棋士にしか書けない珠玉の評論

将棋世界1984年9月号、二上達也九段の「棋聖戦 米長-谷川を総括する」より。

 ここ数年一般社会情勢をつらつらおもんばかるに、ぼつぼつ新旧交代の変わり目が感じられる。

 将棋界も例外ではなく、新勢力の台頭は著しい。とはいいながら劇的変化はそうあるものではなく、それは旧勢力の頑張りに負うところが多い。

 ただでさえ情勢の変化に敏感な米長棋聖が今期谷川名人の挑戦を受け、ここは大いに奮闘せねばの意欲にかられたであろう。

 恐らくここで敗れんか、挽回のチャンスは容易ならずの思いが去来したに相違ない。さらに世代交代のピンチは一種の危機感をともなったのではなかろうか。

 一方谷川にしてみれば、まだまだ気楽なところがある。名人以外のタイトルを取りたい気持ちはあっても、それほど切実さがあるように思えない。

 最近の調子などから判断して、まあまあ普通に流していれば自然にタイトルの一つや二つは手中にできるぐらいの気分に見える。

 とかく手を広げ過ぎると集中力に欠けるうらみがある。また自信を深めるに従い、勇み足の出る傾向は若さ故の産物である。

 麻雀などで、あまり手が良すぎて迷うことがある。手役が三つも四つも、どれもできそうな牌相をどう打ちこなしたらよいだろう。

 ヘボ麻雀打ちの筆者は、何度かそれでてんこしゃんこした覚えがある。

 天下の名人をヘボ雀士に擬し申し訳ないのだが、名人を守った、棋聖の挑戦者になった十段戦も挑戦者になれそうだなど、狙いの拡散する要素が多い。

 今期の結果だけを見て、ふと連想した次第である。

 しかし三対ゼロの結果は、あまり予想されなかった。当代最高の顔合わせと見られるだけになおさらである。

 何故の三タテ現象か、そのこと自体はよくあるのだが、棋譜を通して、いささか考察を加えてみよう。

 まず第1局から

 谷川先番、やや谷川策戦勝ちの局面からの攻勢に米長は中終盤強手連発、谷川の受け損じを見て一気に寄せをきめる。

 2局目

 序盤のかけひきが微妙、しかし谷川の踏み込みに米長反抗、中盤は極めて難解ながら谷川指せるか、そこでの自重の一手が裏目に出て米長のタイミングよい寄せに谷川は屈してしまった。

 第3局

 例によって谷川の猛攻に米長の反撃、前2局はそのままきまりになったが、本局は米長の強気が災いして瞬間敗勢をまねく、ところがどうしたことか谷川に寄せ損じがあって米長に立ち直られてしまった。

 以上が3局を通しての概況であるが、具体的に指し手を眺めてみれば、幾多の共通項に気付く。

 常に谷川が攻めかかり、米長が強硬な反撃をするパターンと、一歩の価値が一方的に米長の味方をしたところに大差の勝負結果が生まれた。

 前者のパターンは、対局者両人の棋風がもたらすものであり、後者は運命のいたずらを感じる。

第1局 気の米長将棋

谷川米長1

 棋風の発揮された局面は1図の1四飛を取るか、▲3三桂成に応じるかの選択なのだが、△3三同金寄▲1八飛△9五歩▲同歩△9七歩以下▲同香△9六歩▲同香△8四桂▲4五歩△9六桂▲9八玉となるか、▲9七同香で▲4五歩△9五香▲3五角を急ぐものか、見通しは困難である。

 それより、取れる飛車を取らない手はないとの意地が米長にあったと思う。

 勿論あとの読みが問題で、いくらなんでもはっきり悪ければ飛車は取らないわけだ。

 どちらか分からないときに米長は気を重視する。ちょっと意味付けの難しい表現で申し訳ないが、彼の自戦記を読まれると或る程度理解されるように思う。

 正しい手より勢いのある手を選ぶとでも言うのであろうか。

 対して谷川は多分に感覚的な動きをする。優れた資質がなければできないことなので、よしあしは問えない。

 時として読みの裏付けがないまま指し手を進めるので案外な落とし穴に陥るとはなしとはすまい。楽天的性格の反映か。

 2図。△8六桂はある筋だと見ていたに違いないが軽視したふしが感じとれる。

谷川米長2

 指されてみると意外に厳しい。この意外感があとの読みも狂わせるのである。

 感想によれば2図以下、▲8六同歩△同歩▲同銀△8七歩▲同金△8五歩▲同銀△8六歩▲同金△8五桂▲3五角△同角▲同香△3四歩でいけないとか。

 実は最後の△3四歩は持ってない駒である。ちょっと信じられない気がする。強いて解釈すれば詰将棋をやるものに、まま見られる。

 詰将棋は相手の持ち駒が残り全部と条件づけられているから、普通は読みの対象に相手歩切れはほとんど入れないのである。

 それよりも、さらに数手進んだ3図、△8七香への応手に誤算があったのだと思う。

谷川米長3

 ▲9八玉なら△8八飛の一発でまいる。盲点になりそうな手だ。比較的あっさりした終局であった。

第2局 米長将棋の独壇場

谷川米長4

 第2局の4図、谷川△8六飛に▲8五歩は飛車の捕獲、米長は慎重に考えて着手している。第1局と軌を一にするが、偶然の暗合どころか思惟的な感じを受ける。

 前回飛を取る場面でも米長はかなりの長案をしているが、本局の方がより作意的で、これも恐らく手より流れの上での着手であったろう。

 続いて5図、△8二歩が谷川の敗着に近い手として指摘されている。

谷川米長5

 歩切れの相手に歩を渡す愚は百も承知であるのに、敢えて冒した理由は、自玉の固さに対する過誤と、△6六角▲同金△9九との如く角を切ってしまう順は、点滅する指し切り筋に不安を覚えたのであろう。

 単に読みがどうのこうのでなく、相手の放つ異様な圧力が正着を選ばせないのである。

 もどって5図にいたる手順中、6七金上がりに見られる八方破れの手法など心理的に疑問手を誘発する伏線を張るあたり米長将棋の独壇場と言える。

 普通の皆さんは真似をしないことですな。

第3局 谷川に若さの欠陥

 そして第3局目、追い込まれると谷川には若さの欠点がはっきり出る。

 細かい手どころ分析は筆者自身特に検べていないので割愛させていただくが、何かと一番勝ちたい気持ちが露呈して力が入り過ぎた。

 大体において手作りはくたびれるものである。よくせまったのは力量のしからしむるところであろう。

 6図、ここでの▲4二金の発見は、いつもの谷川であればぞ雑作なく読み切れる性質のものである。明らかなスタミナ切れであった。

谷川米長6

 いうなれば、今期の対戦は米長の強靭さがより目立ったため、谷川いまだしの印象を与えられたかもしれないが、結果はあくまで一時的なもので、毫も谷川の声価を下げはすまい。

 むしろよく堪えた米長をたたえるべきである。攻めも攻めたり受けも受けたりが、全局を通して筆者の感慨である。

 総括して結論づければ、今期の谷川は若さによる敗北であり、彼の急速な成長ぶりは逆に未消化の部分を残しているがため、欠陥を米長に衝かれてしまったのである。

 攻め一本槍でなくなったことが強味を増し勝率をあげたが、攻防のタイミングに今一つのズレがあったと思う。

 並の相手では制し得なかったはず。好調の波に乗った以上に、ここ一番ねじ伏せざるべけんやの米長の気迫が盤上盤外に横溢していたと言える。

 終わってみて、ちょっとくるえば反対の立場であったと米長は冷汗をかいたに違いない。

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プロ棋士にしか書けない文章というものがあるが、この二上達也九段の棋聖戦五番勝負の総括は、まさにプロ棋士にしか書けない文章のど真ん中。

「実は最後の△3四歩は持ってない駒である。ちょっと信じられない気がする。強いて解釈すれば詰将棋をやるものに、まま見られる。詰将棋は相手の持ち駒が残り全部と条件づけられているから、普通は読みの対象に相手歩切れはほとんど入れないのである」などは、あまりにも見事な切れ味。

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「普通の皆さんは真似をしないことですな」という手が、将棋には意外と多い。

例えば、振り飛車名人・大野源一九段が得意としていた大野流三間飛車(A図)。

大野流

大野流の特徴は、振り飛車の左銀が▲5七銀型(△5三銀型)ということと、美濃囲い側の端歩は受けずにその分を他の手に使うということ。

しかしこの戦型、大野九段が指すから絶妙の捌きが繰り出されるわけで、私が指すと苦労の連続だった。△6五歩からの早仕掛けもあるし、角頭の守りがないので棒銀への対策も工夫を凝らさなければならない。

中学生の時に石田流と三間飛車が大好きだった私だが、中原誠十六世名人が編み出した石田流崩しに絶望し、2001年頃までは石田流は指さずに大野流三間飛車一本だった。

今から考えると、よく大野流三間飛車だけで有段者になれたものだと思うが、現在ではほとんど指すことはなくなっている。

大野九段だから指しこなすことができたわけで、私のような人間にとっては、大野流三間飛車は大リーグ養成ギブスのようなものだったと思っている。

大野流三間飛車のことは今でも大好きだけれども、「普通の皆さんは真似をしないことですな」に該当する戦法だと思う。