不倶戴天の敵

将棋世界1980年4月号、コラム「有吉・内藤ライバル物語り」より。

「不倶戴天の敵」と衝撃的かつオーバーな見出しで内藤九段と有吉九段のライバル物語りが活字になった。

 掲載したのは特ダネ最前線(日本文芸社刊)という雑誌の3月号である。目ざとい奨励会員がそれを持って編集部に現れたから、さっそく検討してみた。

 その記事の筆者は飛将軍という仮名を使っている。棋界情報に非常にくわしい人であることがわかる。

 去年、内藤九段が西宮市の高台に豪邸を建てたが、それは有吉九段の豪邸をしのぐものとして作ったという見方。

 ある宴席で”澤之鶴”という酒を出された有吉九段が「この酒は飲まん」と拒絶したのは内藤九段が澤之鶴のコマーシャルをしているからだという見方。

 内藤と対局した若手が有吉に勝敗をきかれ「歌うたいには負けませんよ」と言ったところ、有吉は顔面に朱を注いで「君がそんなことを言える身分か」と叱りつけ、同じように内藤も有吉の悪口を聞いたとき激怒した―というのは、第三者が自分のライバルを悪く言うのを許せぬに違いないという見方。

 ……かずかずの秘話をとりいれ、読みごたえのある記事であった。

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上杉謙信と武田信玄、源氏と平家、項羽と劉邦、明智小五郎と怪人二十面相など、古来よりライバルには様々な姿があるが、第三者が自分のライバルを悪く言うのを許せぬというのは、なかなかないケース。

お互いに滅ぼすことを目的としたライバル関係ではないとはいえ、このような部分こそが棋士としての矜持なのだと思う。

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内藤國雄九段が出ている1977年の澤之鶴の広告を見つけることができた。

内藤國雄九段の「おゆき」が大ヒットしたのが1976年から1977年にかけてなので、そのような時期に制作された広告。

一緒に出ているのは三林京子さん。

9手詰の手書きの詰将棋も掲載されている。

清酒 澤之鶴(沢の鶴)/内藤國雄 1977年広告(懐かしい? 昭和の広告)

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有吉道夫九段と内藤國雄九段は、周囲の人間も気を遣うほど緊張感溢れるライバル関係だったが、2001年にふとしたことがきっかけで二人は非常に打ち解けた関係となっている。

雪解け