今日は将棋の日、であるとともに、木村義雄十四世名人の命日。
将棋世界1987年1月号、升田幸三九段の木村義雄十四世名人追悼文「負けてよかった名人戦」より。
当時の写真を見ていると、いろいろなことが思い起こされ、なつかしい。
打倒木村を誓い、まるで仇のようにつけ狙っていたから、顔を合わせるたびにケンカばかりしていたものであった。
初めて平手で対戦したのは、昭和18年の朝日番付戦でのこと。東(関東)と西(関西)の優勝者同士の決戦で、私は七段、木村さんは名人であった。勝つと八段に昇段できることになっていたが、2日がかりの対局は、終盤の大ミスで敗戦となった。八段になりそこね、断腸の思いで戦争に行く。なつかしくも熱き思い出である。
昭和26年。名人戦で対戦した頃は、名人の将棋は弱っていた。こちらは強くなっているのだから、指しておれば自然に名人がころがり込んで来ると思っておった。これがいけない。
図は、第6局の中盤から終盤に入ろうという場面。ここでは、私の待機策が的中し大優勢となっている。名人は、人の手を自分のものにするのがうまかったが、この将棋の仕掛けの元祖は私なのだから手の内はすっかり見通していた。後手の攻めは、ほとんど切れかかっている。
ところが、ここで指した▲8六馬が、楽観からくる緩手であった。すかさず、△2六銀と打たれて、これは大変なことになったと思った。左翼からの一方攻めなら怖くないが、△2六銀で挟撃の形になっては一大事である。
図では、▲2八飛と指すべきであった。以下、△6九金▲4八玉△6八と▲8六馬で勝勢である。次に▲1六桂~▲2四歩が厳しく、後手にはこれに対抗し得る手段はない。本譜、△2六銀に▲2九桂のところでも▲2八飛△1七銀成▲2六飛と指しておればまだしもであったが、△2六銀と打たれた動揺が尾を引いていて逃した。いつでも勝てる、名人はとったも同然、という傲りが、局面の急変に対する心の振幅を大きくした。
将棋は、技術が同じなら体力で勝負がつく。体力も同じなら精神力。なおも互角なら最後は品格(人格)の勝負になる。
品格はどうか分からないが、私は、この名人戦の勝負は、木村名人の人格に敗れたと思っている。負けて良かったのだ。あの時、名人になっていたら、生来の上せ性ゆえ、手のつけられないことになっていたのではないかと思う。
中原が出て来る前の頃か。財界の人に将棋界の中で人間として誰が秀れているか、と尋ねたことがある。この升田を目の前にして「木村さんが第一等」と、応えられた。
人物であった。
将棋界のために長生きして欲しかった。
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升田幸三実力制第四代名人の若い頃の宿敵だった木村義雄十四世名人。
いろいろなことがあったが、最後に語られる率直で素直な思い。
もっとも、「ゴミ・ハエ論争」、「木綿豆腐・絹ごし豆腐論争」などは、相手の人格を攻撃したものではなく勝負師同士の言い争いだったわけで、升田九段も木村名人が人格者であることは昔から認めていたのだろう。
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「やっぱり豆腐は木綿ごしに限るよ。この歯ごたえがなくっちゃあ、江戸っ子は」と言ったのが木村名人で、それに対して升田八段が「豆腐は絹ごしが上等と決まっとる」。
木綿豆腐が木綿で濾した豆腐、絹ごし豆腐が絹の布で濾した豆腐と思っていたのだが、調べてみると全く違っていた。
木綿豆腐は、豆乳に凝固剤を加えて一度固めたものをくずしてから、圧力をかけて水分を絞り再び固めたもので、豆乳を濾す時に木綿を使用している。
絹ごし豆腐は、木綿豆腐よりも濃い豆乳に凝固剤を加えて、そのまま固めて作ったもので、木綿豆腐と比べて食感が柔らかく、絹のようにきめ細やかなことから絹ごしと呼ばれるようになった。
木綿豆腐の方が歴史は古く、絹ごし豆腐が生まれたのは江戸時代の中期とされている。
栄養学的には、木綿豆腐は製造過程で水分をしぼるために栄養分が圧縮されており、たんぱく質、カルシウム、鉄分が、絹ごし豆腐に比べると2、3割多く含まれている。
しかし、水分をしぼることによって、ビタミンB類やカリウムが水分と一緒に流れ出してしまうため、ビタミンB、カリウムは絹ごし豆腐の方に多く含まれている。
一般的には、焼いたり、炒めたり、煮たり、揚げたりする際には、しっかりとした固さがある木綿豆腐が向いており、冷や奴やサラダなど、豆腐そのものの食感を楽しむときには、絹ごし豆腐の方が良いと言われている。
油揚げ、厚揚げ、がんもどき、焼き豆腐は、木綿豆腐から作られる。
高野豆腐は木綿、絹ごし、どちらからでも作ることができるらしい。水分が蒸発するので結果はどちらでも同じということなのだろうか。
麻婆豆腐の聖地、赤坂四川飯店のレシピを見ると、麻婆豆腐には木綿豆腐が使われている。
京都の老舗湯豆腐店では、絹ごしのようになめらかな口あたりの木綿豆腐が使われている。
とはいえ、居酒屋や家庭では、冷奴、味噌汁、肉豆腐、揚げ出し豆腐、湯豆腐など、木綿、絹ごし、2派に分かれており、木綿か絹ごしかは最後は好みの問題ということになるのだろう。
だからこそ、論争も成り立つわけで。