羽生善治五冠(当時)の一言から生まれた竜王戦インターネット中継

将棋世界2002年3月号グラビア、「第14期竜王戦就位式 羽生、竜王位復位で決意新たに」より。

○第14期竜王戦において、4勝1敗の成績で藤井猛竜王を破った羽生善治・新竜王の就位式が1月21日、東京・丸の内パレスホテルで行われ、200人の列席者が竜王復位、通算5期目の偉業を祝福した。羽生善治に対し、二上達也・日本将棋連盟会長から竜王推戴状、また堀口吉則・読売新聞編集主幹からは秩父宮さま寄贈の竜王杯と賞金3,200万円が贈られた。

○羽生の竜王奪取は6期振りの返り咲きながら、タイトル獲得数が歴代3位の50期に到達、また僅か3ヵ月半での五冠復帰に、改めて羽生強しの認識が高まった。

○祝辞を述べるコピーライター・糸井重里氏は、自然体の羽生の才能に感嘆の声を。「羽生さん自身、私は化け物でない、誰もが持っている可能性を追求しただけと言われています。飛んでる本人が誰でも飛べると言ってるようなもの。イチローも同じことを言っていますが、この二人の天才、化け物がいなくなってしまうと我々はどうしたらいいのか(笑)」

○『羽生』の著書もある、芥川賞作家・保坂和志氏もお祝いにかけつけた。「今度、出版する本のために改めて羽生さんと対談しましたが、羽生さんの言葉には無駄がなく、処理速度の速さに感心しました。これほど濃密な話をうかがったのは初めてです」

○謝辞に立つ羽生竜王。

「最初に竜王戦の舞台に登場したのは13年前の第2期の時で、月日が流れるのは早いと感じています。今期再び対戦することになった藤井さんとは、ここ2年、数多く対局していますが、藤井システムは従来の常識からは考えられない最先端の定跡で、対策にはいつも悩まされています。正直に言って昨年のシリーズではまだ迷いがありました。

 情報化時代の流れの中で、常識でなかったものが時間がたつと常識になることもあり、自分で何かを創造したというよりも、情報化時代の波に乗れたタイミングのよさが、今回の結果につながりました。

 竜王戦は誰にでもチャンスがある棋戦なので、これでほっとすることなく一歩一歩前進していきたいです。技術、体力は10代の頃とは違いますが、自分なりの考え、方向性を見つけていこうと思っています。2年前からは竜王戦のインターネット中継が行われましたが、私自身も対局後、家に帰って掲示板のファンの声を見るのが楽しみで(笑)、励みになりました」

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「2年前からは竜王戦のインターネット中継が行われましたが、私自身も対局後、家に帰って掲示板のファンの声を見るのが楽しみで(笑)、励みになりました」と語る羽生善治竜王。

そもそも、竜王戦のインターネット中継が誕生したきっかけは羽生善治五冠(当時)の一言からだった。

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2000年の竜王戦七番勝負の第何局かの対局地へ向かう新幹線の中でのこと。

羽生五冠の席の隣には読売新聞の担当の小田尚英さんが座っていた。

雑談をしているうちに、羽生五冠が、

「小田さん、竜王戦でインターネット中継はできないものでしょうか」

この頃は、王位戦七番勝負でインターネット中継が行われたことがあったが、解説は無くて、進行に合わせて局面が更新されるだけというものだった。

対局場に着くと、小田さんは、武者野勝巳六段(当時)に相談をした。武者野六段は竜王戦の観戦記も書いていたが、その時は観戦記担当ではなく、近代将棋の仕事でたまたま対局場に来ていたようだ。

その後のことは、先週の記事(武者野六段の観戦記)、藤井猛竜王(当時)「高美濃より美濃囲いの方が急戦には適している」に書かれている。

物事がうまくいく時は、普通ならそこにいるはずのない武者野六段が対局場にいる、などのようにタイミングの良いことが重なるものだ。

2000年の竜王戦第5局からインターネット中継が開始される。

指し手の解説や対局室・控え室の様子が1手1手につく現在の様式は、この時に始まった。

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「羽生さん自身、私は化け物でない、誰もが持っている可能性を追求しただけと言われています。飛んでる本人が誰でも飛べると言ってるようなもの。イチローも同じことを言っていますが、この二人の天才、化け物がいなくなってしまうと我々はどうしたらいいのか(笑)」

糸井重里さんの挨拶が印象的だ。

「飛んでる本人が誰でも飛べると言ってるようなもの」が絶妙の表現。

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羽生三冠は、糸井重里さんの会社(当時は東京糸井重里事務所、現在は株式会社ほぼ日)で作っている「ほぼ日手帳」のユーザの一人として、ほぼ日手帳のサイトで紹介されたことがあった。

羽生善治名人の手帳