将棋世界1995年4月号、「読者が作る声のページ レタープラザ」より。
六年目のファン
初めてお便りします。
羽生さんをきっかけに将棋ファンになって、そろそろ六年目になります。以前は人目を忍ぶ(?)様に、一人で雑誌を読んだり、TV将棋や衛星放送を見たり、子供に教えて勝って喜んでいたのですが、このところのCMやNHKスペシャルの影響で、今まで全く将棋に興味を示さなかったご近所の奥さんから「NHKスペシャルを見た。とっても良かった」とか、「親子で日曜日の将棋番組を見ていたら、夢中で最後まで見てしまった」という声をいくつか聞き、驚いています。
昔はカモにしていた子供たちにも、いつの間にか抜かれて勝てなくなった今日この頃ですが、今年はより一層、将棋を深く知りたいな…と思っています。
(島根県 Hさん)
=編集部から=
将棋に関心を持つ人が増えてきています。Hさんのように、息の長いファンになってくれればいいですね。
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対談を見て
こんにちは、初めてお便りします。
私は先日、ある番組で偶然、巨人軍長嶋監督と、素敵な方の対談を見ました。その方の話しぶりはさわやかで、時々髪にやる指はとてもきれいでした。対談を見ているうちにその方が棋士の羽生名人である事がわかり、彼が将棋を思う誠実な気持ちがびんびん伝わってきました。
すっかり目が♡になった私でしたが、将棋の世界を知る術もありません。と、と、ところがなんと、父の本棚を見ると「将棋世界」という本がずらっと並んでいるではありませんか。開いてみたら出てる出てる、もう羽生さんのオンパレード…。
これからは父と一緒に貴誌を読んで、羽生さんの七冠を応援したいと思います。
(千葉県 Iさん)
=編集部から=
巻頭のグラビアページのように、羽生-長嶋対談は実に面白いものでした。これでまた、羽生ファンになった人が増えたようです。
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羽生善治六冠の頃。この1年後に羽生七冠の誕生となる。
当時の女性ファンの投稿がとても嬉しい。
このようなことは、将棋界にとっては有史以来初めてのこと。
この、更に24年前の将棋世界1971年2月号の「各紙将棋担当記者座談会」では次のように語られている。
本誌「ところで、女流名人戦も今年で3回になるのですが、なかなかそろわないのです。なにか良い知恵はありませんかね」
田辺「確かに女性1人のファンを獲得するのは男性ファン100人を獲得するに等しいというくらいですからねー。気長にいくよりないんじゃないか」
梶川「棋士の家庭から、まず教育」(笑)
田辺「支部から一人ずつ正体なんていう手も考えられますね」
杉林「女性は華やかで見るにはよいが指して負けるのをいやがりますからネ」
源川「テレビ将棋の初心講座によって女性ファンも増加したと聞くんですが、参加するまでには時間がかかるのでしょうね」
梶川「中原とか、二上とか、内藤といった好男子をそろえて宣伝したらどうかな」(笑)
田辺「だれでもできるクイズや、将棋のやさしい本を全国的に知られるように配ることも大切ですね」
本誌「だいぶ前に、ポケット版の将棋入門を作成して、学校や支部に差しあげたこともあるのですがね」
梶川「そういう弱い人を対象にしなくてはいけませんね。中学生や、婦人などにも読める本と、宣伝。年間予算をとって十年の計を立てるべきだと思います」
源川「NHKも、今年から加藤治郎八段の講座を1年間続けることになっています。また、私は最近の升田-有吉戦のテレビを担当したんですが、対局姿はジーンと胸にくるものがありますね、やはり本当の将棋を見てもらうことが大切だと感じました」
(以下略)
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当時は観るファンという概念がなかったので、あくまで指すことが紐付いているが、1971年当時の「女性1人のファンを獲得するのは男性ファン100人を獲得するに等しい」状況から考えると、1995年の様子は想像もつかなかっただろう。
それだけ、七冠王へあと一歩と迫った羽生六冠の出現→マスコミ、広告などで取り上げられる頻度の飛躍的増加→非常に多くの女性への認知度アップ、という流れの持つ意味が大きかった。
この傾向は、羽生六冠の婚約発表で下火にはなるが、この頃からの女性将棋ファンは現在も多くいる。
目に見える形で女性将棋ファンが増えたのは2010年頃だが、そのような下地ができたのが1995年だったのだと思う。