将棋世界2001年3月号、加藤昌彦さんの「あほんだら、アウトロー 〔いつか会えたなら 羽生善治五冠〕」より。
羽生と初めて会ったのは、2年に一度行われる奨励会東西合同の旅行だった。当時、羽生は13歳の少年で既に二段となっていて、大人顔負けの落ち着いた雰囲気、卓越した存在感が身についていた。将棋も観戦できたが、そのズバ抜けた鋭い感覚に、ただ目を丸くするばかりとなる。そしてこの日は仲間たちと深夜まで、大盛り上がりになっていく。酒を呑む組があり、麻雀を楽しむ組もある。勿論、将棋を指しているメンバーとか様々。それから午後11時を過ぎたころ、部屋の飲み物が全て底がつくと、私はすぐ横でスヤスヤと眠っている羽生少年を、買い出しにやらそうと起こしにかかる。すると関東の仲間が血相を変えて止めた。
「羽生を起こすのは止めて下さい」
「なんでや別にええやろ!」と私。
「ダメです。羽生君は関東奨励会の宝ではなく、将棋界の宝なんですから……」
これには驚いた。確かに羽生少年は強いが、しかし、今後も自分たちと人生をかけて戦うかも知れぬ少年を、ここまで認めても良いのか。
買い出しの事はもうどうでもよくなっていた。みんながだらしなく思えたが……。
「13歳で二段はすごい才能や。だけどいつ止まるか分れへんやろ」
けれど仲間は瞬時に返してくる。
「それはない。止まる事はない」
「なんで、なんでやねん」
「羽生君は13歳で二段だけど、実力は既に八段はあるからだ」
「…………」
本当に呆然としたが、なぜか素直に仲間の言葉を受け入れていた。
「それじゃあ、代役に先崎学少年をタタキ起こそうか」
ジョークで言うと仲間たちは
「大賛成!!」
「なんでやねん……この扱いの差は」
(以下略)
——–
酒と博打、百鬼夜行の当時の奨励会旅行の夜の部。
そのような喧騒の中、中学1年生にもかかわらずスヤスヤと眠れていたのだから、凄いことだと思う。
——–
私は子供の頃は布団に入ってもなかなか眠れなかった方だが、今ではどのような所でもすぐに眠れるようになっている。
酔っぱらって立ったまま寝てしまい、中央線の荻窪で降りるところを高尾、あるいは豊田まで行ってしまったことさえあるほどだ。(二度あったということ)
ただし、2つだけ例外があって、深夜の列車(盛岡→上野)と深夜の高速バス(東京→大阪)。
それぞれ1回ずつしか乗ったことがないが、車内が暗くなったりして「さあ、眠れ」というような雰囲気になって目を瞑っても、なかなか眠りに入ることができなかった。
理由はいまだによく分かっていない。