将棋世界1999年8月号、巻頭グラビア「第70期棋聖戦開幕 棋聖 郷田真隆 VS 九段 谷川浩司」より。
郷田、定説に挑む!
昨年度の棋聖奪取で、久々のタイトル獲得となった郷田真隆。1年経った今年の防衛戦で7年振りに谷川浩司と相まみえることになった。
谷川得意の角換わりを受けた第1局。今では懐かしいともいえるオーソドックスな相腰掛銀で、同形に組む定跡手順が進むにつれ、盤側では郷田に新対策ありの予感が徐々に強くなっていった。
郷田はどこで”変化”するのか。それは谷川とて同じ気持ちだろう。
午後になり谷川が仕掛けて数手後、▲2九飛の局面で郷田の手がとまった。前例では桂頭を守る△6三金がほとんどだが、郷田は延々と考え続け、2時間28分の大長考で指されたのは△3八角の新手。「前からやってみたかった手」と言うからには充分研究してきた手だろうが、新機軸を確認するための長考とはいえ、一手に持ち時間5時間の半分を使うとは…。この桂損覚悟の新手に対し、谷川も22分考えたのは、疑心暗鬼にとらわれた時間だったのかもしれない。
しかし谷川の二手一組の攻防手で、結果的にはこの新手はあっさりと葬られてしまった。
感想戦で変化手順を調べ終えた後、郷田がつぶやいた言葉が印象的だった。
「でもどうやれば良かったかという手が分からないんです。(この形は)元々仕掛けられて悪いという考えもあるんですが、それだとせつないですね…」
研究してきた手を確認する過程で、何か不都合が見つかり、新たに編み出した代案だったという可能性もある。しかし、真実は郷田の頭脳だけに眠っている。
角換わり戦法の定説に否を突きつけ、決然と挑んだその心意気やよし。今期の棋聖戦五番勝負は目が離せない。
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「(この形は)元々仕掛けられて悪いという考えもあるんですが、それだとせつないですね…」
と郷田真隆棋聖(当時)が語っている”この形”とは、下の3図の一手前(△3八角と指される一手前)の局面。
”この形”がもう既に悪い局面であることを切ないと感じる郷田棋聖。
このような思いが、郷田王将がこの後、角換わり腰掛銀後手番での数々の新手を生み出すことになる原動力になっているのだと思う。
三浦弘行九段は昨年のNHK杯戦の解説で、「角換わりの後手番は最後まで受け切るのは難しいです。どこかで反撃のタイミングをつかま
なくてはなりません」と話している。
居飛車後手番の苦悩の歴史は、将棋の技術的な発展の歴史と言っても良いのかもしれない。