田中寅彦四段(当時)「将棋指しっていうものは一番強い棋士を作り出す商売なんですか?そうじゃなく将棋をみんなで一生懸命戦って、将棋の最善手を追求していく商売だと思うんです」

将棋世界1979年2月号、座談会「若手棋士の生活と意見」より。

出席者は、真部一男六段(26歳)、青野照市五段(25歳)、谷川浩司四段(16歳)、田中寅彦四段(21歳)、大島映二四段(21歳)、小林健二四段(21歳)。司会は読売新聞の山田史生さん。

華やかな舞台の裏

青野 広い意味での棋士の生活ということを一般の人に知ってもらうということになると単なるお金だけの問題じゃなく、たとえば奨励会時代には何年修行をやろうが一銭にもならないとか、棋士になれる人が、どんなに頑張っても十人に一人とか、また棋士になっても成績が悪くて落ちれば廃業同然に追い込まれる危険性(リーグ戦4組で降級点を3回取るとリーグ戦に参加できなくなる)もあるということ、それだけはちゃんと知ってもらわないといけないですね。ただ上っ面を見ただけで”それなら俺も”というわけにはいきません。我々だって、最悪の場合、新人で3年、ぼくで5年、真部さんだったら7年で廃業になる可能性はあるわけですから。

山田 真部さんは連盟からもらうお金で生活できませんか。

真部 喰っていくだけならできるでしょうね。安いアパート借りて普通に喰っていくだけならば。

本誌 これまで棋士という職業は一般にあまり知られていなかったんですが、これだけ人気になってくると、これから入ってくる人は生活していけると思って入ってくるわけですね。今の棋士は収入があるかなど関係なく自然に入っていったんですが、これから入ってくる人は生活だと思って入ってくる。時代が違うからしょうがないのでしょうけど。

青野 ぼくは、これから奨励会に入ってくる人は、好きで棋士になりたいと思う気持ちは変わらなくても、その親が違うと思うんです。昔は親が反対しても、それでもなおかつ入ったっていうのが多かったんですが、最近は、ぼくも奨励会の幹事をやって痛切に感じているんですが、親がもう棋士にさせたくてさせたくてしょうがない、というのがいるんですね(笑)。

山田 ただ今は100%近くが高校に行ってますね。高校の勉強をしてて棋士になれるかどうか、その点はどうですか。昔は学校の勉強をしたら強くなれないとか言われていましたが。

田中 谷川君みたいに中学生のうちになっちゃえばいい(笑)。

山田 谷川さん、高校の成績どう?いいほうですか?

谷川 ではないでしょうね。

一同 (笑)。

青野 やっぱりこれから入ってくる人はですね、本人はいいとして親が高校あるいは大学に行きなさいというのが多いわけです。棋士になれるということがわかっていれば、高校へ行かさなくてもいいんですが、わからないのに行かせないわけにはいかないんでしょうね。

山田 いま棋士(四段)になれる確率ってどのくらいでしょう。たとえば十人入って…。

青野 二人ぐらいでしょうね。前は十人に一人っていわれてましたけど。

山田 十人に二人じゃかなりの危険率ですね。

青野 結局、高校が保険みたいになるわけですね。保険で学校行って…。まあ、中には保険で将棋指している人もいますけど(笑)。

一同 (笑)。

目標は名人

山田 前回の座談会で、奨励会時代の無収入時代から四段になって、生活ができて第一段階の目標を達成した。そこで若手が安心しちゃうんで、それ以上抜けなくなって伸びないという意見もあったんですが、そこのところはどうでしょう。さっきも”棋力の貯金”で喰ってるという話が出ましたけれど、もうそれ以上の蓄積ができないものかどうか。

田中 四段になって第一段階を達成したことは間違いないんですが、収入が増えたからこれでいいんだと満足するということが、ぼくらには思えないですね。

山田 でも、一応結婚もできるし、自分の収入で喰っていけるということにはなりますよね。

真部 だけど若手が抜けないっていってもまだ中原さんと戦うところまでいっていないですからね、ぼくらは。抜けるかどうかはまだ何年か先のことであって、いま実際、中原さんと抜けるかどうかで戦っている人たちは、もう少し前の世代ですから、まだわからないですよ。抜けるものなのか、抜けないものなのかは何年か経ってみないとね。

山田 しかし、奨励会時代は必死だったわけですよね。

田中 いまだって必死ですけど(笑)。

山田 いや必死じゃないっていってるわけじゃないんですけど、何となくぬるま湯的といったら言いすぎかもしれないけど、安心ムードみたいなものがあるんじゃないかと。

真部 気持ちの上では若手にぬるま湯的なところはないのですが、制度の上ではあるかもしれませんね。

山田 制度の上というのをわかりやすくいいますと。

真部 月給制とかです。将棋指して勝っても負けてもたいして収入が変わらないっていうことがありますし……。

山田 その制度について、他の方々いかがですか。ある棋士は”負けた棋士には何もやるな”とさえいったりしてますけど。まあある程度、生活の安定がなくちゃいけないこともたしかなんですが、勝っても負けても収入が変わらないというのはどうですかね。

田中 将棋指しっていうものは一番強い棋士を作り出す商売なんですか?そうじゃなく将棋をみんなで一生懸命戦って、将棋の最善手を追求していく商売だと思うんです。ただ勝ったからこの人は名人だ!っていうふうに発表する団体じゃないと思うんです。”将棋が好きでたまらない”人たちが集まって、自分たちで会費を出しあって運営していくというような将棋を愛する団体なんです。その勝った人だけ優遇されるような、そんな感じじゃないと思うんです。

真部 それはまあ個人の将棋観だからね。

田中 ぼくもそう思います。

真部 ただ簡単に考えて、勝負の世界っていうのは、勝ったものが取っていって負けたものはなしだからね。

山田 若い人はレッスンプロじゃないんだから、勝ってほしいって意味はありますね。全部が全部トーナメントプロにならなくてもいいわけだけど。

田中 みんなが一生懸命やるのは当然なんですが、それでも名人はいつも一人なんですね、逆に考えれば。みんな同じように努力したって絶対に名人は一人なんですから(笑)。

山田 田中さんのプロとしての目標は。

田中 ぼくを含めてここにいる人すべて名人です。将棋指しを志す者にとって最終目標は名人しかありません。

今後の将棋界

山田 制度の面、連盟の在り方など、これからの将棋界はどうあるべきかについて何かありましたら……。

真部 将棋連盟っていうのは、将棋を指す人たちの中で一番強い人たちの集まりですから、そういった意味で全体の指導者的立場にあるわけです。だけど将棋を指す人、いいかえれば将棋ファンっていうのは将棋そのものに魅かれているんであって、べつに連盟があろうがなかろうが構わないわけです。だから何かを決める場合に、将棋連盟に都合のよくない決め方ばかりだと、将棋文化の普及といった意味では、発展しないんじゃないかって思います。むしろ、将棋そのものの良さを知らしむるような生き方をしないといけないんじゃないですかね。

山田 それと棋士の数も少ない。

真部 そう、少ない。

山田 東京と大阪にかたまっていますし。

真部 いまどうしてもトーナメントプロばかり優先されますね。優先されてるわりには勝っても大した賞金にはならないけど(笑)。まあレッスンプロ、文章を書く人たちっていうのも、もう少し優遇されてもいいんじゃないかって気はしますね。これからは。それはそれで能力ですし底辺の力でもあるわけですから。ちょっと偏っているんじゃないかという気はします。

山田 小林さんはどうですか。

小林 先輩棋士がいいましたように、たしかにぬるま湯的なところはありますが、それをどう改善するかとなると……。四段になった以上、一応生活ができるって形にしないと、四段になったって喰えないんじゃ何のために生きていくかわからない。ぼくはですね、上にいけばいくほどきびしくなればいいと思います。けわしくなればなるほど戦いっていうのは面白くなるわけですから。

山田 きびしいというのを具体的にいいますと。

小林 たとえば名人戦なんかで、名人取ったら全部取っちゃって、負けたら何もなし、というように。かりに1億あったとして、名人の方が1億取っちゃう。ただ下の方は最低限の生活ができなければダメということです。一段階一段階をもっとけわしくしていけば、ハリも出てくると思います。

真部 何十億ぐらいの戦い(笑)。

小林 そりゃあ、あればいいですよ(笑)。

山田 億はともかく1,000万の賞金ぐらいはできそうですけれどね。

本誌 最低限の生活がどのくらいかってなると、多いにこしたことはないんだけれどむずかしい。月の収入が20万というのは、相当な収入ですよ。

小林 そんなになくても喰ってはいけるんでしょうけど。最低の生活しようって人は、上を目指してないわけですから関係ないですね。レッスンプロにだってなんだってなれるし、上を目指そうと思えばどんどんいけるわけですから。

山田 いま囲碁の方が多少それに近い感じになってますね。給料は低いけど、下の方の人は稽古で食べて、上の人は賞金で喰って稽古にあまり行かないというように。

真部 それは楽しみなやり方ですね。

小林 決勝までいって何も取れないとなると、プロにはつらいでしょうけど、見ている方は楽しい(笑)。

真部 山田さん、この前アマチュアの大会があったでしょう。

山田 ええ。

真部 あれの優勝賞金の方が、プロがある棋戦で優勝するより大分いいっていうのはどうですか。どっちがプロだかわかんなくなっちゃう(笑)。

山田 大島さん何か。

大島 さっきからずっと話を聞いていたんですが、やはり賞金制度をはっきりしてもらいたいですね。

山田 各社の賞金制というのも、勝った方にいくらかお金を出すっていうふうになってきているんですが、それには皆さん賛成ですか。

真部 やる気のある人は賛成するに決まってますよ(笑)。

棋士はまだ知られていない

山田 将棋はこれから日本のものだけじゃないって気がするんですが、それに関してもあまり真剣に考えていない。

青野 外国の方が確実にお金を取れますよね(笑)。

本誌 でも日本でもまだあまり浸透していないでしょ将棋は。

山田 学校のクラブ活動にも取り入れられてはいるんですけどね。

小林 ぼくは将棋連盟の女性教室の講師をしているんですが、この間そこの生徒さんとたまたま行く道で一緒になりましたら、「学校の先生ですか?」っていわれるんですね。他に仕事を持っててその日だけ将棋の指導をするように思っているんですね。将棋に関心を持っている人の一部がよく知ってるだけで、ほとんどの人はそんなに知らないんじゃないでしょうか。

真部 先生に見られたっていうのは光栄だよ(笑)。昔なんか、もっとひどかったんだから(笑)。

一同 (笑)。

山田 大体新聞だってそうですよ。棋譜載っけてるでしょ。あれね掲載料とって載っけてるっていうふうに思ってる人が、かなりいますよ。

小林 昔の笑い話で”新聞に載るとお金いるんでしょ”っていうのがありますね(笑)。

青野 笑い話でもなんでもない。

山田 そう。昔話じゃなくて、現在だってそういうふうに思っている人がかなりいる(笑)。

(つづく)

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この当時は、順位戦以外の棋戦の対局料も順位戦の在籍クラスと連動していたため、C級2組やC級1組に在籍している棋士がどんなに棋戦で勝ち進んでも、対局料はそれほど上がらないような体系だった。

(あるトーナメント戦で上位まで勝ち進んだC級2組在籍の棋士の対局料がA級在籍の棋士の1回戦の対局料の数分の一であることが日常だった)

このような制度が変えられたのが1990年代のこと。(順位戦以外の棋戦の対局料が順位戦と連動しないような制度変更)

この対談に出席している世代の棋士たちが制度変更の推進役となった。

考えてみれば、自分達が若手の頃は上に厚く、自分達がA級など上の立場になった時代に上に厚い対局料の制度を変更したのだから、なかなかできることではないと思う。

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棋士という職業があると世間一般に広く知られるようになったのが、1996年前後の羽生善治七冠フィーバーの頃から。

当時の羽生善治七冠誕生のインパクトがいかに大きかったかがわかる。