒行きましょう」

午前5時の「どうします?」は「そろそろ帰りましょうか」

と、「どうします?」は時間帯と状況によってニュアンスが刻々と変化する。

しかし、これが、東京に住んでいない人同士の東京での会話となると、「どうします?」は時間帯に関係なく、「そろそろ帰りましょうか」の意味で使われることが多くなる。

なかなか奥が深い言葉だと思う。