先崎学七段(当時)「同じ悪手でも森内が成るなら不調ではない。佐藤が成れば不調が見てとれるのである」

昨日の記事の続き。

将棋世界1999年8月号、先崎学七段(当時)の「第57期名人戦七番勝負 シリーズを振り返って 線の時代から点の時代へ」より。

  さて、1図、後手番佐藤の選んだ戦法は横歩取りの△3三桂と跳ねるやつだった。佐藤はこの戦型を得意としているが、他では、脇ぐらいしか指さない。

 谷川は、ちょっと意表を突かれた感じに思えた。それが見てとれるのが1図。▲2六歩と打った局面である。

佐藤谷川1

 この手自体、僕は2七から普通に打った方が良いと思うのだが、それより注目したいのが、谷川の1筋の突き込しである。この手は△1四歩から△1三角の活用を消した手で、それなりに価値があるが、後手佐藤の狙いは、4二の銀と7一の銀で、すぐに伸ばしてくるであろう先手の7五の歩を狙うことにある。その場合、後手の角は3一から5三に動くことが多い。そうなれば端の二手は不急の二手となる恐れがある。

 もちろんそんなことは谷川は百も承知。そこをとがめにいこうとしたのだが、ここに、打ち合いにいこうとする精神が見てとれなくもない。そして数手進んで2図。この△5五歩は名手であった。

佐藤谷川2

 これは只だが、取ると△5三銀からの進出で全局を押さえ込まれる。たしかチェスの定跡の一つに、このようにポーン(歩)を取らせて駒の能率で勝負する戦い方があったように思うが、端の二手をとがめ、中央での戦いに持ち込んだ感覚に僕は舌を巻いた。5五のポツンと浮いた歩が輝いてみえた。以下は2六歩の顔を立てて▲1七桂から▲2五桂と跳ねた所へお得意のカウンター一発で圧勝した。

 自分も打ちたいが叩き合いも困る谷川に救世主ともいえる戦法が最近登場した。横歩取りで8五に飛車を引く「中座飛車」である。今回の名人戦を旬だといったのはこの旬の戦法が登場したことにもよる。ただし、旬の戦法は、まだ使う方も感覚に慣れていないため、思わぬ大差となったり、終盤で既成の局面と違う速度計算をしなければならないので、思わぬ悪手が出やすい。2局目は前者の典型で、決戦となった7局目は後者の典型であった。3図は2局目の中盤戦、今△8四桂と打った所だが、ここに桂を打つ手は相手の軽い所を攻めていく筋の悪い手である。

佐藤谷川3

 以下は▲7八角△5四歩に▲8八歩と打たれ、打った桂が働かなくなってしまった。以下は勝負所なし。

 そしてもう負けられない谷川は、第3局で十八番を出した。言わずと知れた角換わり腰掛銀。ただ、これは、後手が受けなければ成立しない戦法である。谷川の角換わりは脅威である。佐藤が受けて立ったのはおそらく意地であろう。前期、負けた三番はいずれもこの戦法だった(もっとも1局目は棒銀だったが)。

 内容は谷川の快勝。1局目の鬱憤を晴らすかのような名局だった。

 4局目は振り飛車から佐藤の急戦に対して、常識的に悪いとされている形からの粘り強い指し方でまたしても快勝。佐藤に大局観の乱れが出た。佐藤の短所が出たのだ。この時点では、僕は谷川勝ちを予測した。佐藤の指し手に、好調時の駒が前に出る迫力が感じられなくなったためだ。

 第5局、またしても佐藤は角換りを受けて立った。もはや意地以外のなにものでもない。対策が3局目とほとんど同じだったからである。その対策とは6五歩と位を取る作戦である(4図)。

佐藤谷川4

 この歩を突かないと同型になり、先手に一方的に攻められる危険性が高い。ただし、この歩を突いてしまうと、後手は自分から攻めることが困難になってしまう。それは佐藤にとって最も苦手とするパターンである。ここに大きな課題とジレンマがあり、前期から合わせて佐藤が、谷川の角換わり腰掛銀に4連敗したのは、ここに大きな原因がある。

 旬の魚の脂が消えた。佐藤の刀は錆びついたかに見えた。中盤で、△2六角成とソッポの方へ成った手を見て僕は確信した。同じ悪手でも森内が成るなら不調ではない。佐藤が成れば不調が見てとれるのである。

 さて問題の第6局。穴熊にがっちり組まれたのは谷川に誤算があったのだろう。もっと早くにガンガンいくつもりだったが手を出せなかった。それだけ佐藤の対策がうまかったともいえる。

 第6局と第7局は、お互いに終盤に悪手が連発した。これは一局だけでなく、七番勝負全体の疲労があるように思えた。

 ガジガジの穴熊を相手に、谷川は、実に辛抱強く指した。そして5図。

佐藤谷川5

 ▲6三銀打と指した局面、▲5六金と指せば勝ちだったが、佐藤の残りは2分。彼は、時間がなくてパニックになると、詰みがありそうな時は、読み切れなくとも必ず詰ましにいくのである。だから、仕方がないのだ。

 詰ましにいってきわどく詰まず、佐藤は▲7六飛(6図)。この手は秒読みが続き、自分のミスに呆れ、興奮しきっていたから指せた手である。普通なら投げる。

谷川佐藤谷川8

 実際ここで△9三角と指せば佐藤は次の手は指さなかっただろう。先手には全く指す手がない。次は桂を跳ねてもいいが、△5七銀と打って5八の金をいじめにいけば良い。佐藤は心の整理をつけて、投了となったはずである。すなわち、ここで、谷川名人誕生だった。

 そして第7局。決戦である。この将棋は他の項で詳しい解説があるのであまりふれない。一つだけいえるのは終盤での△2六桂。第6局の秒読みでの乱れは分かる。人間やってる限りあることである。だが、ここに桂を打つ谷川浩司は、僕の知っている谷川浩司ではない。

 思えば将棋界はずっと大きな幹があった。戦後すぐの木村義雄。大山、升田。中原、米長、加藤。そして羽生。戦型も矢倉と振り飛車が大きな幹であった。それは線の時代だった。

 今や戦法は細分化し、小さな具象の集まりが大きな抽象を作っている。棋士も同じ。幹の時代は羽生七冠でカタストロフィ(破局)を迎えた。大きな幹はなく、小さな枝が様々に個性的に伸びている。線の時代から点の時代になった。2年後に竜王になっている可能性のある棋士は30人はいるだろう。そして、その雰囲気は皆が感づいている。

 点の時代ははじまったばかり。誰が、破局のあとの混沌の中に、雪だるまを転がして大きな点を咲かすのだろうか。

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佐藤康光名人(当時)が谷川浩司棋聖(当時)を4勝3敗で破り、防衛を果たした名人戦。

毎回このような七番勝負のまとめがあれば凄いだろうな、と思えるほどの先崎学七段(当時)の力作。

大崎善生編集長(当時)の編集後記には次のように書かれている。

6月19日、早朝、先崎七段からTEL。「名人戦の総括を書かせてもらえませんか」。最近、何だかついている。

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「△2六角成とソッポの方へ成った手を見て僕は確信した。同じ悪手でも森内が成るなら不調ではない。佐藤が成れば不調が見てとれるのである」

という第5局の△2六角成(5九にいた角が成った)は次の局面。

谷川佐藤谷川9

以下、▲3三桂成△同金▲7四歩(△同金なら▲7一角△5二飛▲6一銀で後手はつぶれる)と進んで先手優勢。△2六角成では△4二玉と粘りに出ればまだアヤが残っていたという。

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「森内が成るなら不調ではない。佐藤が成れば不調が見てとれるのである」、直感的にはなるほどと思えるが、どうしてなのかと意味を考えると、頭の中で整理できない部分がある。

森内俊之八段(当時)は勝負師型で佐藤康光名人は棋理探究型だから、あるいは森内八段は幅広く手を読み、佐藤名人は数少ない候補手を深く読むから、などと理由を探ったが、いまひとつ論理的にはピンとこない。

ピンとはこない中、次のエピソードが個人的にはその理由の根源として納得がいくような感じがした。

佐藤康光九段を語った名文

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6図の▲7六飛は、7九にいた飛車が7六にあった歩を取った手。後手玉への攻めを諦めて、自玉の危険となる歩を取り払った手。

この手についての佐藤康光名人のコメントは、明日の記事で。