升田幸三九段「棋士にとって一番大切なのは駒に触れる指先の微妙な感覚だ。はげしいスポーツのために、肝心のその感覚が狂っては大変だからな」

藤沢桓夫さんの『将棋百話』より。

 先ごろ、大野八段と王座決定戦第2局で来阪した中原誠五冠王と、「日経」の招待宴の席で暫くぶりに歓談した折、私は、関西の若手棋士諸君が野球やボーリングなどのスポーツに興じることがあるのを思い出して、「中原君も何か運動やるの?ゴルフとかボーリングとか」ときいてみたところ、中原君は、「いいえ、両方ともやりません」と持ち前の穏やかな声で答えてから、「手の感覚がおかしくなっては困りますから」と微笑とともに付け加えた。

 それを聞いて、私は思い当たったこともあり、なるほど名人は名人らしいことを考えるものだなと感興のわくのを覚えた。というのは、もう十年余り前のことになるが、その頃名人位にいた升田幸三九段が、人から健康のためゴルフをすすめられ、それを断ったことがあり、その理由として、「棋士にとって一番大切なのは駒に触れる指先の微妙な感覚だ。はげしいスポーツのために、肝心のその感覚が狂っては大変だからな。ゴルフなど以てのほかですよ」と私に語ったことがあるからだ。両棋士とも期せずして同じことを考えているのだ。

 そのことに関連して私が思い出すのは、明治・大正の日本画壇で京都派の巨匠として高名だった竹内栖鳳が、中年以後の日常生活で、鉄びんなど重い物を右手では絶対に堤げなかったという逸話だ。栖鳳の場合も、画家にとって一番大切なのは右手であり、右手の指先の感覚であることから、この用心深さが生まれたものだった。栖鳳はまた、中年のころ、健康法として乗馬をやり出したことがあったが、ある日からぷっつりとそれをやめた。その理由は「もし落馬して、右手を折ったら、私の生きている意味がなくなる」というにあった。

 最高の芸に生きる人間は、傍人の気づかぬところで、それくらいに自分を大切にしているのである。

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藤沢桓夫さんは関西文壇の大御所で、多くの棋士を可愛がった。

『将棋百話』は、藤沢桓夫さんが1973年の秋から1974年の夏にかけて産経新聞に連載していた将棋よもやま話などをまとめた本。

含羞の帝塚山派(1)友人に織田作、司馬、川端、芥川…田辺聖子も緊張、無冠の帝王の名は藤沢桓夫(産経新聞)

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升田幸三実力制第四代名人と中原誠十六世名人が、指先の感覚をこれほど重視していたと初めて知る。

思い出すのは郷田真隆王将の若い頃の名言「良い手は指が覚えている」。

たしかに指先の美しい棋士が多いのは、駒を持つ方の手を大事にしているからなのかもしれない。

私も中学時代までは美しい指だったのだが……