将棋世界1999年3月号、行方尚史五段(当時)の自戦記(第40期王位戦 対堀口一史座四段)「身もフタもなく」より。
今の僕は恐ろしいほど単純だ。将棋とロックがあればなにもいらないや、とさえ思う。
1月17日横浜アリーナにミッシェル・ガン・エレファントのライブを観に行ってきた。
狂騒の中、ふといつかこれは終わってしまうんだなと思い、悲しくなった。
でも、僕はいいんだ。盤上で同じような意識トバす感覚を生み出せる可能性を持っている訳だから。そう考えると気持ちが軽くなった。
昨年ラストの堀口四段との王位リーグ入りの一番。大きい勝負だ。
前期も同じ所までいって負けた。東京に大雪が降った日だった。JRが止まっていて、ズブぬれになりながら歩いて帰った。ネクタイの芯が駄目になった。雪がこれほど恨めしく思えたことはなかった。
リーグ入りの一戦で負けるなら、イチコロのほうがマシだ。
堀口四段とは過去1勝2敗。内容的には全敗とも言えるほどで、彼の踏み込みの鋭さにズタズタにされていた。その一本筋の通った指し口は、非常に個性的で棋譜だけで自己を表現しえる可能性を持つ棋士のひとりといえる。
今回は激しい叩き合いになるだろう。気合負けだけはしないようにと思っていた。窮犬の噛み合いのような将棋だ。
(中略)
再び堀口君は長考に沈んだ。訳の分からない局面だ。僕も一緒に考えながら、自信を持ったり失ったりしていた。
40分位経ったころだろうか、堀口君は「将棋は難しいね…」と小声でつぶやいた。きっと彼自身に百個位あったその感情が思わず声になってしまったのだろう。僕はハッとしながら、堀口君らしいなと思った。
そして、5図から指されたのは思いもよらぬ▲5二歩だった。
すごい手を指された。この急所の局面でじっと歩を垂らして堂々としているとは、僕にはきっと一生かかっても思い付かないだろう。
ありがたいと感じた反面、恐ろしさも感じた。
▲5二歩では、▲6七玉と早逃げするのが、プロなら第一感で浮かぶところである。
(中略)
7図の△5四飛が手応えバッチリの飛車の転回だ。5二の歩が完全にお荷物になってしまった。
7図以下の指し手
▲6五角△7三桂▲5四角△同銀▲8三角成△5五歩▲4六金△3九角まで行方五段の勝ち(投了図)堀口君は7図の一手前の▲8六歩で受け切りと読んでいたらしく、△5四飛がスッポリ読みから抜け落ちていたようだ。
感想戦で▲6八角を指摘すると、「そう指す一手だったけど、ずっと▲8七金で切れだと思って指していたから、▲5二歩と垂らした構想自体がひどかった」というようなことを漏らしていた。
▲6五角で▲8三角成は、△6四桂▲4六金△5七飛成▲4七馬△6七竜で次の△4五歩、△5八歩が受からない形である。
▲6五角には△7三桂が絶好の一手。飛車を取っても、△6七角があるから8九の銀を取れないのではひどい。
△3九角に12分考えて堀口君は投了した。飛車を渡すと4筋からの飛車打ちがひどいし、▲1八飛と逃げても△6六角成▲7七歩△同歩成▲同金△8七歩▲同玉△7五桂▲9六玉△7七馬で一手一手。
投了図を見ると、結果的に無残にも取り残された5二歩が本局の全てだ。
堀口君の将棋に対する信念の強さが表れた、善悪を超越する一手だったと思う。
翌日、札幌へ飛び立った。ミッシェル・ガン・エレファントのライブを観るために。今、自分が居る場所をリアルに感じられるものといったらミッシェルのロックンロールしか考えられない。雪景色の札幌、ミッシェル、ジンギスカン、そのイメージで師走を駆け抜けた。
一年間自戦記を書いて来て今思うのは、僕は想像もつかないほど良い経験をさせてもらったと言うことだ。
当初は”24歳のドキュメント”として、中学生のころ読んで衝撃を受けた山田道美先生の日記に近いものをと考えていた。
全然目標とはかけ離れた、貧相な内容に終始してしまったが、お付き合いしていただいた方々には巨大かつ不気味なキスを捧げたい。
ここで多くは語らない。これからの僕を見てくれ。
99.1.20 行方尚史
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ミッシェル・ガン・エレファントは、1991年に結成され2003年に解散した日本のロックバンド。
1960年代から1970年代のパンク・ロックやパブロック、ガレージロックを彷彿とさせ、ブルースロック、ロカビリーなどの要素も多く取り入れられたサウンドが特徴、とWikipediaには書かれている。
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ロックのルーツは、1950年代のロックンロール、ロカビリーと言われている。エルビス・プレスリーに代表される、日本で言うとオールディーズライブハウス「ケントス」の世界。
その後、ビートルズやローリング・ストーンズの登場を経て、ディープ・パープルやレッド・ツェッペリンなど様々なアーティストが活躍をする。
ロックと言ってもかなり細分化されているので、一概には細分類できない部分もあるが、パンク・ロックはプログレッシヴ・ロック(電子楽器を駆使した交響楽的な音楽で、崇高な芸術指向だった)への反発から生まれた音楽と言われている。
クラシック音楽が矢倉、ジャズが相掛かりとすると、ロックは振り飛車のイメージ。
それまでのオーソドックスなロックが四間飛車だったとすると、プログレッシヴ・ロックは矢倉中飛車のようなものだろう。飛車を振っているからといってそれは振り飛車じゃないだろうということ。
それに反発したのが角交換振り飛車に該当するパンクロック。
非常に荒っぽい説明だとこうなる。
そういうわけなので、行方尚史五段(当時)の好んだロックの傾向は、角交換振り飛車系のイメージとなると考えられる。