近代将棋2001年8月号、青野照市九段の「実戦!青野塾」より。
今期A級へは、承知のとおり藤井猛竜王と三浦弘行新八段が昇級した。最近のB級1組は、前期にB級2組から昇級したばかりの若手が連続昇級することがほとんどだが、今回のように二人とも連続昇級というのは滅多にないことである。
しかも二人は、西村一義九段門の同門で、さらに群馬県出身という同郷。B級1組の最終日の日には、群馬の地元紙が深夜遅くまで対局室に上がる入り口で待っていたが、さぞかし長時間待った甲斐があったろう。
さてこの二人のうち、藤井は竜王位の3期目となり、かなり棋風や将棋観が知られてきたが、三浦のほうは、羽生の七冠独占を崩し棋聖位を奪取したことでは有名だが、その棋風や人間性などはあまり知られていない。
それは彼が、ほとんど研究会などには入らず、一人で黙々と研究するタイプだということにもよる。したがって人となりは私など世代も違うからそうわかるわけはないが、将棋を見て、指して感じたことを書いてみようと思う。
「三浦将棋を探る」と言っても、私自身は彼と4局しか指していない。最初に1勝したのみである。
初めての対局は、平成7年の王将戦だった。彼がまだ五段のときである。
将棋は私は先番で、角換わりから珍しくも早繰り銀戦法となり、結果的には私の完勝となった。したがって将棋の内容からはあまり記憶に残るものはなかった。
ところがその対局から2、3週間して将棋会館へ出向くと、3階の事務室で突然彼が私に声をかけてきた。
「この間の将棋、端を受けた手がちょっとおかしかったです」
挨拶もせずに、いきなりこんな調子である。普通なら、何て失礼な男だと思うところだが、目を見るといたって真剣である。
その瞬間、この男は本当に”将棋の虫”だなと感じ、逆に好意を覚えたから、我ながら不思議だったなという思いがいつまでも残っていた。
(以下略)
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三浦弘行九段にとって今年は、春にA級に1年で復帰して秋には竜王戦挑戦を決めるという快調な流れだったが、10月に入って、考えられないような濡れ衣を着せられることになる。
濡れ衣という言葉は生ぬるい。正確な用語の使い方ではないが、まさしく冤罪。憶測だけでマスコミなどから犯罪者並みの扱いを受けた。
一昨日(12月27日)の三浦弘行九段の会見を見て、本当に悔しかっただろうな、とにかく疑いが晴れて良かった、今までよく我慢してきた、と強く思った。
名誉回復や金銭的損失、機会損失の補償はこれから。
まだまだ大変なことが続くと思うが、一日も早く、三浦弘行九段が以前のように思う存分将棋に打ち込める日が来てほしい。
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このブログは集計してみると、三浦弘行九段に関連する記事が羽生世代の棋士に次いで多い。
微力ではあるが、三浦弘行九段がいかに素晴らしい棋士で、いかに魅力的な棋士か、今後も書いていくとともに、過去のブログ記事も活用しながら、このブログに来られた方にお伝えできればと思っている。