河口俊彦六段(当時)「屋敷君は頭をツルツルに剃って現れた」

将棋世界1999年8月号、河口俊彦六段(当時)の「新・対局日誌」より。

 棋士総会のとき、屋敷君は頭をツルツルに剃って現れた。碁の武宮九段も頭を剃ったが、坊門の棋士みたいで、とっても似合う。屋敷君の方は、昔の棋士というより、一休さんみたいに可愛らしい。大野八一雄六段は「あの頭を見ると、どうしてもさわらずにはいられない」とか言って、頭をなでていた。

 しかしである。実在の一休和尚は頓智坊主などではなく、仏教の腐敗を激烈に批判した高僧であったと同じく、屋敷七段も内面は激しく頑固一途なのである。それは将棋にあらわれている。

 今は髪も伸びて、二分刈りか三分刈りになっているが、これも似合っている。

(以下略)

屋敷

将棋世界1999年8月号「新・対局日誌」に掲載の写真。

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この「新・対局日誌」の記事は、1999年6月18日の出来事として書かれている。

当時の棋士総会は5月20日前後の頃に行われていたので、写真の屋敷伸之七段(当時)の髪型は、ツルツルに剃られた状態から3週間以上経ったときのもの。

あるいは、3週間なら髪の毛もかなり伸びると思うので、棋士総会のあった日から6月18日までの間の日に、もう一度、剃り直しているのかもしれない。

頭をなでたくなる気持ちがよくわかる。

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屋敷九段が初めて坊主頭になったのは1994年のこと。何かの賭けに敗れてしまったのが原因のようだ。

しかし、「でも、もう坊主にはしたくない。くだらない賭けはやめようと思った」と書いているので、本格的な坊主頭になったのはその時以来と考えられる。

屋敷伸之六段(当時)の髪型

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坊主頭は涼しげに感じるが、決してそうではないという。

将棋世界1984年10月号、芹沢博文九段の「棋士近況」より。

 ”休酒”して早や3ヵ月。約束の3年まで残すところ33ヵ月になりました。

 ”休酒”の証に丸めし頭、少し生えるたびに刈ってしまうので当然ながら丸坊主です。

 坊主頭は涼しいと思ったが、これはとんだ読み違いで直射日光を浴び暑くてかないません。加藤治郎、花村元司両先生が帽子愛用の意が漸く判りました。

 ”休酒”開けには大パーティーを開く予定です。

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坊主頭は、本人ではなく周りの人を涼しげに感じさせてくれる髪型のようだ。

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屋敷七段が奥様と知り合ったのは、この年の夏のリコー将棋部夏合宿でのこと。

奥様と知り合ったことが髪型を変えるきっかけだったならドラマチックなのだが、頭を剃ったのはその2~3ヵ月前。

なかなかテレビドラマのような順序の展開にならないところが、この世の中なのかもしれない。

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