羽生善治三段(当時)の四段昇段の一局

将棋世界1986年2月号、銀遊子さんの「関東奨励会だより」より。

 二人も四段が出たことでも珍しいのに、今月はもう一人超大物が巣立った。あの羽生善治少年が年末ギリギリの一局で四段昇段を決めたのである。

 12勝4敗で迎えた相手が石川三段。早繰り銀の急戦になり、1図では羽生苦戦を伝えられていたものだが、なんとなんと、本人だけはしっかりと一手勝ちを読みきっていたというから底知れない。

羽生奨励会最終局1

1図以下は、△7六歩▲6六銀△4八と▲3一竜△4一金▲1一竜(2図)

※「関東奨励会だより」では1図と1図以下の棋譜のみの掲載。2図以下は、独自に追加しています)

羽生奨励会最終局2

△5八と▲7九玉△5九馬▲8七銀(3図)

羽生奨励会最終局3

△7七歩成▲同銀△8七角成▲同金△6九馬▲8八玉△7八銀(4図)

羽生奨励会最終局4

▲3三角△6二玉▲2二竜△5二金左▲7六銀(5図)

羽生奨励会最終局5

△7九馬▲7七玉△8九銀不成(6図)

羽生奨励会最終局6

▲8五銀△7五銀▲7四桂△7三玉▲8四銀打△同飛▲同銀△同銀▲5五角成△6四桂▲5六金△7八銀成(投了図)まで羽生三段の勝ち。

羽生奨励会最終局7

 普通の手の積み重ねで、難しいはずの終盤を楽しそうに勝ってみせるところがすごい。

 間違いなく名人になれる器と思うが、その評価が過大かどうか、10年ほどの月日が結論を出してくれるはずだ。

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羽生善治三段(当時)の四段昇段の一局は、対石川陽生三段(当時)戦。

当時は三段リーグがなかったので、9連勝またはいい所取りの13勝4敗が昇段の条件だった。

銀遊子さんは、「その評価が過大かどうか、10年ほどの月日が結論を出してくれるはずだ」と結んでいるが、この10年2ヵ月後、羽生七冠王の誕生となっている。

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6図になっても、後手は持ち駒も乏しくとても勝てそうに見えないが、後手が一手勝ちというのだから凄い。

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二人も四段が出たことでも珍しいのに、という二人とは、中田宏樹四段(1985年11月28日四段昇段)と安西勝一四段(羽生四段誕生と同じ日のが出1985年12月18日四段昇段)。

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羽生善治四段誕生を待つように、将棋世界が主催となって特別棋戦が開催される。

将棋世界1986年2月号、最終ページより。

天才少年激突! 三番勝負 阿部隆四段VS羽生善治四段

 阿部隆四段と羽生善治四段。将来タイトルを争うようになること間違いなしと言われる関西と関東の超大物新人。この二人の対決を本誌がいち早く実現した。阿部四段は、奨励会三段時代に、すでに「次の五段は阿部」と評されていた大物。先輩相手でも感想戦でズケズケ言う強きの男だ。一方の羽生四段は12月に四段になった新鋭。加藤一、谷川に続く中学生棋士で、谷川時代の次は羽生時代の声もすでに出ている。

 関西の阿部か、関東の羽生か、注目の三番勝負の模様は3月号から掲載されます。

阿部四段の話

 こんな勝負をやらしてもらえて大喜びです。賞金も出るんですか力が入ります。相手は自分より年下ですからね、絶対負けられへん気持ちです。

羽生四段の話

 プロとしての初対局をこんな形で指せるなんて光栄です。阿部さんには奨励会の旅行会で一番やられてますからその借りを返したいですね。

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羽生善治名人は「借りを返したい」という言葉はなかなか使わないと思うので、非常に貴重な「借りを返したいですね」だ。