将棋世界2001年7月号、「旬の棋士の熱闘自戦記 第2回」、田村康介五段(当時)の「日々思うこと」より。
この対局の数日後、競馬(フェブラリーステークス)で大負けした。頭に来たのでフリー雀荘に行ったが、また負けた。仕方がないのでやけ酒を飲みに行き、そこである賭けをした。6月の順位戦が始まるまで賭け事を止める、という賭けである。小学生の頃から何かしらギャンブルに手を出していた自分が突然やらなくなると、生活のリズムがかなり狂う。週に2、3回外に出て飲みに行くくらいで、あとの日は家で一日中ボケーっとしているだけ。夜になると近藤四段からの長電話(1回30分以上、多い日には3、4回かかってくる)。ヒマだからたまの電話は嬉しいが、いい加減にしてほしいと思う時もある。
家に一人でいて、よく考え事をする。自分が今、何をしたいのか、何を目標にすればいいのかよく分からない。将棋指しだから勝負に勝ってお金をもらうのが一番とは思うが、お金のために将棋を指していると思うと自分がいやになる。まあ、あんまり考えても意味がないので気楽に生きていこうと思う。賭け事をやる、やらないの賭けも結局負けた。でも2ヵ月以上よく頑張ったと思う。やってしまった最大の原因は、僕が少し酔ってた時に、郷田八段に「そのくらいの賭けで賭け事をやらないなんてケツの穴が小さい」と言われ、ミョーに納得してしまったからだ。将棋に話を戻す。
3図以下の手順の善悪はよく分からない。▲5六角と打てたのは気分がよかったが、△2四飛のぶっつけに▲2五歩は辛かった。
(以下略)
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「ケツの穴が小さい」には、度量が狭い、小心、ケチ、などの意味がある。出す物が小さい、という辺りが語源になっているようだ。
「そのくらいの賭けで賭け事をやらないなんてケツの穴が小さい」は、「そのような小さい賭け金で、重大な決意を成し遂げられるかどうかの賭けをするなんて、みみっちい」という意味になるのだろう。
それならば、ということで採る道は2つ。①賭け金を十分に増やす、か、②賭けに負けても大した金額ではないので、我慢するのは止めてギャンブルを再開する。
①は相手の同意が必要なので、実現はなかなか難しい。
②なら自分一人で決められることだし、相手も喜んでくれる。
ということで、このような場合、100人中99人以上は田村康介五段(当時)の意思決定と同じく②を採用すると思う。
私も当然②を選ぶ。というか、私の場合は自分に甘いので、このような好きなことを断つという発想自体が起きてこないわけで……
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「ケツの穴が大きい」という使われ方はしない。それでいいと思う。