森下卓九段の奨励会時代のニックネーム

将棋世界1980年5月号、沼春雄四段(当時)の奨励会熱戦譜「端歩の功罪」より。

 今月の奨励会熱戦譜は小林宏4級対森下卓4級の一局をとり上げてみたい。

 この二人は共に昭和53年11月入会という同期生である。対局でだれにも負けたくないのはもちろんだが、同期生となるとまた格別のものらしい。らしい、というのは私には同期生がなく、解らないからである。

 私が入会した42年までは奨励会入会希望者もさほど多くはなく、受験者のいた時が即試験日という方式だった。またその内容も今ほど確立されてはいず、中には試験手合6戦で全敗(勝にあらず)の好成績で見事入会といった◯◯現有望五段のような極端な例すらあったほどである。しかし希望者が多くなるにつれてこれでは不都合が多いということで43年春より期日を決め、また内容もあらためて試験を行うことになった。

 ちなみにその1期生は関東で8名が入会したが、現在居る者は青野七段、宮田五段、桐谷四段の3人になっている。

 以下順番に数えると林葉さん、庄司君など昨年秋の入会者で22期生ということになる。

 第1期より現在までの13年間で関東の合計入会者は143名。内四段以上になったの者15名、退会者53名、そして現在の会員が75名である。

 プロ棋士希望者中四段以上になれる者の確率はこの他に試験での落第組も数えなければならないのだが、この数字で大体の目安にはなるだろう。将来プロ棋士を目指している小中学生の諸君には厳しいとうつるだろうか、それとも楽と感じるだろうか。

(中略)

 小林宏4級は昭和37年12月18日生まれ。

 三重県出身で真部一男新七段の門下生。

 居飛車一刀流で特に矢倉戦法を好む。

 真面目な人柄で長考派。

 持ち時間1時間の奨励会で一手に40分かけたという記録も持っている。しかしその将棋に打ち込む姿勢はよいのだが、半面優勢な将棋を終盤秒読みで落とすという場面もあるようなので少し早指しも必要ではないだろうか。普段は仲間同士の研究会にも参加しているとのことなので、その場で”時間も勝負のうち”という研究もつんでもらいたい。

 その転換ができれば師匠に続いての飛躍がきっとできると思っている。

 森下卓4級は昭和41年7月10日生まれ。

 福岡県出身で花村九段の門下生である。

 同期では塚田二段、達初段という超特急グループがいて、やや引き離された感がするが、まだ13歳でもあり、将来を期待されている一人である。特に得意戦法はなく何でも指す。また相当な早指しで、終盤には妖刀のような手もあるということなので、何か師匠そのままという将棋らしい。

 この将棋の23分の消費時間で突っ走ってしまったのだが、これはいくら何でも早すぎる。

 もう少し考えてもらいたい、と小林君とは正反対の注意を与えたい。

 ニックネームはジンタンというのだそうだが、3局に1局程度は秒を読まれるようになれば、ジンタンらしい味が将棋にも出てくるようになるだろう。

(以下略)

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森下卓少年が花村元司九段門下となって1年と少し経った頃の記事。

花村九段が森下少年に1000番以上の稽古を付けたことは有名な話だが、まだこの頃は200番か300番だったと考えられる。

手厚い森下流の棋風が確立されるのは、もっと後のことになる。

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仁丹は、森下仁丹株式会社が製造・販売をしている。

森下なのでニックネームが「ジンタン」。

非常にストレートというか、なかなか思いつかない発想というか、意見が分かれそうなニックネームだ。

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仁丹は16種類の生薬配合の丸薬で、1905年以来の歴史を持つ。

近年ではレモン仁丹、梅仁丹などが発売されているが、森下仁丹のサイトを見ると、これらの商品は食品に分類されており、昔からある表面が銀箔でコーティングされた仁丹は医薬部外品として分類されている。

沼春雄四段(当時)は「ジンタンらしい味が将棋にも出てくるようになるだろう」と書いているが、ここでのジンタンは、もちろん銀色の仁丹。

銀色の仁丹は苦い味をしている。

ジンタンらしい味が将棋にも出てくるとは、将棋に苦味が出てくるという意味なのだと思う。

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「苦い棋風」、「辛い棋風」というと、相手が困る手、嫌がる手をたくさん指しそうな棋風だ。

「甘い棋風」は、相手から見れば、いろいろと有り難いことをしてくれそうなイメージだ。

「しょっぱい棋風」というと、たくさん持ち駒があるのに全然使わない、あるいは、すぐに相手玉を詰ますことができるのに、そのようなことは考えずに全駒にすることを志向する、ようなイメージ。

「酸っぱい棋風」というと、これは意味不明。

棋風を味に例える場合、「苦い」と「辛い」が褒め言葉となるのだろう。